山の学校

 病休や産休の先生の替わりに学校に行かせていただいいたときのことです。
 教育委員会から、次は山の学校に行って欲しいという電話をいただきました。その山の学校はへき地校に指定されているということでした。でも街からはそれほど時間的に離れていなくて、4,50分山奥へ入っただけの所にありました。学校までの途中の道は、”秘境地温泉”というのが、うたい文句の温泉の元湯があったり、トンネルをいくつか通ったり、見晴らしがよくて、金沢市街が展望でいるような場所を通ったりするので、4,50分とは言え、ずいぶん遠いところに来たなあという印象を持ちました。
 学校は二階建ての木造で、二宮金次郎さんの像が立っている玄関もそれから、しゃれた感じのする体育館もみんなどこもかも、可愛いらしく、まるで絵本に出てくるような山の学校でした。体育館は大きな古びた看板にやっと読めるような英語の文字が並んでいて、いったいどんな歴史があるのだろうと思わずにはいられませんでした。
 学校へ連れていってくださったのは、偶然(かそれともそういう配慮をしてくださったのか)、私の家の近くに住んでおられたその学校の男の先生でした。私はまだ車を持っていなくて、どうやって通ったものだろうと思っていたときに、校長先生から、お電話をいただいて、「高学年の先生があなたの家の近くに住んでおられるから、行き帰りはのせていただきなさい」と言ってくださっていたのでした。申し訳なく思って、「バスで通います」と言ったけれど、「バスは日に何本しかなくて、丁度いい時間のバスはないから、そうしなさい」と言っていただいて、それからその男の先生も電話で「いいから、いいから」と言ってくださって、ご好意に甘えることにしたのでした。
 車が学校に着くと、10名ちょっとの子供たちと何人かの大人の方が学校から飛び出してきて、私を迎えて下さいました。「おまえら、早いな」男の先生の言葉に、子供たちは「今日は新しい先生、来る日だからね」とニコニコ話してくれるのです。「これで全部です」・・私は10人の子供たちの日に焼けた真っ黒なにこにこした顔をドキドキしながら見つめ、その前日まで金沢一のマンモス校と言われる学校で、全校集会のののきに体育館にぎっしりといた子供たちのことを思いました。
 新しく行ったその学校には、校長先生、教頭先生、校務員さん、高学年の男の先生、中学年の女の先生と私の7人で、保健の先生はご病気でたまにとなりの学校から、先生が来て下さるということでした。私が担当ささえていただいたクラスは一年生が女の子ひとり、二年生は男の子一人と女の子一人の3人のクラスでした。こんなに小さな子のクラスで、2学年にまたがるクラスをどうやって受け持たせていただいたらいいのだろうと思っていると、中学年の女の先生が、「私、今年で3年目だけど、みんないい子たちだし、何の心配もいらないから」と元気づけてくださるのでした。心配していたことがうそのように、私はその学校の自由な雰囲気にすぐになじんでいきました。
 体育の時間は全校を通して、一緒に行われていました。3時間目に運動場で、体育の野球が始まると、一年生から6年生、そして、私たち全員がメンバーになりました。小さい子のときはストライクはいくつまででもいいなどという特別ルールがあって、子供たちが、みんなで楽しく野球ができるように工夫されていて、感心しました。私があまりに打てないので、「特別ルール適用・・」と言われました。そんなふうに楽しくやっていたのですが、ひとたびホームランが出ると、人数が少なくて、守るのがとてもむつかしいのです。6先生のけんちゃんが、「だいじょうぶ、もうすぐやってくるから・・」と言うのです。誰を待っているのだろうと思ったら、そこへ、制服と帽子をつけた、バスの運転手さんが「おまたせー」と来てくださいました。びっくりしていると、男の先生が、「ここがバスの終点だからね。次のバスが出るまで、1時間の休憩があるから、運転手さんはここで、野球したり、授業を見ていったり、受けたりね、していくの。お茶飲んだりね」その次に今から考えると、覚え違いではないかなんて思ってしまいそうだけど、でも本当なのです。おまわりさんと郵便配達をしておられる人も 次々とこられて、打席にはいって、打ったり、守ったりして、時間になると「休憩終わり・・」と行ってしまわれるのです。
