うれしいこと

うれしい、ああ、なんてうれしいのでしょう。昨日の夜、森川さんのお父さまとお母さまからお電話をいただいたのです。
 「今日、退院してきました。体のどこにも後遺症が残らず、病院の先生からも奇跡のようだと言われているのです。手術前の先生からのお話で、この手術がどんなに大変か、そして、いろいろな後遺症が残るんだということでしたので、もう覚悟はしておりました。それなのに、すっかり大丈夫で、守られていたという気持ちです」
 私も本当は心配で心配でなりませんでした。雄太さんに守られておられると知りながらも、じっとしていられず、かと言って、森川さんがいらっしゃる春日井市はずっと遠くです。雄太さんとそしてたぶんお母さまもお好きだろう花の写真のはがきに、「春は見えないけれど一日一日近づいていますね」「白山がきれいです」とただ、思いつくままにかいて送っていた私のはがきを病室の窓に、まるで(「それがささえのように」とお父さまはおっしゃってくださいました)おまもりのように並べてくださったのだということをお聞きして、涙が流れました。

 森川さんは以前送った「1000の風」の本をとても喜んでくださいました。「家内と涙を流しながら、何度も繰り返し読んで、空で暗ずることができるくらいです。もう雄太の死をいたずらに悲しむことはやめようと話あいました。雄太を失ってから、私たちにはとても不思議なことがたくさんありました。1000の風になった雄太が、私たちを守ってくれているのだと実感しています。
 私たちは、大助さんや学校の子供さんからいろいろ大切なことを教わることができました。雄太をなくしてしまったけれど、もっと大事なものを手にいれたと思っています」

 大事な雄太さんよりもっと大事なものを手に入れたと思うとおっしゃる森川さんに、私はなんと言ったらいいかわからないほど、感動しました。そして、雄太さんのお父さまとお母さまは本当に素晴らしいかただとまた改めて思いました。

 三月になって、雄太さんのお母さまはもう体も七分どおり回復され、ほとんど普通の生活にもどっておられるそうです。先日、学校の子供たちにとたくさんの種類の花の種を送ってくださいました。「一粒でも学校にまいていただければ幸せです。手術の際に祈ってくださったこと、とてもありがたく思っています。私たちからのささやかんお礼の気持ちです」
 もう少しあたたかくなったら、いただいた種を教室のすぐそばの中庭にまこうと子供たちと相談しました。森川さんの花が、遠く離れた、小松の学校の庭中を美しく彩ると思います。花や私たちの上には、春のやさしい風がふくと思います。それもきっと雄太さんなのだと思います。

 雄太さんが教えてくださったことは、あまりに大きいです。人と人とが出会うことは偶然に見えても、ひとつだって偶然ではないのですね。どのひとつひとつのことにもいつも大切な意味があるのですね。そしてまた、人が生きることの意味、またなくなるということのことの意味さえも、雄太さんは私に考えさせてくださったのだと思うのです。
 上手にお話できないのですけど、そして、誤解をうけそうで、心配なのですけど、人が生きつづけるということと同じくらい、精一杯生きてそしていつか亡くなるということは大切な意味があるような気がするのです。
 
 人って素敵ですよね。雄太さん、ありがとう。本当にありがとう。ときどき空を見上げて雄太さんの風を感じていたいと思います。やさしくて、でも人を分けるということに対して、あんなにも激しい憤りの気持ちをもっておられた雄太さんの風の中に私もいたいと思います。

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