油粘土事件

保育園や小学校の低学年のときによく使って遊んだ油粘土を見ると、心がちょっぴりうずきます。油粘土に特別な思い出があるのです。その思い出では今となっては、嫌なものではなくて、むしろ心が温かくなるようなそんな思い出なのです。
 私は正式に教員として採用していただく前に一年講師の教員として、小学校や高校で勤務させていただいたことがあります。
 最初は一学年に三クラスも四クラスもあるようなマンモス校、そのあとはへき地校(いただいたお給料の説明でへき地手当てが含まれるということで、へき地校なんだって思ったのですが、金沢市からそれほど離れたところにはありません)で一、二学年の統合クラス、それから母校である高校へも行きました。そのどこでもたくさんの思い出があるのですが、油粘土事件は、最初のマンモス校でおきました。
 この間まで大学生だった私は、すごくドキドキして教室に入っていったのですが、クラスには可愛い一年生がたくさん私を待っていてくれました。一年生になったばかりで担任の先生が病気で入院ということで、お家の方はどれほど心配に思っておられただろうと思うのですが、子供たちは不安そうな様子は少しも見せずにすぐに私のまわりに集まってきてくれて「先生、恐い人?たたく?」「先生、何才や」「せんせい、せんせい私ね、猫飼っとるんやよ」と仲良しになることができたのでした。
 私は毎日、可愛くてそれから生き生きしてて、きらきらしてる一年生といてすごく楽しかったけれど、でも新米教師の私には「どうしたらいいんだろう」ということがしょちゅうおきました。
 ある日、朝教室へ行くと、だあれもいないのです。たった一人だっていないのです。びっくりして学校中を探してもいないから、途方にくれて外へ飛び出したら、玄関の脇のところにみんな一固まりになってるのです。輪の中をのぞきこんだらね、麻友ちゃんって女の子が泣いてるの。そばで恵子ちゃんが「麻友ちゃん国語の本忘れたから学校入らないんだって」って。それから「僕だって、昨日も今日もずうっと持ってきてないから、だいじょうぶだよって教えてあげてたんだよ」「見せてあげるって言ってたの」ってみんな口々に私に言いました。
 みんながみつかってほっとして、それからクラス一人ひとりのことをこんなに心配して今ここにいるんだっていうことがすごくうれしくてじんわり涙がこみあげてきました。「私も今日、筆箱忘れたんだよ。だから、前に座ってるお友達に借りるんだ」って私が麻友ちゃんにお話したら、麻友ちゃんはびっくりしたみたいに私を見て、「先生も忘れ物?ええっ、おんなじ?」ってうれしそうに顔をあげてにっこり笑いました。その日、英くんという男の子の日記に「ぼくのせんせいはわすれんぼでなきむしです。でもみんなはおこりませんでした」って書いてありました。
 給食にね。プッチンプリンが出たのです。健太くんが「僕、プッチンってしよう」って立ち上がって、コマーシャルみたいに高いところからお皿めがけてプッチンってしたら、大成功でお皿の上にプッチンときれいにのったのです。「着地成功」って健太くんはすごくうれしそうでした。私も思わず「すっごおい」って拍手しちゃったからかもしれないのですけど、「僕もする」って二番目に立ってプッチンした勇くんがね、やっぱり立ち上がってお皿の上にプッチンってしたら、あーーあ、床にプリンがくちゃくちゃになっちゃっておっこちてしまったのです。「うわああーーん、僕のプリン」って大きな声で泣きだしちゃったので、(私があんなに拍手したせいかなって思ったて)あわてて「私のプリン食べてね」ってプリンあげたのです。でも、「そしたら先生のプリンなくなっちゃうじゃない」ってみんなが心配してくれたのです。それでも「いいのよ」って言ったら「せんせいプリン嫌いなの?」ってとても心配そうに聞いてくれました。「好きだけど今日はいいんだ」って言ったらね、「我慢してるんだ、先生かわいそうだよ。勇くんが失敗したから、勇くんが我慢したほうがいい」と今度は他の女の子が言いました。だけど勇くんは半べそで「ぼくプリン食べたいもん」って……そうだよね。そしたらさっきの女の子がね「じゃあ、私の一口、先生にあげるよ」って私のお皿の上にプリンをスプーンで一匙すくってのせてくれました。そしたら、みんなやさしいよね、私も僕もって、それからプリン落とした勇くんまで、僕もってプリンのせてくれて、私のお皿の上はちょっと見た目は悪くてぐちゃぐちゃだけど、でもやさしさがいっぱいつまったプリンの山ができたのでした。ところがね、また麻友ちゃんがあーんって泣いているのです。今度はどうしたんだろうって思ったら、「私も一口あげたかったのに、全部食べちゃったあ。あげられない」って……
 そんなやさしい子供たちのクラスでした。

 その学校はその当時まだ新しくて、とてもきれいな学校でした。職員朝礼で「お客さんがきれいな学校ですねと誉めてくれました。このきれいさをずっと保つために、壁にはきめられたところ以外、押しピンは押さない、セロテープも貼らないということなどを守ってください」とそんなお話が教頭先生からあったその日のことでした。
