入学式

 この春新しい学校になりました。とてもとても大きい学校で、職員だけで150人もいる学校です。
 前に一度つとめていたことがあったのに、今までいた学校があんまり小さくて、ゆったりして、そして静かだったから・・・たくさんの人にのまれそうになります。
 どこへ行っても人がいっぱいいるのに、私はまるで大海にたったひとりぼっちで流木に乗ってさまよっているように、どうしていいかわからずに、途方にくれて、そしてさびしくて不安でたまりませんでした。
 会議にでても、会議が何を言っているのか少しもわかりません。まるで外国に来て、雑踏の中で置き去りにされたみたい・・・
 仕事だから当たり前だけど、時間までそこにいなくてはなりません。でも何をしたらいいかわからないから、ぽつんと前を向いて座っていて、でも何もしていないことが、また申し訳なくて、身の置き所がないのです。
 そうして、明日が入学式という日がやってきました。用意をして驚きました。体育館は広いけれど、でも、150人の教員と、2百何十人もいる子供たちと、そして入学生のおうちの方やお客さんの椅子を並べると、体育館の端っこから端っこまで、すきまのないほどの椅子が並びました。椅子と椅子との間は、前にたてるぎりぎりの60センチしかあいてはいないのです。
 きっとたくさんの人の中がにがてなお子さんがいっぱいいるだろう。ずっと動いていたい子供さんもいっぱいいるだろう・・・みんなこの空間でどうやって、親任式、入学式、始業式の長い間をすごすのだろうと思いました。
 そして当日、子供たちはやっぱりとても怒っていました。ハンカチをずっと口の奥の方に押し込みながら、怒っている子供さん、頭をがんがんたたきながら、悲しそうにやっぱり怒っているこどもさん。それから怒っていなくても、泣いていたり、不安そうだったりするお子さんはたくさんおられました。でもみんな怒ったり泣いたり、不安がったりしながらも、一生懸命我慢してそこにいました。
泣いているお子さんを見たとき、急に胸につかえていたものが、あふれでて、私も泣きそうになりました。それまでの何日間かの私が、そこにいるようだなと思ったのです。子供たちだって、みんなどんなに不安なことでしょう。他の学校からこられた子供さんは、お友達もいなくて、知っている先生もいなくて、私と同じように大海にほおり出されたような気持ちでいるに違いありません。それから、ひとつ学年が上にあがった子供たちだって、靴箱がかわり、教室がかわり、クラスの友達がかわり、担任の先生がかわっています。子供たちは昨日までと同じ気持ちで学校へ来たかもしれません。それはそれはどんなに不安なことでしょう。そして子供たちは変化があまり得意ではないのです。
 前の学校にいたときだって、その前の学校に長くいたときだって、子供たちはきっと同じ様に不安な時をすごしたはずなのに、私はこんなにも子供たちのつらくて不安な気持ちを気がついていただろうかと思うとせつなくなりました。
 私は、自分がその立場にたたされないと、他の人の心の痛みを感じることができないんだなあと悲しくなりました。
 私、今とても寂しいけれど、学校が変わったことはよかったなと思いました。少なくともそのことに気がつけましたもの。今日思ったことは決して忘れないでいたいです。
 雪絵ちゃんが「新しい学校はどう?」とメールをくれました。
「今日は入学式だったよ。子供たちは、いろんなことがきっと不安で、でも頭をがんがんたたいたり手をかんだりしながらも、入学式の間、ずっと我慢をして座っていてせつなかったんだ」というようなお返事を送ったら、雪絵ちゃんからこんなメールが届きました。「手をかみながらがまんしてるなんて・・・。涙が出ちゃうよ。私今日リハビリずるやすみしたの。理由は眠かったから。
悲しいよ、自分が。手をかみながらしなきゃいけないことをちゃんとしてる子たちに勇気もらった。おねえちゃんの子供も一年生なんだけど小さいけど不安も一杯なんだけど行かなきゃいけないって分かってるからがんばって行くんだと思う。私はなんて自分に甘いんだろう。明日はリハビリに行くよ。行きたい! 」
 私はまた涙が出そうになりました。雪絵ちゃん大好き・・・雪絵ちゃんはいつも子供たちの気持ちがわかるの。そしていつも自分のことを振り返る・・・私も雪絵ちゃんのように生きていきたいです。生きていると、誰でもいろんな間違いをおこすと思うのです。でもその折々に気がつければ、変わっていけるのに、かたくなに自分が正しいと思いこもうとしてしまう・・・・雪絵ちゃんのメールの題は反省だったけれど、私こそそうだなと思いました。

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