晋君

 クラスで大笑いするような楽しいことがあっても、晋君はほとんど笑うことがありませんでした。自分のことを話すこともまったくといっていいほどなく、何について尋ねても「いや、いいです」と心を閉ざしているような感じをいつも受けるのでした。私はそんな晋君のことがとても気にかかっていました。

 遠足の時に、子どもたちと教員が一対一で組むことになっていたので、「晋君に誰と組む?」と尋ねると「誰でもいいです」との答えが帰ってきました。「じゃあ、組んでもいい?」と私が言うと、晋君はなんだか複雑な表情をして、すぐに首を縦に振ってはくれませんでした。私は(もしかしたら、晋君に嫌われているのかな)と悲しくなりました。結局遠足で晋君と組むことができ、晋君とバスの中でも行った先でも、一緒にいることができました。けれど、晋君はあいかわらずバスの中で無口でした。お昼ご飯に「私のお弁当も食べてね」と勧めると晋君は少し険しい顔をして言いました。「先生、僕たちのことほっといてよ。先生はどうせ長くても3年いたら、他の中学や高校へ行くんだ。ずっと養護学校にいるわけでもないし、とにかく3年がまんしたらいいって思ってるんだろう。僕らだって、そんな先生と仲良くなったら、あとがつらいだけだよ」「がまんだなんて・・そんなこと一度だって思ってない。がまんすることなんてひとつだってない」「先生はいつもみんなととても楽しそうだった。僕もその中に入りたかったけど、入るとあとでつらくなるから僕は先生と仲良くしないでいようと思う」

 私は子どもたちとすごすことがそのときだって、大好きでした。確かにそのころ教員の新規採用は養護学校が多く、3年ほどして、公立の小中高の学校へ転任して行くことが多かったのです。「高校へ行かれた先生だって、きっとみんなと出会えたことがとてもよかったはず、養護学校にいたいという夢、高校へ行きたいという夢、夢はいろいろだけど、でもどこに行ってもずっと友達でいられるわ」晋君は「きれいごとだよ。離れたら僕らのことなんか忘れるよ。僕は慣れているから平気さ」と言いました。晋君はきっとこれまでにもとてもつらい別れを経験してきているのでしょうか?私はそのころからずっと養護学校にいたいという夢があったので、「私、みんなといるよ。絶対に絶対に誰のことも忘れない。ずっと大好き」私の言葉をさびしそうに笑って聞いていた晋君の姿が忘れられません。晋君は筋ジストロフィでした。それから5年後になくなりました。私ずっとずっと晋君とは友達でいるよと今もそう思い続けています。昨日が晋君の命日でした。

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