 ある日は男の子が教頭先生の所に来て、「先生おはよ、あけびが100くらいぶらさがっているところを見つけたから、今日とりにいこうよ」と言うのです。「先生方どうかね・・」教頭先生のことばに、うれしいけど、お勉強全部やめて、行こうって言ってらっしゃるのかな?それとも休み時間かな?と不思議に思っているとお二人の先生が次々に、「OKです」「もちろん」と言われて、私の意見を待っておられます。「私ですか?」まさか、昨日、今日来たばかりの代替えの講師の私の意見まで大事にして下さるなんて思わなくて、思わず尋ねると、「一人でも反対だったら、やめるさ」と教頭先生がおっしゃって、「行きたいです。きっと子供たち3人も大喜び」とお話すると、「よっしゃ・・きまり」とその日はあけびとりになるのです。子供たちは山を歩くのがすごく上手で、だんだんと私が遅れがちになってきました。「おまえら、街のお嬢さんリードしてあげれ」と男先生がおっしゃって、私は「お嬢さんって誰だろう・・まさか私?」なんて思っていると、子供たちが私の手をみんなでひっぱったり、後ろから押してくれるのです。人のまったく通った跡のないような道まですすむので、「こんなところに入って行ってだいじょうぶ?」と思わず尋ねると、「熊くらいなら、おるやろうな」なんて言ったり、「少なくとも蛇は何匹からおるな」なんて言うのです。今も山の方の学校に通っているけれど、そんなに奥まで行くことはないから、びくびくして進みました。その奥のところに、大きな大きな木があって、その木にあけびのつるがたくさんからまっていて、あけび100個というのは大げさじゃないくらいぶらぶらさがっていました。「よくこんなの見つけたな」と教頭先生に言われた男の子は、本当に誇らしげで、うれしそうでした。種がいっぱい入っているあけびはとても甘くて、甘くて、それでめずらしくて、忘れられない思い出になりました。
 お昼になると、街の給食センターから軽トラックで給食が運ばれてきました。でもそれとは別に、学校のお皿が一人にひとつづ配られました。「何のお皿?」クラスのたまちゃんにたずねると、「今日は、何かおかずのある日なの。きっと」と言うのです。そこへ近所の方が大きなおなべを持って来て下さって、おなべから、ちくわとじゃがいもとこんにゃくを一つ一つのお皿に分けてくださるのです。ある時は、おつけものだったり、あるときはとうもろこしのゆでたのだったり・・入れ替わり持ってきて下さるのです。教頭先生の「ここらへんの人は本当にあたたかい人ばっかりで、たくさん作ったからといっては、お昼に子供たちや僕たちに配って下さるんや」というお言葉に、たくさん作ったからといっても、子供たちと私たちで、20人近く・・きっと私たちのために作って下さったのだなあと思いました。
まるで夢のような学校でした。教室の窓を開けておくと、窓から、大きな大きな見たこともないような大きなオニヤンマがとびこんできて、私のすぐ近くにとまって、ギョロっと私を見るから、「ワッ。ワッ。ワッ」と目を白黒させていると、一年生のちいちゃんも2年生のたまちゃんも、そんな私がおかしくてたまらないと、「先生だめだなあーと笑うのです。せみも入ってきて、教室の柱にとまって、ものすごく大きな声でジジジジーとかカナカナカナとか 鳴く出すのです。「セミ、セミ・・」と大騒ぎすると、「セミに決まっとる」なんて言ってまた笑います。「せみぐらいおるわいや」なんて言うのです。教室もろうかも、みんな縦の目の板の間で出来ていて、それがよく磨かれていて、そこにお昼寝したら、気持ちがいいだろうなあと思うくらいすべすべです。前の学校はマンモス校で、そこはそこで、素敵な出会いがいっぱいあってとても楽しかったけれど、あの、大好きな子供たちがここで、もし一日でもくらせたら、どんなにうれしくて楽しいことだろう・・いじめたり、いじめられたり、そんなこともとてもつまらないことに思えるだろうなあとそんなことを考えました。
