みっちゃんの話

みっちゃんからの年賀状が今年も届きました。みっちゃんのことを思い出すだけで、わたしの心の中はいつも温かくなります。みっちゃんが私の心の中のどこかにいつも住んでいるというだけで、私は心に宝物を持っているという気持ちになります。みっちゃんには素敵な力があると思います。魔法の力かもしれない。みっちゃんを思い出すたびに、いったい何度明るい、そしてやさしい気持ちになれたことでしょう。悲しいことがあったとき、つらいことがあったとき、こっそりみっちゃんの口癖を口にするだけで、わたしの心がもしどんなに暗くて重い暗闇の中にあったとしても、小さな温かいあかりが灯るのがわかりました。
 みっちゃんは地域の小学校から中学一年生のときに転校してきました。とても手が器用で、編み物や縫い物をさっと覚えてしまい、浴衣を塗ったり、毛糸で編み込み模様のみごとなカーディガンやセーターをたくさん編んでくれました。
 みっちゃんは最初に会ったときから、とてもおしゃべりの楽しい女の子でした。「先生美容院どこで髪切った?」そのときみっちゃんは美容院にすごく興味があったのだと思います。わたしたちの誰かが、ちょっと前髪を切りそろえただけで、他の誰も気がつかないくらいであったとしても、みっちゃんは朝玄関で待っている私たちのことをさっと見て、すぐそのことに気がつくのです。そして一度美容院の名前を言ったら、絶対に忘れないでいてくれて、今度紙を切ったときには「モアB2か?」(私が行っていた美容院の名前)って聞くのです。「今日は違うの」というと「金沢か?」ってもうとても興味津々なのです。でも「みっちゃんはどこで髪を切るの?」「どんな髪型が好き?」なんてこちらから質問すると、みっちゃんはふーーと離れていってしまいます。みっちゃんは聞きたいことはたくさんあるんだけど、質問されるのはあんまり好きではないのかもしれません。でもみっちゃんにとって大切な質問のときは様子が違います。みっちゃんはたいていお母さんに髪を切ってもらっていたのですが、すっかりそのことを忘れていました。私が美容院に行った次の日、みっちゃんが「みっちゃんの髪長いか?」と私に聞くので、「みっちゃんもとこやさんに行きたいの?」と尋ねると、みっちゃんは私の顔のすぐ前まで近づいてきて、「違う、び、よ、う、い、ん」とゆっくりひとつひとつ区切ってさとすようにお話してくれました。床屋さんじゃなくて美容院へ行きたいというのは女の子らしくてすごく可愛いです。みっちゃんが美容院のことをものすごく気にするのは、お母さんはすごく髪を切るのが上手なんですけど、みっちゃんはたまには美容院に行きたかったのかもしれません。私も小さい頃、りかちゃん人形の洋服をいつもいつも母が作ってくれていたのが、今はこんなにうれしいのに、そのときは寂しくて、たまにはお店で買ったりかちゃんの服がいいなあ、とか、私とりかちゃん人形の洋服がおそろいなんてつまらないって思っていたことがありましたもの。
 みっちゃんはとても知りたいという気持ちが強いので、たくさん質問してときに叱られてしまうことがありました。
 みっちゃんは自転車が大好きです。でもぴゅーっと遠くまで出かけてしまって、なかなか帰ってこないことがあるので、お母さんもお父さんもそのことをとても心配しておられました。車がたくさんたくさん通る道でも、みっちゃんは平気で通っていってしまうし、夜遅くても帰らないこともあるので、お家の方の心配は本当に大きかったのです。
 ある日、自転車がパンクしたのです。お家の方はこれを機会に、みっちゃんの自転車のりを少しお休みさせたいなと思われました。それで「みっちゃんが太ってる間は、自転車にのれないよ。自転車が可哀想。なおってもまたパンクしちゃうからね。やせたらね」ってお話されたのでした。
それからはみっちゃんは自転車のことがとても知りたくなりました。「何キロ(グラム)になったらみっちゃん自転車乗れる?」「太っとると、自転車だめなんか?」「先生のおうちの自転車何色や?」「先生のおうちの自転車、ナショナルか?」・・私が自転車に乗れないのを知ると「先生、やせとるのに、自転車だめなんか?」って何度も尋ねてくれました。
 ある日、学校に視察に来られた男の人はでっぷりとした体格の方でした。みっちゃんはすぐにその方のところへ飛んでいって、「おうちに自転車あるか?」と聞いていました。「ある」というお返事をもらうとみっちゃんはすかさず「おっちゃん、デブじゃないか?」と聞きました。その方は急に自分のことを「デブじゃないか」と聞かれて、そして現実に太っておられたので、どうしていいかわからなかったと思います。みっちゃんは担任の先生に「みちよぉー」って大きな声で叱られていました。私はみっちゃんの自転車にたいする思いを知っていたので、そんなときもみっちゃんがすごくいとおしいです。きっと担任の先生も本当は同じ気持ちだと思います。
