雪絵ちゃんのこと
雪のたくさん降った日の朝、山道を学校へ行くと、木々の枝々が雪におおわれて、そのあまりのきれいさにため息をつくほどです。その景色を見るたびに私は雪絵ちゃんを思います。雪絵ちゃんは12月生まれなので、きっとこんな美しい日に雪絵ちゃんは生まれたのだと思います。お父さんかお母さんが、この景色のように美しく育つようにとそんな思いで名前をつけられたのかなあと・・・・そしてその景色の美しさは雪絵ちゃんの清楚な美しさそのままです。
私が雪絵ちゃんに初めてあったのは、腎臓の病気や喘息などの慢性の病気の子供たちが通う、病院のそばの養護学校に私が勤務していたときでした。雪絵ちゃんは、病気で熱が出ると、その後、目がみえにくくなったり、(ときには殆ど見えなくなったり)、手、足が動きにくくなったりする病気で入院していました。(MS、多発性硬化症)発熱の後、2ヶ月ほどのリハビリで症状は少しずつ軽くなるのですが、発熱前とまったく同じように回復するのはむずかしいそうで、今は、何回かの発熱で視力が落ちたり、緑と赤の区別がむつかしくなったり、杖が必要になったりしています。
私はその発熱のたびにただおろおろして、何もできずにいるのですが、いつも雪絵ちゃんは自分の力でその発熱を乗り越えます。回復するだろうことはわかっていても、目の前が暗くなったり、手や足に力がはいらなくなったら、どんなに不安で恐い思いをすることでしょう。でも雪絵ちゃんはそのたびに、たとえ一度は落ち込むことがあってもいつも必ず自分の力でたちあがるのです。
雪絵ちゃんからもらった手紙です。
「山元先生
先生元気ですか?私の方も順調です。お正月は外泊して大好きなお風呂に入ってゆっくりしてきました。(このときは入院中だったのです)でも院内はまだ車椅子を使ってて、外泊したときなど、横に人がいて、その人にしがみついているという感じですが・・・ちょっとうれしくないけれど車椅子買うことにしました。足はもうそろそろ固定してきたみたいです。これ以上良くならないみたい。私、また一人で外へ出られるようになりたかったけど、いまの状態では無理!でも、でも・・・再び雪絵は外の世界へ出ます。自信あり!です。自分の考え方、努力、そして工夫次第で世の中何とでもなるもんです。どんな体になったって、今までどんな足になったって、目になったってちゃーーんとやってきたし、これからもがんばります。
ある時、ふと母に私これでいいのかな?って聞いたの。その前に展示の新聞に原稿載ったんだけど、そこに夢を追い続け、そして自分らしく輝きたいってこと書いたんです。そしたら母がそれでいいよ。輝いているよって言ってくれた。すごく嬉しかった。やっぱりボランテイアやセミナー通ってて、夢を追いかけてていいんだって自信がついた。これでいいのかなって思いながらやってない。けど、誰かに認めてもらえると改めて、再び自信がメキメキ湧いてきます。うまく言えないけど嬉しいのです。ありがとう。私これから何だってがんばれそう。
この前、いじめのラジオで、子供が言ってたんだけど命は夢をかなえるキップだって言ってた。人生輝ける時はこれから先何度でもある、夢を追っていれば何かがみえてくる、いろんなことに出会えるって、だから死んではいけないというものでした。私、いじめとは違うけど、別の意味でうん、うん、って思った。私が生きているのは誰のためでもない。この世に生まれてMS(私の病名)で入院して、そして、また立ち上がるのは夢のためです。私は夢を実現させるために生きているのです。今、夢を持っている自分をとても幸せに思います。何があっても大丈夫。私には夢があるもん。
年賀状の大ちゃんの文章・・・・「僕が生まれたのには理由がある 生まれるってことにはみんな理由があるんや」
私も理由があって生まれてきたのかな・・・
私はいつも
MS(私の病名)である自分を無駄にしたくない
MSである自分を後悔したくない
MSであるじぶんを・・・好きと言いたい
そう思っているの。
MSでも自分を愛していきたい 大好きでいる MSになって・・・・・って悔やまない。MSだってうーんと笑えるし、楽しいことだっていっぱいある。MSになったからこそボランテイアに興味を持ってすごく楽しいし、MSになったことを少しは感謝したい位の気もちでいたい。MSを敵にせずに!とにかくMSの雪絵そのまま、まるごと愛しています。