 「明日、先生の歓迎会やるから・・」というお話で、夕方、うれしく出掛けたときもびっくりしました。学校の先生方はもちろんのこと、全校の生徒さんのご両親やおじいちゃんやおばあちゃんや、時々野球に加わって下さるバスの運転手さんも、郵便局の方も、おまわりさんも、町長さんも、おひるを持ってきてくださるかたも、みんなそろって待っていて、くださったのです。「先生、結婚の相手、決まっとるんけ?」「あそこのあんちゃんはどうやろう」「俺の知り合いの歯医者さんはどうや」と勧めて下さったりもしました。
 「この女先生、このあいだ、迷子になって、がけから落ちかけとったん、わし、助けてやってん」なんて、前の前の日に、理科で使う教材を探していて、道がわからなくなって、道をはずれたら、崖だったのを少し落ちてしまったのを、助けてくださった方の話しも、もうみんなご存じだったりして、私もかざらず、ありのままでいることができて、本当に楽しい毎日でした。
 この学校大好き・・ずうっといたいし、この学校もずっとなくならないでいてほしいと思っていた私はちょっと気になることがありました。職員室に貼ってあった、入学予定者の表は6年後まで書いてあって、(それより先は、考えたら、まだ生まれていないからわからないのです)来年一人、3年先に一人と書いてある以外は0人だったことです。
 私は本当に受け持っておられる女先生のかわりだったので、しばらくして、その方がお元気になられて、私が学校へ通う最後の日がやがてやってきました。お元気になられたことはとてもうれしかったけれど、お別れの日はとてもさびしくつらかったです。3時間目はお別れ会と前の日に教頭先生がおっしゃっておられたので、またバスの運転手さんが来て下さるのかなあと思いました。「いいって言うまで入ったらだめだからね」と言われて、」それまでの間、教室で待っていると、あんなこともあった、こんなこともあったと夢のように楽しかったゆったりとした毎日を思い出すだけで、涙が出そうでした。でも今日は鳴かないで、ちゃんと「ありがとうございます」とあいさつをしようと決めていました。クラスの子供たちにも「せんせい、あいさつできるんか?がんばってね」と言われていたのです。たまちゃんに迎えにきてもらって、体育館に入っていくと、中島みゆきさんの「時代」の歌が流れてきました。そこにはなんと村じゅうの方が集まってきてくれていました。大工さんをしておられるちあきちゃんのお父さんも、水道のお仕事の学校の前のおじさんも、歩いていると、「トマト、持って帰り」と言ってくださったおばさんも、みんな来て下さって、「俺仕事休んでしもうた。みんなそーさ。先生、子供みたいで、ほっとけんもんね」と言ってくださって私はどうしてどうして、私のように短い時間しか一緒にいられなかった何もできなかったものに、こんなに温かくしてくださるのだろうとただただ胸がいっぱいになりました。私が泣きながらありがとうございますとやっと言うと、みんなも泣いてくれて、がんばれよ・・と何度も声をかけてくださいました。
 こんな思い出につまった学校が、2,3年前新聞で、何キロも離れた所にある学校と統合になって、あの場所は廃校になってしまったと知りました。あの可愛い体育館も、教室も、みんなで野球をした運動場も、今は、子供たちの声はひびいてはいないのでしょうか?
 町中の人が子供たちを育てていて、学校や、子供たちや、そこで働く教員や、みんなを大事にしてくださった、本当に夢のような山の学校でした。あんなにもみんなに囲まれて、温かく育っていた子供たちはどんな素敵な大人になっていることだろうとときどき、思い出します。

 

「わたしの気持ち」のページへ

メニューへ戻る

inserted by FC2 system