通じた心

 私と雪絵ちゃんが出会った養護学校の友達のお母さんが、7,8年前に脳溢血でたおれられたということをお聞きしました。雪絵ちゃんは、友達のお母さんが手足や、言葉に障害を持たれたことを知り、とても心配していました。
 お友達のお母さんは、雪絵ちゃんとお店のエレベーターで会われた後、家で、紙に「雪絵ちゃん」と書いて、雪絵ちゃんのことを家族に知らせられたそうです。(山元)

 この前、お店のエレベーターの中で、友達のお母さんにお会いしました。友達のお母さんは6年前にたおれたと聞いていたので、時々元気でいるかな?がんばっているかな?と思っていたの。友達にあまり、お母さんのことを聞くのもちょっと・・・と思い、あまり聞かないでいたのです。でも、6年ぶりぐらいに会ったけど、お互いしっかり覚えていて、「あー○○ちゃんのお母さん。元気?」って。友達のお母さんも「雪絵ちゃん元気?久しぶり!」って。二人できゃっきゃっ言っていっぱいお話しました。エレベーターの中だったので、ほんの短い時間だったけど、すごく楽しい時間でした。帰るときも、またね、って手を振って分かれました。友達のお母さん、本当に元気かな?というのは、私の勝手な想いで、もう元気、元気!私の心配なんてよけいなお世話って感じでした。すごく素敵で可愛い笑顔で、私までなんだか嬉しくなってしまいました。その日は買い物に来てたんだけど、欲しいものがなくて、帰るところだったのです。でも帰りに素敵な笑顔に出会えて、あー、今日来て本当によかった。得しちゃったって思いました。家に帰ってその日のことを思い出して、幸せ気分にひたっていたら、不思議な事に気がついたのです。これまた感動です。友達のお母さんは言葉が不自由なので、私との会話は「あー、あー」がほとんどでした。でも私、いっぱい話たんです。友達のお母さんも私にいっぱい話かけてくれたし、話すこと、全部、全部分かったんです。

 他の人もいっぱいエレベーターの中にはのっていたんだけど、多分他の人には私たちが何を話しているか分からなかったと思うの。でも私たちはいっぱいいっぱい話をしたんです。それにひさしぶりだったので、話すこともいっぱいあったしね。今、なんていいたいのかとか言ってること分かってあげようとか、そんなうっとおしい思いは、全然いらなくて楽しい会話をただ当然のようにしたのです。こういうのを心が通じたというのでしょうか?また会ったら今度はゆっくり話をしたいな。

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