敏君の話

敏君と出会ったのは敏くんが小学校4年生のころでした。敏くんは、いつも大きな目でまっすぐに私の顔を見て、お話をしてくれる男の子でした。
ある日のことでした。敏くんのその日の言葉を私は今でもはっきりと覚えています。

その日、敏くんはいつもほどの元気はないように見えました。何かいいたげで、でも「ん?」と何かいいたいことがあるのかなと首を傾げて敏くんを見つめても最初敏くんはなにも言いませんでした。けれど、そのうちになにげないように敏くんは話し出しました。
「表の通りにさ、目玉が三つある人があるいていたらいいのにね」それからこんなふうにもいいました。「おなかに顔がある人がさ、手が十本生えている子供の手をひいてあるいていたらいいのにね。ぼくそんなことしょちゅう考えるよ」

「えーーどうして敏くんそんなこと考えるの?」
敏くんはいつになくうつむいて、なかなか答えようとはしませんでした。そして決心をしたように、唇をかみしめて
「だってさー。だってさー」口ごもって、それから少しいいにくそうに言いました。
「僕のこと一本足の傘次郎って友達が言ったんだ。僕すごくくやしかったよ。だけど友達のことを怒ってないよ。友達が悪いんじゃないんだ」
私は胸がつまりそうになりました。敏くんの片足の膝から下は、小さいときの事故で失われていました。おうちの方も敏くん自身もそのことについて、足がほかの人とたとえ違っていても、できるかぎりのことはするんだと言っていたのです。こんなにがんばりやの敏くんに対して、友達はなんてひどいことを言うのでしょう。それなのに、敏くんは友達が悪いんじゃないと言うのです。怒ってないって言うのです。いったい誰が悪いというのでしょう。小さい子のたわいのないけんかなのかもしれないけれど、それでも人を傷つけるそんな言葉は使ってほしくないと思いました。

敏くんはいつもとても明るくて、今までもいろいろなお話を私にしてくれていたのですが、足のことでこんなふうなことを言ったことはその日が初めてでした。お友達もたくさんいて、週に一回の病院通いと当時私がつとめていた学級へもたくさんの友達と一緒によく顔を出してくれていたのです。だからどうして敏くんのお友達が敏くんのことを「一本足の傘次郎」なんていわなければならなかったのか、とても不思議に思いました。そして敏くんは今、いったいどんな思いで、目玉が三つある人が歩いていたらいいっていったのかということがよくわかりませんでした。だけどね、敏くんはこんなふうに考えていたのです。
「だってさ、目玉が3つの人とか、頭が二つの人とか手が10本の人とか、いろんな人がたくさんふつうに歩いていたら、僕が片足でもじろじろ僕のこと見る人なんかいなくなると思うんだ。誰も僕のこと特別扱いしなくなると思う」
最後には泣き声になってしまった敏くんをただ抱きしめて、私も一緒に泣いていました。敏くんはいつもとっても明るいけれど、「やあ、山元ー」ってお部屋に飛び込んできてくれるけど、こんなに小さな胸をいつも痛めていたんだなあ、でもそんな様子を少しも見せないでいて、私も少しもそのことを知らないでいたのです。

