ゆみちゃんの哀しみ

 山から黒い雲がむくむくと湧いていました。強い風が吹いて、その雲がどんどん空へ広がっていきました。その雲はまるで今のゆみちゃんの悲しく暗い気持ちみたいに見えました。それから私の押さえられない怒りの気持ちのようでもありました。
 何に対して誰に対してこんなに腹をたてているのだろう・・と私は思いました。ゆみちゃんの社長さんにだろうか?きっとそれもあるのです。でも何か違う気がしました。ゆみちゃんの御両親に対してでしょうか?それとも、社会に対してでしょうか?それともそれら全部にでしょうか?いいえ、私はきっとそのどれかに腹をたてているのではないのです。たぶん、何もできない私自信の無力さに腹を立てているのです。そうに違いないと私は思いました。くやしい気持ちがまたわき上がってきて、涙が手の上にぽとぽと落ちました。ゆみちゃんも声を押し殺すようにして、泣いていました。
 ゆみちゃんは養護学校の卒業生しました。おうちではお話をするのですが、よその人に対しては声を出してお話することがいつのころからかできなくなりました。学校でも誰にたいしても声を出すと言うことはありませんでした。私とお話してくれるようになったのも、卒業まであと半年という頃でした。学校にいるときから手がとても器用でがんばりやさんのゆみちゃんはどんな作業もとても上手でした。一般企業への就職を望んでいたのですが、お話で気持ちをつたえられないということが就職をむつかしくしていました。それでもようやくきまったお仕事先が今いる部品の組み立ての会社でした。
 ゆみちゃんはそこでも一所懸命お仕事をしていたので、社長さんがとてもよくしてくれるのだと御両親にも私にもゆみちゃんはうれしそうに話してくれていたのです。けれど、2,3日前ゆみちゃんから悲しそうな声で会いたいという電話がありました。いそいで会いに行くとゆみちゃんは泣いていました。社長さんがゆみちゃんの体を何度も触るというのです。もっともっとゆみちゃんにとってつらいことを社長さんがしたというのです。なんということでしょう・・「お母さんに言ったの?お父さんに言ったの?」ゆみちゃんに尋ねると、ゆみちゃんは意外なことを言いました。「少しぐらいがまんしないと働けないって」
 私はびっくりして、ゆみちゃんと御両親に会いにいきました。御両親も本当はとても苦しんでおられたのです。お父さんが社長さんに尋ねると「可愛がってきたのに、いいがかりをつけてもらっては困ります。不況だから他にだって働きたい人はたくさんいるのです。それなのに、障害のある子と知ってやとっているのに、お礼を言われてもいいがかりを付けられる筋合いではないでしょう。第一そんな子供の言うことを間にうけるなんて、どういうことです」と社長さんに逆にすごい剣幕で怒鳴られたというのです。それで謝ってきたとお父さんはおっしゃるのです。「ゆみが話せないものだから、誰にもわからないとでも思ったのでしょうか?でもそういうことはこれからはもうないと思うのです。だからがまんして働きなさいとこの子には言いました。ここをクビになったら、もう働くところはないですから。先生もどうぞこのことに限っては胸におさめてください」お父さんはそう言いました。ゆみちゃんはそばでずっと泣いていました。社長さんのことを許せないと私は思っていたけれど、御両親のお気持ちをお聞きして、すぐにどうしたらいいのかわかりませんでした。ただやっぱりこんなことはとてもおかしいと思いました。
 それから私の心の中にはいろいろな考えが浮かび上がってきました。お父さんやはお母さんはやっぱりゆみちゃんのためにも、社長さんともっとお話をするべきではなかったのか。私は、御両親に、そのままではいけないのではないかとやっぱりもっとお聞きしてみるべきではなかったのか。
 そんなことがあってから、今度は社長さんがゆみちゃんに対していじわるなことを言うようになったのだとゆみちゃんは言いました。働く仲間に「あいつはばかだからしゃべれない。もし会社で口を聞くようなことがあっても、あいつのいうことは何を言っても信じないように・・」と社長さんが言ったのだということも聞きました。休み時間に休んでいると、「おまえは仕事がていねいすぎて遅いんだから、人とおんなじように休憩をとるな」と言われたとも聞きました。だからゆみちゃんはお休み時間も働いているそうです。そんなにつらいことがあっても、ゆみちゃんは毎日仕事に重い体をひきずるようにでかけているそうです。。
 昨日お父さんから電話がありました。「ゆみに仕事をやめさせようとは思わないけれど、社会では弱い者がいつもひどい目にあっているということを本当は世の中に知らせていきたいんです」
 毎日通うところがそんなにつらいところでも、それでもお仕事を続けないといけないものなのでしょうか?そう思ってせつなくなるのです。けれどお仕事がどんなにつらくても生きていくために頑張っている方が本当にたくさんいらっしゃることも知っています。でもでも私は思ってしまいます。会社の社長さんだから、やとっているのだからとなんでも許されるということはないはずです。そして、もし何かあったら、それはおかしいと思うとお話していくことはやっぱり大切なことだと思うのです。

「わたしの気持ち」のページへ

メニューへ戻る

inserted by FC2 system