僕「植物人間」と言われていたとき

以前、お名前は忘れてしまったのですが、医王養護学校の重心に勤務しておられた先生のお話で、病院におられる「植物人間」と思われているお子さんに医療機器をつけて、病院内をストレッチャーで散歩したり、外を散歩していると、あきらかに子供さんの心拍数や呼吸の様子が違うことがわかるということがありました。それでその先生はどんなに障害が重くても、外の風や外の雰囲気は子供さんに影響を与えていると思うと言っておられました。

私もきっとそうに違いないと思うのです。「息をしているだけ」などと言われている方だってみんあ同じように気持ちをもっておられて、ただそれを伝える方法がご本人や、周りの人にみつけられないだけなのではないだろうかと思うのです。
昔知り合った友達がこんなふうに教えてくれました。「僕は暴走族やってて、バイクでけがをして、下半身不随になってしまったのだけど、事故の後、長い間、植物人間やったんや。でも本当は植物人間じゃなくて、栄養も鼻からいれとったけど、いろいろわかっとったんや。あれが食べたいとかも思ったし、寝ているときも多かったけど、目をつぶっていてもおきていることも多かった。『何もわからんようになってしもうて』とか言われて、中には高校の教師でお見舞いにきて『こんな体になってしまって、分からんことが幸せかもしれん』 て言うたやつがおって、本当に傷ついた。前の暴走族のときの仲間が来て『俺なあ、族をやめるわ。妹さんや母さんや、父さんが事故のことでこんなに悲しんで泣いとるのを見たら、俺もいつ事故るかわからんし、親孝行はできんけど、悲しませんようにならできると思ったんや。おまえのおかげでそう思えたんや。もう無茶やっとられんしな』って僕の枕元でしみじみ言うてくれたとき、僕が聞いてるってわかって話してくれてるんや、そうや、やめたほうがいいと本当にうれしかった。僕の親友はこいつやと思ったよ。な、先生。寝てるだけど言われている人もみんないろんなこと考えているんやわ。先生、絶対にそのことを忘れんといてな」そして「暴走族って呼ばれている連中もいいやつばっかりなんやから、高校の先生にもしなることがあったら、そのことも忘れたらいかんよ」と言いました。
それからこんなこともありました。病院の付属の学校にいたとき、肺炎でかつぎこまれた小さな女の子が意識不明になり、それを乗り越えたとき、「眠ったまま息をしているだけ」の状態になり、個室からようやく大部屋へうつってこられたときも、そばについておられたお母さんは毎日ただ泣いてばかりでした。
学校へ通っている子供たちと同じ病室だったので、しょっちゅうその部屋に出入りしていた私は、何も言ってあげられず、つらい気持ちでしたが、毎日いると女の子の様子で気がついたことがあったのです。女の子の目はいつも遠いところを見ているようでしたが、それでもお母さんがそばについておられる時と、そこからお母さんが離れていこうとされるときの女の子の目の様子が、どうお話ししたらいいのかわからないのだけど、違うように思えたのです。お母さんにお話するとそんなはずはないとおっしゃいましたが、毎日のことでしたので、それは間違いのないことのように思われました。食事はチューブで鼻から入れていたのですが、看護婦さんにお願いして、口にちょっと味見だけと言って、コンソメのスープを入れると、女の子の目はあきらかにうれしそうでした。お母さんはとてもよろこばれたし、女の子もきっととても嬉しかったと思います。お母さんは私に、「泣いてばかりいて、この子に話しかけることを、この子を見つめることを忘れていました。この子が死んでしまったほうが幸せだったのかも・・・などと、この子のこと、そしてある日は、自分の将来のことを考えて、そう思ってしまっていました、でも、もう泣くのは少しだけにします」とおっしゃいました。
女の子は3ヶ月くらいでどんどん表情が出てくるようになりました。もしお母さんが「女の子に話しかけるのを忘れてたけど、今日からは一緒に気持ちをお互い伝え合っていきます」と決心なさらなかったら、今の女の子の状態はなかっただろうなと、本当に素晴らしいお母さんの力を思いました。
私たちはすぐに目に見えるだけで判断してしまったり、思いこんでしまったりするけれど、その多くはまちがいだと気がつきます。目に見えないところに、心の言葉があり、それを伝えたいという気持ちと、それを聞き取りたいという気持ちが重なって、お互いが大好きどうしになれた時にこそ、心の言葉は伝えられるのだと思います。

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