おばあちゃんの短歌

 去年のお話

今日は運動会の代休で学校はおやすみでした。朝からとてもいいお天気。こんなにぽっかりあいた一日、何をしようかな。
 朝いつも、ばたばたしてて、どうしたっていそがしいから、毎日できないことをしようと思いました。おふとんを丸裸にして、外の大きなものほしによいしょと干して、それからシーツを4枚バスタオルも3枚洗濯しました。それを物干しや、木にロープをつないでほしていたら、近所のおばあちゃんが「おめら」と声をかけてくださいました。「おめら」っていったいなんだろうって思うでしょう。私もこっちへ来たばかりのときは「おまえなあ」とか「きさま」とかいう恐い言葉を連想してしまってどうお返事していいかわからなかったのです。でもこれはどうやらあいさつのことばなのです。だって、公民館の前にたってる看板で「あいさつをしましょう」の字の横に「こんにちは」とか「ありがとう」の言葉にまざって「おめら」って書いてあったんだもの。それで意味はよくはわかっていないんだけど、私が思うに「お前さんたち、精が出ますね(がんばってるね)」っていう感じじゃないかなって思うのです。それでそのお返事はやっぱり「ありがとう」とか「はーーい」とかかなって思うのです。で、今日は朝だったので「あ、おはようございます。いいお天気」って言いました。
 それにしても、お洗濯したシーツとかがぱたぱたしてるのを見るのって本当にいい気持ち。私の心がこのところ少し元気がなかったのをかえってちょっとだけ思い出すくらいうれしい気持ちになりました。
 お洗濯していい気持ちになったら思いついたのです。「そうだ。郵便局にもいかなきゃね」
 普段は学校があってなかなかいけないのです。書留や、書籍やエアーメイルを今日はおくれるな。
 出かけたのは小さな、町の郵便局です。いろいろ教わりながらたくさんの郵便物を出していたら、郵便局の方が、声をかけてくださいました。「詩、読みましたよ。本も読みましたよ」
 すごくうれしくて「ありがとうございます」って話をしていたのです。そして、順番を待つために、後のソファーに腰かけていました。
 お隣に座っておられたおばあちゃんは私と郵便局の方との話を聞いておられたのでしょう。「ああ、あなたですか。私も詩の本読みましたよ」もうなんだかとてもうれしくてうれしくて、おばあちゃんに抱きつきたくなるくらいです。おばあちゃんはとてもゆったりと笑われました。「私もね、詩を作るんですよ」「そうだ、私の詩をみてくれませんか。それからなおしてくださいな」
 私はすっかり困ってしまいました。あれは大ちゃんの詩画集で私が詩を作ったわけでも、それからもちろんなおしたり、指導なんかをしたわけでもないんですもの。そう考えたけど、もしかしたら、おばあちゃんはただご自分がつくられた詩を、誰かにみてほしいって思われただけかもしれないなって思いなおして言いました。「私、なおしたりなんかできないけど、おばあちゃんが作られた詩、ぜひみたいです。みせてください」
 お手製だと思うんですけど、ちくちく縫ったパッチワーク布製のバッグからおばあちゃんは大切そうに小さな手帳を取り出されました。そして少し恥ずかしそうに笑いました。「下手ながやけど、みてやってね」
 見せていただいた手帳にかかれたものは、詩というよりたぶん短歌なのだと思います。きれいな字でていねいにかかれたいくつもの短歌の中に、みつけた文字に私はとてもとまどいました。「死期迫り」「再発の告知」「苦しみを忘れる」……そんな字がたくさん並んでいたからです。
 こんなにお元気そうなのに、こんなに穏やかにしておられるのに……急に、悲しくてなんだか恐くて、それからせつない思いが胸にこみあがってきて泣きそうになりました。どんな顔していたらいいのかわからず、大きく息をすって、下をむきました。
 「あら、そんな悲しそうな顔しないで、ばあちゃんは今、おかげさまで幸せなんやから」「泣かせるつもりはないんよ。ごめんねぇ。ばあちゃんはばあちゃんの生き方をこうして詩にのこしておきたいの」「ばあちゃんは詩に書いてあるとおり、なんにも恐くないよ。生かしていただいて、その時期がきたらみんな死ぬんやから。どんなにえらい人も普通の人もそれだけはみんないっしょやて」
 人はいつか亡くなるのだけど、確かにそれは間違いのないことなのだけど、私はまだ、死を悲しいもの、恐いものとしてしか受けとめられていないのだなあと思いました。
 家へ帰ってからもぼんやりと、生きること、死ぬこと、そして死が近いときのことなどを考えていました。
 急に玲子ちゃんにあいたくなりました。玲子ちゃんは看護婦さん。もしかしたら、夜勤あけとか準夜前とかで家にいるかもしれません。玲子ちゃんは私の中学のときの同級生です。不思議なことに、気が付いたときは、隣の隣に住んでいました。金沢の中学で同級生だった二人が今、近くに住んでいるというとみんなみんなすごく驚きます。私たちだってびっくりです。しょっちゅういろんなことを話したり、またいっしょに遊んだり、きのこがたくさんとれたからといっていただいたり、お互いがとても必要な仲なのです。お互いがお互いの事情で、偶然、こうして隣の隣に住んでいるのだけど、きっとなにか大きな力のもとでお互いが必要だからそうなったんだという気がするのです。
 電話をかけたら玲子ちゃんはうれしいことに家にいました。「もしもし」も言わないでいきなり「私、運動会の代休で今日お休みなの」というだけで玲子ちゃんはなにもかもおみとおしのように「何時にくる?」と聞いてくれました。
 玲子ちゃんは大きな病院の主任看護婦さんです。
「昨日は大変だったんだ。危ない患者さんが4人もいたの。もうどんな治療をしてもだめ、もうあと何日かで亡くなってしまう患者さんや家族のかたに私たちができることといったら、強心剤をうつことでも、むやみに命をながらわせることでもないの。痛みのために体をえびのようにそって苦しんでいる患者さんに少しでも痛みを少なくするように、やすらかに家族や友人と最後の時間をすごせるようにすることなの」
「若い看護婦さんにも、『病室へ入ったら、ただ脈をとって血圧をはかって帰ってくるようなことをしてはだめ。本人にも家族のかたにもかならず声をかけてこないといけないよ。最後の最後まで、みんないろいろなことを感じているんだから、脳が働いていないようでも、そんなことはけっしてないんだから』って言ってるの」
 玲子ちゃんはまるで私の今の心がわかっているように、私の顔をじっとみつめました。
 なんだかいろんなことがあった午前中でした。家に帰って、おふとんを取り入れたらあんまりほかほかだからうれしくなって、ほっぺを押しあてているうちに眠ってしまっていたみたい。ふっくら、本当に幸せな気持ちでした。
 

 こんなふうな幸せな日常の中で、私は生きるということについて、まだ何も考えることはできずにいるけれど、今日のお日さまのように、おばあちゃんがにっこり「恐いことなんかないんだよ」って笑って話されたみたいに、むやみにこわがらなくてもいいのかもしれないなあとうすぼんやりと思いました。

「わたしの気持ち」のページへ

メニューへ戻る

inserted by FC2 system