あきちゃんの感想文

2月7日づけの毎日新聞にうれしい記事がありました。
第43回青少年読書感想文コンクールの県代表作品の小学校高学年の部一類で「大ちゃんの詩と出会って」という辰口町立中央小学校4年の東晶子さんの感想文が載っていたのです。その文章が本当に素敵で、うれしくて、それをここに書かせてもらいます。

     大ちゃんの詩と出会って
東 晶子
空の虹はな そこにあるだか ないだか わからんけど
人の気持ちをな たしかに うれしく させるやろ

初めてこの詩を読んだとき、この詩を書いた人は、きれいなことや、すてきなことをたくさん知っている人なんだなあと思いました。わたしは時々、空を見て絵をかきたくなることがありあmす。この人も、わたしと同じで空の虹がきれいだから、この詩を書きたくなったのかもしれません。
 この詩を書いた人は原田大助さんといいます。みんなは、大ちゃんとよんでいるそうです。大ちゃんは加賀市の錦城養護学校にいっています。
 わたしの学校には「あゆみ、わかば」という学級にしょう害を持つ子がいます。みんなやさしく楽しい子たちばかりです。その学級に、わたしの友だちの明ちゃんがいます。明ちゃんは、わたしの名前と同じ「あき子」です。前にわたしは同じ名前の子と初めて会ったとき、「同じあき子やぁ〜」といやそうに言われて、とても悲しくなったことがありました。でも明ちゃんは反対に、「おんなじ、おんなじ」と言って喜んでくれました。わたしは明ちゃんの言葉とあき子ちゃんの言葉はすごく差があると思いました。それから、わたしたちは、よくお話するようになりました。わたしは時々、友だちを悪く思う時があるけど、明ちゃんはだれとでもお話しています。だから明ちゃんといっしょにいると、わたしもやさしく楽しい気持ちになります。わたしは、明ちゃんに会う前や大ちゃんの詩を読む前、しょう害を持つ人は「大変やなぁ、かわいそうやな」と思っていました。何かをするときとても不自由そうだし、みんなとはちがっていると思われて、じろじろ見られたり変なことを言われたりしているからです。でも、大ちゃんやほかのしょう害を持つ人はすごくいいものを持っています。やさしさや楽しさ、それに大ちゃんは、詩をたくさん書いています。きれいな詩、おもしろい詩、元気づけてくれる詩など、こんないろいろな詩をわたしは思いつきません。大ちゃんの詩を読むうちに、「大ちゃんは虹みたいだ」と思いました。人をうれしくさせたり、感動させたりすることが大ちゃんにはできます。
 大ちゃんの先生は「計算が苦手、足が動かしにくいという言葉が、魚つりが好きという言葉とならんで、その人を知る言葉になったらいい。」と書いていました。しょう害を持っていることは、そのひとの全部ではないし、その人と遊んだり、話したりして、初めてどんな人か分かるのだと思います。大ちゃんも明ちゃんもわたしもみんなもそれぞれの良さを持って生きています。わたしは、その人の本当の良さが分かる人になりたいと思います。(「さびしいときは心のかぜです」原田大助・山元加津子、樹心社)

 あきちゃんが書いてくれたことは私たちがずっとずっとわかってもらいたいと思っていたことのような気がします。この社会には「人を分ける」ということが現実にたくさんあると思います。肌の色の違い、出身の違い、言葉の違い、民族の違い、障害のあるなし、思いの違い、様子の違い・・・人はたいした理由もなく、人を分けると思います。そうして、その違いをそのひとの全部だとでもいうように感じていまうのです。でもあきちゃんはそれはおかしいと教えてくれています。「しょうう害を持っていることはその人の全部でじゃないし、その人と遊んだり、話したりして、初めてどんな人か分かるのだと思います。」そうして、あきちゃんはこんなふうにも書いています。「大ちゃんも明ちゃんもわたしもみんなもそれぞれの良さを持っていきています。わたしは、その人の本当の良さがわかる人になりたいと思います」100人いれば100人、1000人いれば、1000人、みんないろいろで、そしてみんなそれぞれの良さを持っていきている。みんな素敵なのです。地球の人みんながあきちゃんのように、互いの違いを認めあい、そしてその人の持つ本当の良さを分かろうとしあえば地球はなんと素晴らしいところになるだろうと思うのです。
 今小学4年生のあきちゃんが書いてくれた感想文だからなおさらうれしいです。これからの世界を作っていくあきちゃんたちがこんなふうに考えてくれていることが本当にうれしいです。あきちゃんほんとうにありがとう。

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