6/11雄太さんのお母さんからのお手紙

 山元先生お元気で嬉しく思いました。

 今、プランターのインパチェンスが次々と花を咲かせています。

 8月26日(雄太さんが亡くなられた前日)広島からひさしぶりに帰省した雄太に三日前、夫と帰った北海道旅行の写真が見せたく、夕方帰宅した父(雄太が帰ってくるというので、2時間ほども早く帰ってきました)の車で、カメラやへ雄太は私を乗せていってくれました。玄関先で足を止め「お母さん、お母さん、この花、なんて花?きれいだね」と言ったこと。

「インパチェンスなの・・・」と

二つのプランターに6つ植えた、白とピンクの花に「インパチェンスねぇーきれいだね」と雄太は答えてくれました。

 翌日の夜(亡くなった日の夜)そのことを夫に話しましたら、いつの間にか、小さなガラスの花瓶にインパチェンスを、雄太の枕元に置いてありました。

今思えば沢山の(お通夜の席の)花の中でぽつんと置かれていたそこから雄太のあのときの会話が聞こえました。

 今年も手折って話したことです。

 昨日、JAに花の苗を求めに行き、昨年山元先生にいただきました、モロヘイアの10センチほどの苗を見つけ、(昨年種を取らなく終わってしまいました)求めました。その時、養護学校の先生と数人の先生方も花を見に来ていらしていて、思わず夫と同じことを口にしました。山元先生を思い出したのです。生徒さんと花を選んでいるのを見て、今まで以上日、普通にあたたかく接したい思いでいっぱいでした。お手紙をいたさねばと、何度も口に致し、強く思うとき、必ず先生から先に頂戴し、今日も恐縮致しました。

 昨日先生のことを話しておりましたら、今日、書籍小包でお手紙と共に、ご講演録をお送り下さいまして、まことにありがとうございました。

雄太に先生のお手紙、本を読み聞かせてやりながら思い切り泣きました。

夢のようです。先生がこうして雄太のことをいつまでも大切にして下さいますこと、勿体ない思いでございます。

帰宅した夫と弟もどんなにありがたい思いをしたことでございましょう。

夫もお手紙と本を何度も読み返して涙しておりました。

先生のおかげでいつも雄太は私たちのそばにいてくれます。心から感謝を致します。そして、今日私があるのは、多くの方々の支え。

 折々夫は、先生からの励ましがあなたに何よりの最高のお見舞い・・感謝しなければともうします。  いつもそんな気持ちでいっぱいです。  ご心配おかけいたしました。私、  おかげさまで月2回の外来は続いておりますが、無事暮らしております。  薬も一日4錠でしたが、2月からは1錠になりました。

 後遺症もなく、医師の兄はじめ身内もありがたいことともうしています。有り難うございました。

5月30日、白山スーパー林道の開通をニュースで聞き、平成5年の秋、金沢へ出かけた私を、雄太が局の方の車を借り、ドライブに連れていってくれました。まばゆいばかりの紅葉でした。その年、開通の取材をしたことを話してくれました。

 今小松支局の雄太の後任の方がおいでの内に(二年になりますからこの7月に転勤かと・・)小松金沢へ足跡を訪ねてみたいと夫と一番の望みで言いながらなかなか思いきることが出来ません。

「みんな大好き」雄太のそばに先生のお手紙と一緒にあります。気恥ずかしく思いながら、何度も読み返していることでしょう。沢山にお送りくださいまして、本当にありがとうございました。

多くの人々に対する先生の愛とお心を又、一杯、あの講演録の中からいただくことができました。

雪絵ちゃんの本もうすぐ出版とうかがいましたが、一度おたずねいたしたく思っておりました。どちらの出版社でしょうか?またお教えください。

「みんな大好き」大切な宝物です。

日々お忙しいことでございましょう。どうぞご家族みなさまおいとい下さいますように、お祈り致します。

                            かしこ 礼子

心からありがとうございました。

   6月8日

山元加津子先生


雄太さんが亡くなられ、お父様がお手紙を下さってから、雄太さんのお父様とお母様と私とのおつきあいが始まりました。お二人との出会いは雄太さんが私に下さった大切な宝物のように思えてなりません。お母様の大変なご病気の中、いつも私たちに心のこもったお手紙をずっとくださいました。お手紙はいつも私たちに命、そしていきること、それから愛するということを考えさせて下さいました。

 お母様のご病気は雄太さんが守っておられるから大丈夫にきまっているという思いをもちながらも、同じ病気の手術のあと、私たちの養護学校へ入ってこられた生徒さんも、多く、また亡くなってしまわれた友達もいて、子供たちも私も雄太さんがそばにおられるとわかっていてもやはり心配しないではいられませんでした。お父様とお母様と、「春になったら・・きっとすべてのことがいいふうに向かいますよね」とお話しあい、「春になったら、春になったら」とまるで合い言葉のように春をずっと待っていました。

 そしてあんなにも待った春がきて、お母様はむつかしい手術をされたあととは信じられないくらい元気に回復されました。

 ずっとずっとお会いしたい・・お互いにまたそう言いあって、ついに2月1日の名古屋での講演会の折りにお二人できてくださってお会いすることができました。

 私はその日、講演会で来て下さったみなさんに雄太さんやお父様、お母様から教えていただいたことをお話させていただきました。私はお話をしながら、雄太さんが一緒に聞いて下さってるような不思議な感じを何度も味わいました。そして不思議なことにお母様も同じ事をおっしゃって下さいました。「雄太がここで聞いているに違いありません」

講演会の前にお二人にお部屋でお会いしたときと、また講演会のあと、お父様がおっしゃってくださったことばでとても心に残ったお話がありました。

「雄太が亡くなって、家内が重い病気になったとき、周りの人がたくさんいろいろなことを言ってくれました。宗教のお話や、そのほか今やはりつらい思いをしておられる人の話など。もちろん私たちのために言ってくださったことで、とてもありがたく思いましたが、大変な状況と悲しみの中、私たちの心にすんなりと入ってくれることは少なく、私たちはとてもつらく悲しい日々を送っていました。そんなとき、大ちゃんや雪絵ちゃんや、養護学校の子供たちのお話や、生き方が僕たちの心を一番なぐさめてくれたのです。そして、雄太の生きてきた意味や、出会うことを考えさせてくれたのです」私にとってこんなにうれしいお話はありません。

 お母様のご病気のことを、実際子供たちはとてもとても心配してくれていました。毎日のように白山にむかって手をあわせてくれたり、大ちゃんも雪絵ちゃんも自分のことのように心配して祈ってくれました。子供たちの気持ちが神様に届いたのかなってそのときに思いました。

子供たちの優しい心はきっと素晴らしい力があるのだと思います。そしてまたお父様とお母様の優しいお気持ちが、子供たちの心を動かさずにはおかないのだとも思いました。

今日いただいたお手紙で、雄太さんが「偶然なんてひとつもないと思うよ。出会えるべくして出会うんだよ」と優しい笑顔でおっしゃったことの意味を思いました。それから「僕は何が大切なことかを考えるときに、人が、人と出会ったり、事件と出会ったり、たとえば本と出会ったときに、出会った前と後でどう変わることができたかを考えたい」とおっしゃったことを思い出しました。

 人は出会うことで変わっていけるのですね。私は雄太さんとお会いできて、お父様とお母様とお会いできて、きっとお会いできなかったら、少しも感じることが出来なかったことや知ることのできなかった宝物をいっぱいいっぱいいただいているのだなあと思います。

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