泣くということ

「もし泣けたらどんなに楽かと思います」といただいたお手紙に書かれてありました。
「泣くことは逃げることだと思う」高校生の男の子が言いました。
「教師は子供に対して弱みをみせてはいけないのではないか?泣くということで子供たちを不安にさせたり、泣けばすむという気持ちをゆるすことにつながるのではないか、どんなにつらくても大人は泣いてはいけないのだと思う」ホームページを読まれた方が、メールを下さいました。
講演会で涙を流しながら「僕は泣くことなんてこれまで一度もなかったのです。男が泣くなんて恥ずかしいことですが・・」って年輩の男の方がおっしゃいました。

 私は「泣いたって大丈夫なのに、」「泣くことってきっと大事なこと」っていつも思うのです。いろいろなときにそう思います。
 世の中にあることのひとつだって無駄なことはないはずと思うのです。人間の身体だって同じはず。きっと人間の涙だって何か大切な役割があるはずだと思うのです。
 中学2年のときに交通事故にあって、片足を切断された女の子が学校に入ってきました。ゆうきちゃんという名前の女の子でした。
 ゆうきちゃんはほとんど笑うということをしませんでした。周りにいるものが話しかけても、そっけなかったり、険しい答えしか帰ってはきませんでした。
 教員がゆうきちゃんの授業に出て、職員室に帰ってきたときも「私、あの子苦手やわ。何言っても受け付けてくれんし、しゃべってもくれんから」「いくら交通事故にあったことが悲しくても、あんなわがまま許されるわけないわ」「つっぱってて、どうあつかったらいいかわからない、扱いづらい子やわ」という感想が多かったように思います。
 こんなこともありました。「確かにあなたは足がなくなって、つらいだろうけど、みんなに可哀想って思ってほしいと思ったら大間違いよ」と教員をしている同僚が、堪忍袋の緒がきれたからとそんなふうに言ってしまったときのことです。ゆうきちゃんは、その言葉を聞いたとたん「誰が可愛そうって思ってほしいっていった?」「おまえなんか出て行け」と同僚の服をひっぱってはさみで切ってしまったというのです。
 ゆうきちゃんと初めてお話をしたときのことは私もよく覚えています。教室に入っていくとゆうきちゃんは、背筋をまっすぐにして、クラスに置いてある、たったひとつの学生机に座って、まるで、すべての人とこれから闘うつもりだとでもいうように、口をきっと結んで前をにらんでいました。
「今日の給食のメニュー何かなあ、ゆうきちゃんは何が好き?」
ゆうきちゃんはこちらをちらっと見て、「関係ないでしょ」「どうしてそんなこと答えんといかんの?」と投げつけるように言いました。私が黙って、次になんと言ったらいいかわからずにいると、ゆうきちゃんは「それともあんた私に答えなさいって命令するの?」と言いました。
 ゆうきちゃんの答えに私はとても驚きました。「命令だなんてとんでもない、これは雑談だし、そうじゃないとしてもゆうきちゃんにいつだってどんな命令だって私はしないのよ。」
 ゆうきちゃんは驚いたほうに私のほうを見ました。ゆうきちゃんは自分の周りに固いつめたい殻を作っているようでした。それでなければ、心という羽を傷つけて震えている飛べない小鳥のようでもありました。
「私がゆうきちゃんとすごせるのは国語の時間だけだけど、その時間はゆうきちゃんの好きなことをしようよ」「できることはどんなことでも大丈夫」
 ゆうきちゃんは私の顔をじっとみつめていて、どう考えたらいいのか警戒しているようでした。「お料理でもいいし、音楽でもいいし、どこかへ散歩に行ってもいい・・」そういいかけたときにゆうきちゃんは突然「嫌、散歩は嫌よ」と険しい顔で言いました。「嫌なことはしなくていいの。私、無理をしないのが好き。ゆっくりするのが好き」私はできるだけゆっくりしたお話の仕方で答えました。
 ゆうきちゃんの顔がだんだん柔らかくなっていくのが私にも分かりました。そして、うつむきながら言いました。「がんばらなくてもいいの?」

 私はゆうきちゃんの「がんばらなくてもいいの?」という言葉が、足を片方失ってからこれまでのゆうきちゃんの苦しみの大きさを教えてくれている気がしました。
 足を失ったことを誰からも「可哀想」なんて言われたくないという思いから、つらくても痛くてもがんばって義足で歩く練習を毎日してきたゆうきちゃんが、その苦しみを自分で守ろうとして、心の壁を作っているのだと思いました。 
 「したいことをする時間にしたいな。ゆうきちゃんと私の楽しい時間にしたい」私の言葉を聞いたとたん、どうしたことでしょう。ゆうきちゃんの目が見る見る涙でいっぱいになったのです。今まで、叱られても、つらい訓練があっても、一度も泣かなかったゆうきちゃんなのに・・
 ゆうきちゃんの涙から3秒もたたないうちに私だって泣きたくなってしまいました。私は泣き虫だから、えーんえーーんとすぐに声をあげて泣いてしまいます。私の声を聞いたゆうきちゃんは、私よりももっと大きな声をあげて、私と抱き合うようにして泣き出しました。「泣いてもいいの?」「泣いてもいいの?」「つらいときは泣いたほうがいいよ、悲しいときも泣けばいいし、泣きたくなったら泣いていいんだよね」ふたりとも泣きながらも話をしました。
 うんと泣いた後、ゆうきちゃんはにっこり笑ってくれました。やさしい、うれしい笑顔でした。
 ゆうきちゃんはそれから、私とだけでなく、少しずつ、友達とも仲良しになっていきました。涙には、自分というものを守るために作ったはずではあるけれどそれでもそれを持つことで苦しくてたまらない心の壁を溶かすエネルギーがあるのだと思います。そんなに肩に力を入れなくてもいいんだ、片意地はらなくても大丈夫なんだ、バリケードなんていらないんだということを心に教えてくれるすごい力が涙にはあるのだと思います。
 ゆうきちゃんとはそれからいろいろな話をしました。一緒にセーターを作ったりもしました。それから、ゆうきちゃんはエッセイも書きました。ゆうきちゃんのやわらかな気持ちがあふれているエッセイでした。お母さんが「昔のゆうきに戻ってくれた」と喜んで下さいました。国語の教科書はすすまなかったけれど、それでもちろんよかったのだと私は思いました。
 泣きたかったら泣けばいい。苦しいことは軽くなるし、悲しいこともかるくなる。もし誰かを少し恨んでいるようなことがあったとしても、その気持ちを薄く軽く、涙はしてくれると思います。だからね、泣いても大丈夫。きっと涙は私たちの味方だと思います。

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