少しずつ敏くんは、その日にあったことを話してくれました。

父さんは片足だからってできないって思っちゃだめだって言うの。僕もそう思うよ。僕は片方の足が短いけれど、杖があればなんだってできる。山元も知ってるよね。鉄棒なんかは大得意なんだ。 昨日の鉄棒で僕逆上がりすごく上手にできたんだよ。そしたら先生が「みんな敏を見てみろ」って言ったの。「おまえたち足が片方しかない敏がこんなにがんばってるのに、だらだらとして、逆上がりできなくて恥ずかしくないのか」それから僕の友達にむかって「おまえはマラソン大会でも敏に負けていたじゃないか。どう思うんだ」って言ったんだ。僕ね。すごく嫌だったよ。友達のこともすごく気にかかったの。友達は先生にそんなこと言われて、顔を真っ赤にしてうつむいてた。僕が鉄棒できたこと、僕がマラソン大会で走れたことは、片足が短いこととは別だよ。鉄棒得意だし、杖は足のかわりをしてくれるから、そんなに早くはないけど、長く走っても平気なのに、先生はどうしてあんなことを言うんだろう。僕、ぜんぜんうれしくないのに、すごく嫌なのに。先生はいつも言うんだ。敏は足が悪いのにがんばってるって・・・そのたびにいやあな気持ちで体がいっぱいになるんだ。そのたびに僕、友達が離れて行く気がするんだ。帰り道、いつも一緒に帰るのに、友達が僕をおいて先に帰っていったから、追いかけて「一緒に帰ろう」って言ったら、友達が僕のこと「一本足の傘次郎」って言って走って行ったの。ね、山元。僕片足が短いのは本当だから友達が僕の足のこと片足短いねって言っても平気だけど、でも今日はすごく悲しかったの。友達は先生に足が片方短いやつより駄目だって言われたことになるのかなあ。だから怒ったんだよ。それで、僕も本当は片足が短いから駄目なんだって言われたような気持ちがしたの。もっといろんな人がいっぱいいたら、僕のこと誰も特別だと思わないと思ったんだ。山元、父さんがいつも言うんだ。「足が片方短いから敏は優しい気持ちをもらったんだって。片足が短いことをいいことだと思え」って。それから病院で訓練の先生と会えるし、山元にも会えるし他の人より得もいっぱいしてるって言うんだ」
まだ4年生の子供がこんなふうに 涙ぐみながらも話せることにとても驚きました。たった4年生の敏くんのが・・という私の思いはもうそれだけで、子供たちにたいしてとても思い上がったものなんだと思います。でもこんなに小さい敏くんがどうしてこんなに大切なことを自分のものにしているのだろうと私は思わずにはいられませんでした。そしてそれは敏くんの強い気持ちの表れのように思いました。敏くんやお父さんが言われたように、片足が短いという現実が敏くんをとても思いやりのある、考えぶかくそして、明るい少年にしてくれたということがあるのでしょうか。しばらくして、私は、敏くんは僕の足が片方短くなかったらよかったとは言ってないのだと気がつきました。片足が短いのが僕で、そのことは別に悪いことじゃない。だけどどうして、みんなと少し違うだけでじろじろみられたり、特別扱いされるんだ。それは間違っているよときっと敏くんは言いたかったのかもしれません。敏くんの担任の先生の姿は私の姿だと気がつきました。先生がなんとか敏くんを励ましたくて、クラスのみんなを励ましたくて、使われた言葉がその両方を深く傷つけてしまうということに気がつかなかれなかったように、私も敏くんの本当の思いを知らずに、ただ友達の言葉だけを憎んでしまったなあと思うのです。

敏くんの前で、私は本当になにも考えていなし、気がついていないんだということがとてもショックでした。大人たちはいつもまるで自分が子供たちを教えるものだ、指導するものだ、導くものだなんていばってそっくりかえってて、なんにも大事なことに気がついてないのです。こんなに柔らかい子供たちのそばにいて、そんなことでいいはずないのにです。 それでも私は明日もあさっても子供たちのそばにいるんだ。いったいそんなこと許されることなのでしょうか?
しばらくなにも手がつかないくらい、それはわたしにとってとても大きなことでした。

敏くんは今大学生です。夏休みになったよとたずねてきてくれたのです。敏くんは大学で人権について勉強をしているんだそうです。
敏くんはすごくたくましくちょっとSMAP の香取慎吾くんに似ているすてきな青年になっていました。あいかわらず私の顔をまっすぐに見て、「山元、社会には本当にすごくたくさんの差別があるんだよ。なぜこんなことで差別になるんだろうって思うようなことばかりでさ、大学の先生は、人間は生きている限り、人を分けたがるものなんだ。人間の宿命みたいなものだけど、でもだからまかり通るというものじゃなく、いけないことだ、間違ったことだと気がついていけるのが人間だっていうんだよね。ね、山元。差別ってなくなっていくと思う?」
うーーんどうだろうと首を傾げた私に敏くんは「捨てたもんじゃないんだよ」と言いました。「中学校の公民の教科書みたことある?あれの一番最初に人権のことが出てるんだけど、そこにね、わざと人を傷つけたり、差別をすることはもちろん許されることではない。でも我々は知らない間に多くの差別をしている。たとえば駅の階段をのぼりおりしていて不便を感じない。けれど車椅子に乗った人はとても不便だ。だけどそのことに気がつかない。気がつかないということはそれだけでもう差別で、ゆるされることではないということを我々はしらなければならないってね書いてあるんだよ。公民の教科書の一等最初にね、書いてあるんだよ。それみつけたときうれしかったなあ。家庭教師のアルバイトしてて、みつけたんだけどね」
敏くんはすごくうれしそうでした。

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