 みっちゃんの同級生のみかちゃんが学校に来ていたのに、そのひの夜に急に亡くなりました。みっちゃんは、人の死というものや、お葬式やお墓のことで知りたいことがいっぱいできたようでした。「先生どこのお墓はいるんや?」「お葬式の写真、みっちゃんいいの撮る(前に飾る写真)」・・・そんなふうにたくさんの質問をしていました。みかちゃんのお母さんが、お葬式のあと、初めて学校に挨拶に来られたとき、みっちゃんはみかちゃんのおかあさんに「みかちゃんのお墓、星山石材か?」と聞いていました。そのときもみっちゃんは担任の先生にあわてて「みちよぉー」と叱られていたようでした。私も、すごく興味があるもののときはなんでも聞きたくて聞きたくてしかたがなくなります。この間も、私の家に住んでいる人の調査に来られたおまわりさんの腰にさげたピストルがすごく気になって、帰り際「あの、おまわりさん、そのピストル本物ですか?」って聞いて、すごくお巡りさんに笑われたところです。だからおんなじですよね。
 こんなこともありました。みっちゃんは食べるのが大好きです。お菓子が大好きで、たくさんあるときは びっくりするほどのスピードで食べることができるのですけど、給食などで決まった量しかないときの好きなものは、とても大事だから超ゆっくりスピードでそれを食べるのです。ケーキが出たとき、なめるくらいゆっくり食べていたら、あまりの遅さに、担任の先生に「みちよ、そんなにゆっくり食べていたら、口の中でうんこになるぞ」って言われてしまったのです。みっちゃんのうしろっかわで給食を食べていた私の方を振り返って、みっちゃんはべーと下を出して「うんこになったか?」って心配そうに聞きました。私は、そんなふうにみっちゃんのそばにいるのが本当にうれしかったです。
 みっちゃんはそんなふうにして時々叱られていました。でも、何について叱られているのかわからなくなることがありました。みっちゃんはなんだっていつも一所懸命です。謝るときだって一所懸命あやまります。「もうしません」「ごめんなさい」「もうしたらだめなんやって」「もうだめだからしません」とずうっと何度も謝ります。叱られたとき、みっちゃんはそのことをたぶん悪いって思わないことも多いから(だってみっちゃんにとってすごく知りたいこととかしたいことっていうだけのことだったりもするのですもの)何について叱られてるんだっけて思うのだと思うのです。そのまま「ごめんなさい」で終わったらいいんだろうけど、だけどいったい何について謝ってるのかみっちゃんも心配になるのでしょう。「もうしません」「もうしたらだめなんやって」のすぐあとに「なんや?」って言ってしまうのです。「もうしません」「なんや」って言われると、叱ってる先生も拍子抜けしてしまって、でも先生はわかってほしいと思われるから、またもう一回すごく叱られてしまうのです。
わたしはそんなみっちゃんが大好きでした。家へ帰ってからも、みっちゃんの口癖の「もうしません」「もう悪いことしません」「なんや」っていうのを一人でつぶやいて、みっちゃん大好きって言葉を抱きしめたりします。
 みっちゃんのことが大好きなのは、私一人ではありません。みっちゃんのふっくらした腕や、みっちゃんの物言いが可愛くて、つい他の先生もからかってしまうのです。「みっちゃんの手、ちょっと噛んでいい?」みっちゃんはもちろんすぐに走って逃げて行きます。みっちゃんは熱いの大嫌いだから、火のそばもきらいです。痛いの大嫌いだから、歯医者さんはいきません。恐いの大嫌いだから、犬のそばにもいきません。一度ベルトのバシンという音を聞いてからは、ベルトをしてるだけで、みっちゃんに嫌われてしまうくらいなのです。「痛いの嫌なんやって」「痛いの恐いからだめなんやって」って言いながら、すぐにいなくなってしまいます。
 みかちゃんが亡くなったとき、私は自分で悲しい気持ちをどうしたらいいのかわからなくなりました。子供たちの前なのに、立っていられないくらい悲しくて、その悲しみをなかなか受け止めることができずにいました。そんなとき、私のそばにずっと立っていて気がつくとどこへもいかずにいてくれたみっちゃんは私にそっと言いました。「山元先生、みっちゃんの手、ちょっと噛むか?」みっちゃんはもしかしたら噛まれて恐くなったとしても、痛くなったとしても、私を元気にしてあげたいと思ってくれたのだと思います。私は今度はみっちゃんのやさしさに胸がいっぱいになって、みっちゃんを抱きしめました。それから痛くないほどみっちゃんの手をちょっとだけ噛みました。そしたら、悲しい気持ちがなおっていったようでした。

私の気持ちへ
メニューへ

inserted by FC2 system