ユリちゃんの話

最初にユリちゃんに会ったのは、ユリちゃんの病室でした。
ユリちゃんに会う前に担当の看護婦さんに言われたのは「この子の脳をCTで見ると真っ黒なのよ。ただ生きているだけでなんにも感じていないと思うのよ。いくら学齢期でも、授業となるとつらいと思うわ。ユリちゃんはもうすぐ転院にきまっているの。ユリちゃんもおうちの人もがんばったのだけど長期戦になっちゃったわ」ということでした。
 ユリちゃんは事故にあってこの病院に運ばれてきたのです。それからもう半年がたっていました。もう病状は落ち着いたということで、ベッドサイド学習が行なわれることにきまったのでした。わたしはそのころ病院に付属した学校に勤務していました。ほとんどの子供たちは慢性の病気で病院に入院し、病院から学校へ通ってきていましたが、ときどき熱がでたり、点滴治療が始まったり、病状が悪化して学校へ通えないようなときはベッドサイド学習といって、教員のほうが、病棟へでかけて授業をしていました。ユリちゃんは一応の治療をここで終え、最重度の障害児施設にうつされるということでした。そしてそれまでの期間、ユリちゃんの学年の担任がわたしだったので、ユリちゃんのベッドサイド学習はわたしの担当になりました。
 初めてユリちゃんの病室の扉を開けるとき、わたしはとても緊張していたのを覚えています。ユリちゃんの体にはたくさんのチューブや機械がつなげられていました。息を大きくすって「こんにちは」と言いながら入っていった病室からはなんの返事もありません。「わたしね、名前は山元って言うの。ユリちゃんよろしくね」何を言ってもユリちゃんからはなんの反応もありませんでした。次にわたしは何を言ったらいいのでしょう。何をしたらいいのでしょう。わたしは一日にたった一時間ユリちゃんといられるだけなのです。でもそのたった一時間ですらわたしは何をしたらいいのかわかりませんでした。あいさつをしたあと、わたしはそこにたちつくしてしまいました。頭でもいい、指一本でもいい、髪一本でもいいから動かして返事をしてくれないだろうか。看護婦さんの「生きているだけ」という言葉が頭をよぎりました。本当に「なにも感じていない」のでしょうか。
 「ユリちゃん、足をさすってみるね」「握手してみようか」「くすぐったいかもしれないけれど、お顔さわっていいかなあ」しかし、わたしがしたどのことに対しても、ユリちゃんはどんな行動もおこしていないようでした。
 一時間たって病室から出ると、ナースセンターの看護婦さんが、声をかけてくださいました。「どう?大変でしょう?わたしたちもユリちゃんがちゃんとわかっているんだと思ってお世話させていただいているんだけれど、でもユリちゃんはむつかしいわ。音に対する脳波の検査、痛みに対する検査、みんなだめだったのよ。ただ生きるという最低限の能力だけが残っているのよ。こんなふうに言っていいかわからないけれど、言ってみれば石を目の前にしているようなものよ。むなしくなってしまうから、考えこまないで。一応義務教育ということで、その時間そばにいてくれたらいいから」たちなおりもはやいんだけどすぐに落ち込むというわたしの性格をよく知っていらっしゃることもあって、すっかり肩を落として病室から出てきたわたしをおそらく元気づけようと、看護婦さんはおっしゃったのだと思います。
 わたしは看護婦さんの言葉を後に、逃げるようにして病棟から学校へもどってきました。何も聞こえない、さわってもたたいても何も感じない、それが本当だったら、わたしはユリちゃんにいったい何ができるのでしょう。どういうふうに毎日時間をすごしたらいいのでしょうか。涙があとからあとからあふれてきました。どうして涙が出るのかわからない。でも心が揺れて揺れてとまらないのです。
 明日、またユリちゃんとの時間がやってきます。ユリちゃんのことが一日中、頭から離れませんでした。ユリちゃんは本当に石のように何も感じないのでしょうか。何も考えていないのでしょうか。
 心が重くなって大きなため息をしたときです。あ、そうよ、そうなのよと思うことがありました。それは(でもユリちゃんは息をしている)ということでした。息をするのはどうしてなのでしょう。息をしないと苦しくなる、苦しい気持ちになるから、だから息をしているのじゃないのでしょうか。医学的なことはわかりません。ユリちゃんは容態が悪くなると、呼吸器にたよることもあるけれど、自発呼吸がまた出てきて、それから少しづつ呼吸器をはずすという繰り返しをしてきたということでした。だったらユリちゃんはきっと(苦しいから息をしよう)って考えてるんじゃないかしら。きっとそうよ、ただ、ユリちゃんの内側の気持ちと外側の気持ちの交信がうまくいけてないだけなんだわ。
 そう思ったとたん、さっきまで気が重かったのがうそのように、ユリちゃんに早く会いたい、早く明日になるといいと思うようになりました。