夏にワープロ習って、最後の日位に作文みたいの書いたの。そこのプロフイールの一言のところに、病気になったからこそ知り合えた素敵な人がたくさんいます。私が病気になったことはけっして無駄ではなかった、と書きました。先生にも出会えたしネ。MSでなかったら会えなかった。けど元気だったら又別の素敵な人と沢山出会えたと思います。でも、私、今、周りにいる人に出会いたかったの。先生と出会いたかった。だからこれで良かった。別の人では嫌。今、私の周りにいる人に出会いたかった。先生と出会いたかった。だからこれで良かった。別の人では嫌。今周りにいる人がいい。先生がいい。今まで負け惜しみいっぱい言ってきた。病気でもこんなに楽しいんだよとか全然平気とか。でもね、本当なの。人と同じくらい悩んで、皆と同じ位楽しいことあるんだよ。・・・・こんなこと言わなくても先生にはわかってもらえると思うけどネ。
とにかく私はどんな体になっても、歩けず、見えず、手を使えず、話せなくなってもきっときっとMSの自分を愛していくと思います。MSの自分を後悔せず、無駄にせず、好きでいると思います。
中略
寒くなってきたけど体に気をつけてください。でも先生の周りっていつも何かポワーっとあったかい空気が流れてて・・・そんな気がします。
またお便りします。 1995、1,10 笹田 雪絵
雪絵ちゃん、雪絵ちゃんは本当に私の勇気です。いつも私に「生きることの素敵さ、素晴らしさ」「命というものの尊さ」を教えてくれます。
昔、一緒にお勉強した友達で、手の指が生まれつきとても短いという障害をもった子供さんがいました。お母さんが、その子供さんの手をなかなか認められずにいて手袋でかくしていたということが、子供さんにとってはとてもショックで、ずいぶん小さかったのにそのことを覚えていて「お母さんはあのころ私のことが恥ずかしかったの?」とお母さんに聞いたという話を伺ったことがありました。雪絵ちゃんはどんな病気を持っていても、どんな障害を持っていても、「私は私なんだ。私は私として生まれて私として生きて行くんだ」ということの大切さを教えてくれていると思います。そして病気の自分自身を、病気であるからこそ、もっと愛し、大切にしていて、「どんな体になっても、歩けず、見えず、手を使えず、話せなくても、MSの自分を愛していくと思います」と言い切る雪絵ちゃんの美しさが素敵で素晴らしくて、私は手紙を読みながらしばらく言葉をなくしたほどでした。
障害を持っているひとは楽しくないんじゃないだろうか、病気を持っている人は嬉しいことはないんじゃないだろうかと思う人がいることを、雪絵ちゃんは言葉にはしていませんが、嘆いています。「人と同じくらい悩んで、皆と同じくらい楽しいことあるんだよ」雪絵ちゃんは自分の言葉で、その気持ちを教えてくれています。本当に雪絵ちゃんはいったいどれだけ、人間にとって大切なことを教えてくれるのでしょうか。
人はすぐに比較をします。それって本当におかしなことです。でもそう言う私も、比較ばかりです。「あの人みたいにきれいだったらなあ」とか「お金持ちの人うらやましいなあ」とか。それから「障害があると大変だろうなあ」とか「病気なのにえらいなあ」とかそういう比較をしてしまう人もいると思います。でも・・・自分は自分なのに・・・そしてみんな悩んだり、喜んだり、同じようにしているのに・・・「病気の人は可哀想、貧乏な人は可哀想、障害を持った人は可哀想・・・そういう意識がどんなに間違っているか雪絵ちゃんは教えてくれます。大好きな物を探し、おいしいものを一緒に食べようねとさそってくれているように、いつも生き生きと前向きなのです。
私はいつもこの雪絵ちゃんの素晴らしさをもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思っています。雪絵ちゃんの書いているものはいつも私に勇気をくれるから・・きっとたくさんの人の勇気にもつながると思うのです。

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