 その日は図工で油粘土遊びをしました。大きな恐竜や蛇をつくる男の子、こまかなぶどうやクッキーを楽しそうにつくる女の子、油粘土は乾いてひびが入るわけでもないし、とても使いやすくて、みんな大喜びでした。
 いつもはお昼休みもみんなと一緒に遊んでいるのに、(子供たちとおんなじで、私も休み時間が大好きなのです)その日に限って職員室に用事があって、みんなと一緒に入られず、雨が降ってるから教室か体育館で遊んでいるかなあって思っていたのです。
 そしたら、いつも元気な健太くんが職員室へ私を呼びにきてくれました。「今、すっごくおもしろいことみんなでやってるんだ。先生もやろう。僕なんかもう一〇個も成功したんだよ。はやくはやく」ってとってもうれしそうな顔でした。ちょうど仕事も一段落ついていたので、私もうれしくなって「どこ?」って健太くんの後をついていったのです。
 そこには私にとってとてもショックな出来事が待っていたのです。職員室は一階で、教室は二階にありました。階段の途中の踊り場のところに、子供たちはいました。下にはたくさん油粘土の固まりがころがっています。ところどころ踏まれて床にしみができていて(あらーー)って思ったけど、それから何気なく踊り場の高い天井を見て驚きました。そこにはもっとたくさんの粘土の玉が投げ付けられて天井にくっついたり、それが落ちて油染みになったりしていたのです。それは目を覆いたくなるくらい汚い感じの汚れようでした。「先生もやってごらん。粘土あげるから。力を入れてえいって投げてごらん」子供たちはおそらく私が来たことでもっと活気づいてわいわい粘土投げをしていたのだけど、私がもうあの天井どうしたらいいんだろうっていう困った顔で立っているのを見て、なんだか変だぞって思ったようでした。
 「先生、どうしたの」そうきかれて、私はなんて答えたらよかったのでしょうか。「あのね、学校の壁とか汚さないようにしましょうって先生の朝のお集まりのときにお話があった」やっとのことでそう言うと、子供たちはしーーんと静まりかえってしまいました。「ねえ、天井も汚しちゃいけないって言った?天井は廊下や教室じゃないからいいよね」恵子ちゃんが聞きました。「言ってないけど、たぶんだめだと思う」どうしようばかり思ってまた少し泣きそうにため息をつくと「すぐばれないように掃除をしよう」って健太くんがほうきを持ってきてくれたけど、踊り場の天井って本当にすごく高いのです。とてもととかなくて、机を運んで、椅子にのって、それから長いT字型のほうきをもってきて、やっとやっととといたのです。でもね、油粘土はなんとか下に落ちても、天井にはたくさんの丸い油染みがまるで全体の模様のように残ってしまいました。「先生、叱られる?」「大丈夫、みんなは叱られないと思うな私、ちゃんとあやまってくるから心配しないでね」ってそう言った私に「でも、先生は一回も投げてないよ。僕たちいっぱい投げたけど……」「そうだよ。先生は悪くないよ。あやまらなくていいよ」ってみんなは私の心配ばかりしてくれました。私も子供たちをこれ以上つらい気持ちにさせたくないなって思ったので、「さ、お帰りの準備しててね、もう少しここかたづけて教室にいくね」そして、床を拭きながら、私は子供たちが大好きだし、子供たちと一緒にいたいけど、やっぱり私みたいなおっちょこちょいで泣き虫は先生になんてなれないんじゃないかな、今日みたいに子供たちに心配かけたり、悲しい気持ちにさせてしまうし、それに昨日だって……ってすごく落ち込みながらいろいろ考えました。
 そうなのです。その前の日にもたいへんなことがあったのです。その日はアブラナの観察で、子供たちが初めてピンセットを使ったのです。ピンセットは先が尖ってるからとても気を使います。「お約束よ。ピンセットの先をお友達の方へ向けないでね。目にでもささると大変でしょう?」と考えただけでも恐くなるような注意事項をして、それからアブラナの花びらを一枚ずつはずしていたのです。そのとき、「ギャアーー」というすさまじい悲鳴がしました。いったい何事が起こったのだろうといそいで子供たちを見渡すと、頭を抱えるようにして、座り込んでいる子がいます。広ちゃんです。そばにいって、体を見るけれど、どこも血がでているわけでもないし、でも広ちゃんはワアワア泣いています。「どうしたの?」とたずねると「ピンセットが……」っていうのです。ただ抱き締めて、頭をなぜて、落ち着くのを待ってもう一度尋ねたら、ようやくかえってきた答えはなんと「ピンセットのふたつの先コンセントの穴にひとつずつ突っ込んだら、ビリビリになった」でした。なんてことでしょう。感電したのです。「どうして、そんなことしちゃったの?」というわたしの問いに「だってちょうどふたつ穴があいていたから」と広ちゃんは答えました。きっとなんにも考えず、穴がふたつあって、ピンセットの先っぽがふたつあったからなにげなく入れちゃったのですね。広ちゃんにたいしたことがなくてよかった。それで、昨日広ちゃんのおうちへ「本当にすみませんでした」って電話をしたところだったのです。帰りの会のとき、洋二くんが「先生、コンセントに突っ込んだらいけませんっていうのも注意しとけばよかったね」って言ってたけど、本当だ、そこまで全然考えられなかったけど、考えられてお約束に入れられたら、広ちゃんもそんな失敗なかったのにね。
