余裕
「幸せ気分」から
私の入院中の夢は「もう一度自分の足で歩きたい」でした。それがかなった今とてもとても幸せです。
入院中、とにかく今回でもういいからもう一家だけ歩かせてって思っていました。歩けたときはやったー!と思いました。よく今度悪くなったらおしまいだなって思うのです。足が悪くなったらもう自力で歩けなくなるとか、目が悪くなったら見えないままかもとか。でも最近私は気がついたのです。私には終わりがこないってことを。今回の入院もそう。元気な時に、やっぱり、今度入院したらおしまいだねって言ってたのです。でも、本当に入院してみたら、入院中終わりだなんて一回も思わなかった。逆にいっぱいいっぱい希望を持ってた。現に今また、自分の力で、足で歩いているし、終わりでなく、私にとって再スタートだったのです。今でもやっぱり時々言うの。次入院したらおしまいだねって。でもそう言いながら終わりのこないことを知ってる私はちょっとだけ余裕なのです。
歩けなくなったら、見えなくなったらおしまいというとしたら、だったら、歩けない人はおしまいの人なのっていうとそうではないんですよね。でも今歩いている私にとって歩けなくなるということはすごく恐いことだし、どうしても考える。あーおしまいだなって思ってしまうのです。誰だって事故でもしかしたら歩けなくなるかもしれない。みんなみんな可能性はあるけれど、私の場合は人よりその可能性ははるかに高く・・・・。だから「歩いていたい」という想いが強くて、恐くなってきっとおしまいだなんて思ってしまうのです。でも、おしまいのはずの車椅子になってもおしまいなんかじゃなくて、もっと悪くなる日のことを思って「この次入院したらおしまいだね」って言って・・私にはおしまいがこないのだと思います。それから入院中よく思うのが、見えなくなってるときに、まだ読みかけの本があったのに、やりたいことあったのに、この目で楽しみたかったのに、この視力では無理、間に合わなかったって。でもそれが間違ってたってことに気がついたのです。「間に合わなかった」のではなくて、「間に合った」のです。これからよ、私の目はって。確かに視力は弱くなったけど、見えにくいものは沢山あるけど、見える物もたくさんたくさんあるのです。これからできることはまだまだたくさんあるのですもの。なんだってやろうとおもえばできるのです。やりたいと思ったらやってみていいのです。今は自信を持って見えないものより、見えるものの方が多いよって言えます。 歩けなくなったときも、あー遅かった、気になっていたあのお店に行っておけばよかったとか、あの洋服買えばよかったとか思うのです。でもいや、違う、間に合ったんだって思うのです。これからよ。行けるところはたくさんたくさんるし、洋服だって今の私に似合うのあると思うし、遅かったのでなく、間に合ったのよって思うのです。
夢であった歩くことが再びできるようになったし、行きたいところ、みたい物、やりたいこともたくさんある。まだまだこれからです。今の大事な足、目、手すべてがもったいなくないように生きていきたいなと思います。

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