雪絵ちゃんに、看護士さんの山佐さんから03/12/30

雪絵ちゃんのお友達で、私もお友達の山佐さんが、雪絵ちゃんが亡くなられてからメールをくださいました。お願いして、ここに載せさせて頂きます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かっこさん、HPの雪絵ちゃんの所の内容、読ませていただきました。
実は、私も同感する所があって、でも一人では何だか寂しくて。
私もかっこさんに、雪絵ちゃんに関する独り言話させて下さい。

私が雪絵ちゃんを初めて見たのは、お母さんと病院に見学に来ている時でした。
その頃、病院のベットが満床で雪絵ちゃんは一ヶ月ほど入院予定が遅れていたのです。
まだ、患者として出会っていない彼女。ほんの少しの廊下でのすれ違いで
こんなに印象深かったのは、私の同じくらいの年の子と言うのもあったのだろうけど、
何とも言えないワクワクとしたような顔でお母さんと病棟のあちこちを見ている彼女が不思議
だったのです。

私たちの病棟は脳内や神経等の外科的処置が完治した患者さんが生活できる様になる為の病棟
です。
でも、完治と言えど後遺症が残っている体です。
ほとんどの患者さんはいつも私たちに「こんな体で何が出来る?」と泣きながら言っているの
です。
毎日、毎日泣きながら訴えてこられる患者さんに私たちはきちんと役に立ってるお手伝いが出
来ているのか、
患者さんは私たちにどこまで求めていて、どこまで私は患者の心を理解できているのか
サッパリ分からなくなってしまった頃だったから私はこの仕事に少し疲れていました。

入院してからは毎日、みんなが泣いて嫌がるリハビリに彼女は嬉しそうに取り組んでいまし
た。
意思表示もハッキリしていて、完璧主義な所もあって少し頑固な所もあったけど(笑)。

頑張り屋さんなんだなぁ。まだ私は本当の雪絵ちゃんを知っていませんでした。

ある日、雪絵ちゃんの所へ、のむらさんと言う方がお見舞いに来られていました。
そこにたまたま夕食の食事介助に居た私は、のむらさんから雪絵ちゃんはHPを開設している
と教えてもらいました。
私もパソコンを持っていたので、雪絵ちゃんにアドレスを教えてもらい、家で見るね。と言い
ました。

時間が出来たある日、思いつきで雪絵ちゃんのHPを開いて見てみたのです。
エッセイや幸せ気分を読んで正直、驚いてしまいました。
私は何をダラダラ過ごしているんだろう、いつの間にか時間に追われるだけの毎日を、
楽しいとか嬉しいとか悲しい事さえ感覚のない毎日を今、過ごしていたかもしれない。
彼女の心のキラキラはそれはそれは眩しくて。
そして、雪絵ちゃんが好きで好きで。大好きになりました。

雪絵ちゃんはいろんな話を、お世話している時にしてくれました。
「山元先生、先生って言っても私の友達なんだけどね。子供が大好きだからきっと時々学校の
常識に外れるみたい。
 でも、私はそんな先生が大好きなんだぁ。」
雪絵ちゃんの通っていた頃の学校の話しは私が経験した事のない風景でした。
雪絵ちゃんはそこで教わった事がたくさんあったと言っていました。
私は雪絵ちゃんに山元先生にいつか会わせてね。と言いました。
彼女は「うん」と言って本当に会わせてくれましたね。

9月の終わり頃、エッセイのお手伝いをする為に家に電話をした事がありました。
その時、彼女が「あいうえお」って言おうとすると「い」って言葉が出せない気がする。と言
いました。
電話で聞いてたので今でもよく分からないのだけど、その時は「あいうえお」って言葉がちゃ
んと聞こえていたので
「今言えてるよ。聞こえたよ。」と私は言うと「あれ?言えてるね、言えるんだぁ。良かっ
たぁ。」と安心していました。
でも、何となくその事が私も不安で、その次の日、言語療法士に聞いてみたら、そんな症例は
聞いた事がないそうで
普通なら、心で思っている事が全て言葉にならないとか、思っている言葉とは違う言葉が出る
のだそうです。
私はそれを聞いて9月26日に家に行った時それを話ししました。
でも、今思えば、あれは再発の前兆だったのでしょうか。

そして10月、大きな再発。
その日私は休みの日で、何も知らずに雪絵ちゃんの家に電話を入れて、お母さんから入院を聞
きました。
嫌な予感。
病院で会った雪絵ちゃんは、何かを払いのけるかのように手をバタバタとして歯軋りをしてい
ました。
意識レベルはゼロでした。先生が言うには「植物状態」との事です。
動揺している私は仕事が全く手に付かず、今の現状が受け入れられませんでした。
雪絵ちゃん気を取り戻して。それが私の願いでした。
そして6階へ転棟していきました。
約一ヶ月、彼女には面会出来ず、どうなっているかを人から聞く事しか出来ませんでした。

体調が落ち着いたとの事と金沢脳神経外科へ転院する為のベット待ちという事で3階へ帰ってき
ました。
私は雪絵ちゃんが先生に会いたいから、私の居る所へ来たのかも知れない。
私が今、雪絵ちゃんに出来る事はこれしかないって思いました。
それからは、先生も知ってますよね。
先生が会いに来るようになって少したった頃、雪絵ちゃんから言葉が戻りました。
先生に会えて嬉しいんだなぁ、良かったね。って私も嬉しくてたまりませんでした。
でも、少しづつ少しづつ、体力が落ちていく彼女を見ていくうちに
私は彼女のエッセイの中の「みち」というのを思い出すようになりました。
全てを、何があっても、次に何が起きてもそれは雪絵ちゃんが決めて歩くみちなんだから、私
はそれをみていこう。
雪絵ちゃん自分で決めなね。雪絵ちゃんが決める事に私はすべてをみていく。

雪絵ちゃんが亡くなった日、私は早番でいつものように雪絵ちゃんの部屋へおはようを言いに
行きました。
ベットはそのままに、彼女は居ませんでした。
私はすぐに分かってしまいました。
その日から雪が降って、私はやっと、どういう意味か分からなかった言葉の意味が分かりまし
た。
W私はsnowになりたい。W
あっ、そっか。なれたんだね、雪絵ちゃん。良かったね。
私はやっぱり、すごく寂しいし、涙も止まらないけど、雪絵ちゃん、これで良かった。
良かったなんて言ってはいけないかもしれない。
寂しいはいっぱいだけど、悲しい事では無いんだろうなって思って。
これで、良かった。この言葉しか浮かばない私は、冷たいんでしょうか?

先生、やっぱり、彼女は雪の妖精だったのでしょうか?
出会う人の心にスーっと静かに入ってきて、キラキラした結晶を積もらせる。
その雪をその人なりの雪だるまにして、どんどん大きい結晶にしてくれた。
今もこれからも、私はきっと雪絵ちゃんがくれた雪だるまを大きくしていくんだろうなぁ。
雪が降ると冷たいって思っていたけど、今は雪絵ちゃんだと思えて嬉しい。

長い独り言になってしまいました



「雪絵ちゃんのの気持ち」のページへ
メニューへ

inserted by FC2 system