 とにかくそういう事件が起きたところだったのです。私みたいな大事なところがおろそかになってしまったり、なぜかいろんなことがしょっちゅう起きちゃう人は教員にはなれないのかもしれない。教員というものは子供の命をある意味で預かっているのだから…… 大きなため息をひとつついて教室に入ると、子供たちはみんな待っていてくれて、「先生、元気だせぇ」とか「「だいじょうぶだいじょうぶ、ぼくたちがついてるって」とか言ってくれました。
 子供たちとさよならしたあと、重い足をひきづりながら校長室へ行きました。こんなときどこへ行ったらいいのか、私にはわかっていませんでした。きっと校長先生のとこかな?ってそのときに私は思ったのです。
 校長室の扉をノックして入っていったら、校長先生は「待っていたよ」っておっしゃいました。どうして待っていたよなんておっしゃるのでしょう。もう天井のことが知れていたのでしょうか、それとも感電事件のことでしょうか、そうじゃなかったらいつも散歩ばかし行ってるのが散歩に行きすぎということで叱られちゃうのでしょうか、それじゃなかったら、教室がしじゅう元気がよすぎてうるさすぎるのでしょうか。思い当ることはたくさんありました。
 校長先生はいつもと少しも変わらない穏やかな声で「まあ、かけなさい」とおっしゃいました。そしてね、「今日は君のおかげで、すごくうれしい気持ちなんだよ」っておっしゃるのです。私は叱られることはいっぱいあっても誉められることなんてただのひとつもないはずなのです。だからすごく不安でビクビクしていたらのです。
 校長先生は愉快でたまらないというふうに話しだされました。「さっき、君のクラスの生徒たち、一年生が全員ここへ来たよ。いろいろ口々に言うんだ、『せんせいを叱らないでね』『一回もせんせいはしてないんだよ』とかね。『だって、すっごくおもしろかったから』とか、なんのことだかさっぱりわからなかったんだ。『最初きみたちは何をしたの?』『先生はなんて言ったの?』という一問一答形式でようやくわかったんだ。みんなで粘土で天井をぐちゃぐちゃにしてしまったけれど、でも先生のせいじゃないし、ぼくたちがやったんだから叱るならぼくたちを叱ってほしい、どうやらそういうことらしい。健太くんっているだろう?あの子がね、『校長先生がせんせいを叱ったら、僕らは校長先生のことただじゃおかないぞ。一発おみまいしてやるから』って言うんだ。それからそうそう麻友ちゃんっていったかな、ひとり泣いてる子がいるからどうしたって聞いたら、小さな声で『せんせいは、泣き虫だから叱っちゃだめ。また泣いちゃうよ』ってこれまた泣きながら言うんだ。いいねえ、校長室にあんなに一度に子供たちが話にきたのは初めてだよ。うれしいよね。みんな本当に一所懸命でね。ね、君、絶対に頑張って本当の先生になりなさい。キャリアのある教師は技術だっていろいろ持ってる。けれどね、若い先生の熱心な心や、子供が好きだという気持ちはね。それとは全然別の物なんだよ。わかるかい?君は大丈夫だよ。君は子供たちにすばらしいプレゼントをもらったし、また君も子供たちにすばらしいプレゼントをしたじゃないか」
 私が掃除をしている間に、いつか麻友ちゃんを玄関にまで迎えにいってはげましていたときのように、子供たちは私のためにまたみんなで校長室に「叱らないで」と話にいってくれたんだ、そして校長先生はそのことをこんなに喜んでくださってる、私は泣き虫で駄目先生だけど、校長先生はそれでもだいじょうぶだよって言ってくださってるんだとただうれしく、やっぱり泣いてしまった私でした。
 「ところで、あの天井の汚れ具合はすごいね。子供たちが言ってるほどじゃないだろうと思ったんだけど」とそれから校長先生はおっしゃいました。

 校長先生は道端孫三ェ門というりっぱな名前の先生でした。その方はずうっとあとでわかったのですけど、金沢の歴史や物語にくわしいことや、子供たちの教育に関してもとてもすばらしい考えをおもちで、本をいくつも出しておられる、金沢で有名な先生だったのです。本はそれまで読んでいなかったけれど、校長先生があのとき、あんなふうに言ってくださったから私は教員に絶対になりたいと思えたのかもしれないし、私にとって、有名な方だあろうとそうでなかろうと、なくてはならない方だったのだと今しみじみ思います。

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