どこへ行くの?

本当に、大切であれば大切であるほど、その人を失うということはなんとなんと悲しいことなのでしょう。

 NHKの小松支局におられた雄太さんが亡くなられたことを以前、お父さまからのお手紙で知りました。そして昨日、お母さまからも便箋に10枚、お気持ちを綴ってくださったお手紙をいただきました。お二人の悲しいお気持ち、それから無念なお気持ちを思うと、私までもが、胸をふさがれるような気持ちがします。
 どうしてこんなに悲しいことがおこるのでしょうか。雄太さんはたとえようのないくらいやさしくて、誠実なお人柄の方でした。私の思い込みだらけの話を一所懸命聞いてくださり、そしてご自分も一言一言噛み締めるように、大切にお話をしてくださいました。人の生き死にやその長さを、その人の人柄や功績ではかっていいはずもないのですけれど、雄太さんのことを思うと、どうしてこんなに早く亡くなってしまわなければならなかったのだろうとくやしく思わずにはいられません。
 雄太さんが生きておられたときにも、時折雄太さんはどうしておられるだろうと考えましたが、亡くなられたことを知ってから、毎日のように雄太さんを思い出すようになりました。街を歩いていても、知らない人の表情の中に雄太さんに似た表情を探すようになりました。
 子供たちが「ねえ、人が死んだらどこへ行くの?」と尋ねます。私は「もしかしたらその人を愛する人の心の中へ行くのかもしれないね」と答えました。
 私のようなものでも、こんなに雄太さんのことを考えるのです。お母さまやお父さまはきっと毎日、まわりの何を見られても何を聞かれても、息子さんの雄太さんを思い出されるのだろうなあと思うのです。花も風もテレビの音楽も何もかもが雄太さんの思い出と結びついておられるのだろうなあと思うのです。

 雄太さんが電話で言われたことで忘れられない言葉がいくつもあります。「偶然に起きたり出会えたりしたように思えることでも、それはけっして偶然ではないと僕は思うよ。起きるべくして起き、出会えるべくして出会えたのだと思うんだ」と雄太さんは言われました。

 雄太さんが亡くなられたあと、雄太さんが言われたことはこういうことだったのかなと思うことがよくありました。
 朝日新聞の夕刊のコラムに大ちゃんの詩が載ったことがありました。その時、雄太さんのお父さまはちょうど雄太さんの残されたお荷物の整理をしておられた最中だったそうです。お父さんは新聞を見られて、私に手紙をだそうと思われたということでした。
 もし、違う日に大ちゃんの詩が新聞に載っていたら、私はきっとお父さまにお手紙をいただくこともなかっただろうし、私はきっと雄太さんが亡くなられたことも知らないままにいたと思うのです。私には雄太さんが、ご自分が亡くなられたことを教えてくださろうとしたのではないかというふうに感じられました。
 昨日お母さまからお手紙をいただいたばかりの今日、NHKの村井さんという女性のかたからお電話をいただきました。雄太さんの残された資料や本を読んでくださって、私に会いたいと言ってくださったのです。私が雄太さんに、何度も学校の子供たちのことをたくさんの方々に知ってもらいたいと言っていたから、雄太さんは亡くなってしまわれた今も、そうやって、私たちに新しい出会いを作ってくださったのではないかしらと思いました。昨日という日にお母さまがお手紙をくださったのは、今深い悲しみの中におられる雄太さんのお父さまやお母さまに、雄太さんは亡くなってしまわれた今も、やさしくてあたたかいお力で、私達にこんなふうに力をくださり続けているということを私に話してほしいと思われたのかなと思いました。そしてわたしたちのようなものでさえそうなのですもの。大好きなお父さまとお母さまのお近くにはいつだって雄太さんがおられてお二人を守っておられるに違いないのです。雄太さんもこのことをお二人に知ってほしいと思われたのに違いないと私は思いました。

 大好きであればあるほど、その人がいなくなってしまう悲しみは本当に本当に大きいです。でも雄太さんが私達の心の中にこうして幾度もよみがえってきてくださるように、それから不思議な力で、私達を守ってくださるように、人は亡くなってもその人のことを大切に思っている人のすぐそばにいつもいてくださってるのではないかなと今、そんなことを考えています。

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