 でも、ユリちゃんに会ったとたん、またわたしの元気がなくなって、どうしたらいいのかわからなくなりました。仮に苦しいと考えて息をしているとしても、今どうやったらユリちゃんの内側の気持ちと交信する手がかりがえられるのかという大事なことが少しもわからないのです。
 けれど、ユリちゃんとの一時間はとても大切な時間です。いっしょにいて、何もしなければ、わたしたちは何も交わることがなく終わってしまうでしょう。きっとお互いに出会えた理由はあるはずなのに……
 看護婦さんにお願いをして、それからもちろんユリちゃんにも話かけながら、ユリちゃんの体のいろんなところをさわらせてもらうことにしました。手の先、お腹、額、首、どこかでわたしと話をしてくれないかと願いながらさわりました。そしてまぶたの上から眼球にふれたとき、ユリちゃんの眼球の小さな震えに気がつきました。それまであまりにもユリちゃんの体が静かで、少しも動かなかったので、眼球の震えはわたしの気持ちまで震えさせたようでした。
 そうだ、もしかしたらここで、ユリちゃんはわたしにお話をしてくれるのかもしれない、そう思って、窓をあけて風をいれてみたらどうだろうか、音楽をならしてみたらどうだろうかと考えました。気のせいかもしれないけど、窓を開けるとユリちゃんの眼球の震えは震えというより、ピクンという動きに変わったように思いました。ユリちゃんは窓から入ってくる音や、空気の流れや、温度や、においやなにかわからないけれど、それらの刺激を感じているのではないかと思いました。そして、脳波もピクンピクンと動いているのに違いないと思ったのです。
 病状が安定してから、お家の人の足が遠退いているというお話を看護婦さんからきいていました。けれど、その日、ひょっこりお母さんがみえたのです。わたしは初めての挨拶に加えて、自分が今日感じたことを話ました。でもお母さんは黙ったままでした。おそらく今までとてもつらいことの繰り返しで、ユリちゃんが何かにたいして反応するということなどもう考えないようにしておられたのだと思います。「眼球をまぶたの上からさわってみていただけますか」そうして窓をあけたとたんでした。お母さんの目から涙がポロっと流れおちました。「たしかに、たしかに目の玉が動きました。この子は何かを感じているのでしょうか」
「わたしはそう信じています。窓を開けたからというだけでなく、ここにお母さんがきておられて、今そばにおられることもなにもかもユリちゃんは感じていると思います。ただわたしたちにそれを伝える方法を今もっていないだけだと思うのです」
 医学的なことを何一つ知らないものがこんなふうに言ってよかったものかどうかはわかりません。でも、お母さんははげしく泣きながら言われました。
「ここに毎日くるのがつらくてつらくてしかたがなかったのです。でもこないのもつらかった。この子がわたしを喜んでくれていると思えるあかしがほしかったです」
 わたしはお母さんとユリちゃんといっしょに、もう少しの時間だけど、気持ちのやりとりの方法を探そうと約束しました。
 お母さんは「小さい頃うたった子守歌をうたってみようと思うのだけど……」
「あの子が好きだった、テレビの歌はどうかしら。それからチャイコフスキーのピアノコンチェルトをいっしょに聞いたのでもってきたの」とたくさんの提案をしてくださいました。お母さんはうれしそうで、それからとても張り切っておられるように見えました。
 そして、ユリちゃんの眼球はお母さんの歌や、チャイコフスキーのピアノコンチェルトでたしかにピクンピクンと動いたのです。わたしがそのときに思ったこと、それはたとえ耳の感覚が麻痺していたとしても、目の感覚が麻痺していたとしても、それから皮膚の感覚が麻痺していたとしても、人間はたましいで聞いたり見たり感じたりできるのではないかということです。ユリちゃんのたましいはお母さんの子守歌やお母さんの思い出で、目覚めてきたのだと思ったのです。
 しばらくしてはかった脳波にもよい変化があらわれたと聞きました。ユリちゃんはまもなく転院していきました。
 けっきょくわたしはユリちゃんと確かな気持ちの交信をする方法をみつけ出すことはできないままでした。けれど、ユリちゃんはきっとあのやさしいそしてユリちゃんと誰よりも話をしたいと願っておられるお母さんとの間で、いつか交信の方法をお互いにみつけていくのではないかと思いました。
 人はたましいでいろいろなことを感じるのではないかとあのときユリちゃんが感じさせてくれたことは今もわたしの心にとても深く残っています。重い病気で意識がなくなって亡くなられる少し前のときでも、きっとたましいでまわりにあつまってこられた家族のかたのことを感じることができるのだろうと、だからわたしは思います。

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