つーちゃんの耳掃除

 つーちゃんのお母さんがその年の年度の始め、「学校に希望することはなんですか?」という問いがのった書類に書かれたことは、「耳掃除をしてください」ということでした。つーちゃんは小さい小さい時から耳掃除が嫌いでした。お母さんのお話では、嫌いというより、絶対にさせてくれない、逃げていくし、捕まえて押さえこんでも抵抗して暴れるからものすごく危ないしできない状態だということでした。それでも、小さいうちはつーちゃんも力がないし、大人4人がかりで押さえて耳鼻科の先生がなんとか巨大な耳あかをとることができたこともあったけれど、中学生になって、背も170センチになった今は、とてもむつかしいということでした。それからもうひとつ、つーちゃんがさせてくれないことは体温をはかること。耳掃除と同じくらい嫌がってけっしてさせてくれないということでした。 
 その年、私は、毎週、一週間に一時間だけつーちゃんと二人きりでお勉強することができることになったのでず。
 つーちゃんは、お話ことばとしてのことばは持っていないけれど、もちろんたくさんの気持ちをもっています。でも、つーちゃんはお話ことばがないし身振りサインなどもあまり使わないからつーちゃんの気持ちはなかなか伝わりにくいのです。嫌だったら嫌な表情をするし、怒ったりもするし、うれしかったり楽しかったりするときはとてもうれしそうだけど、つーちゃんの気持ちはそれだけじゃあないはずです。たとえば教室にいて、今からどこどこへ行きたいんだということや、お腹がすいたけど、ごはんよりも今はあんぱんが欲しいなあとか、もっというと、缶コーヒーの温かいのじゃなくて、今日は冷たいのがいいけど、明治のかUCCの、なんとかっていうのがいいなあとか、そんなふうにも思ってるんだと思うのです。でもつーちゃんの気持ちはなかなか相手に伝わりにくいのです。それからつーちゃん自身も相手の気持ちを知ろうとするのが苦手の方だなあと思うことがあります。「そのごみ箱取ってほしいな」とお願いすると、お願いしながら指差しをしている方向にセロテープが置いてあると、指差しの方に気をとられて、セロテープを取ってくれたりすることがあります。
 つーちゃんと一緒にいて、私たちの大事な時間では、気持ちをきちんと伝えあうことを大切にしようと考えました。そのことで、私が耳掃除や体温をはかるのをどうしてもつーちゃんとしたいんだということをきいてもらえるかもしれないとも思いました。耳掃除や体温をはかるのをもちろんお母さんが望んでおいでるということもあるけど、私はやっぱり耳掃除も体温をはかるのも日常でとっても大切なことだし、それが簡単にできるようになったら、(できないことができるようになるということは)生きていく社会が広がることになるなあと思ったのです。
 でも、いろんなこと考えてたけど、私はなによりつーちゃんと一緒にいることが楽しかったです。つーちゃんって本当にそれはそれは素敵に笑うんだよ。今つーちゃんのしていることが楽しいという時だけじゃなく、ああこの人は僕のしたいこと、あんまりじゃましないなあとかと思うと、すごく素敵な笑顔を私にもむけてくれるようになったのです。(つーちゃんは、細い棒や薄い紙をオルガンと壁の隙間とか、机と壁の隙間とかに捨てるのが大好きなので、大事なものだとそれがいつのまにかなくなってとても困るのです。それから、机を棒でトントンするのが好きなんだけど、歌の時間だとか体操の時間とかにずっとトントンしてると困るからその棒、ちょうだいってことになっちゃうんだけど、この時間は気持ちの伝えあいだったので、じゃまはしなくても大丈夫だったのです)一緒にごろんと寝転ぶと、そんなこと今までなかったんだけど、私の顔ににこにこ笑いながら触ってくれるようになったり、遠くからでもとんできてくれて、ああ仲良しでうれしいなあって感じられるようになってきました。
 同僚に、私、つーちゃんの耳掃除してみたいと思うと話をしました。みんなとてもびっくりして、どうやってするつもり?と尋ねるのです。「お願いしてみる」と私が言うと、誰にお願いするって?とみんなが聞いたから、「つーちゃんにお願いしてみる」と言いました。「つーちゃんにお願いしてできるのならもうとっくにできてるよ」私もそうだなあと思いました。「男の大人4人がかりでも無理なんだぞ。できるはずがないじゃないか」私もそうかもしれないって思いました。「でも、お願いしてみる」みんなはちょっとあきれ顔でした。
 その日、つーちゃんがわたしのひざで膝枕をしてごろんとしてくれるようになったので今日こそ耳掃除のことをお願いしてみようと思ったのでした。
 つーちゃんと一緒に保健室で耳かきを借りてきた時から、つーちゃんは少し不安そうでした。「つーちゃん、私お願いがあるんだけど、耳掃除させてくれない」そうして耳掃除をはじめると、つーちゃんはあわてて私の膝から飛び起き、少し離れたところでこちらを見ていました。耳掃除をしようとしている私を見て、私たちの周りにいた先生が、「手伝おうか(押さえていようか)」と声をかけてくれました。でも、それは私の気持ちとは違っていました。力の限り押さえられて、もし、つーちゃんの力の方が弱くて、それで、もしたとえ耳の掃除ができたとしても、それはつーちゃんが耳掃除ができるようになったわけではけっしてないし、それに、嫌なのに、力で何人もの大人に押さえこまれるって、きっとすごく怖いだろうなって思うのです。私がつーちゃんだったら、押さえた人も耳掃除をした人も「きらいだぁあ」って思っちゃうかもしれない。「もう信じてやらない」って思っちゃうかもしれない。そんなのとっても困ります。だから、「私とつーちゃんとで耳掃除したいな」って言いました。みんなが、もう一度「そんなことできるの?」って言いました。私もできるかな?できるといいなあって考えていて、不安でした。だって「4人がかりでもむつかしかったんだから」ってみんなそう思ったのです。
 「つーちゃん、こっちに来て」って一所懸命頼むとつーちゃんは、やさしいんです、とっても。だから、また私の膝に頭をのせてくれました。「そっとするからさせて」そう言うと。私の顔をじっと見て、それから目をつぶりました。でも、また耳かきをもっていくとすっと逃げてしまうのです。そんなこと何回も何回も繰り返しました。そのうちつーちゃんは、私が無理にはしないということをわかってくれたようでした。もう、立つことはしなくなって、でもいざ耳かきを近付けるとやっぱり頭を動かしてしまうのです。それからまた、何度も何度もつーちゃんに、「怖くないからさせてね」と頼みました。(やっぱりつーちゃん、させてくれないのかな)って私、泣きそうになっちゃった時、つーちゃんは(ああ、この先生は、耳かきをさせるまで、どんなに嫌っていっても何度もさせろって言うんだろうな)って半分呆れて半分あきらめたみたいでした。それから、私が悲しそうなのがつーちゃんのやさしい気持ちにつらかったのでしょうか。顔を見て、うなづいて、私の小指を自分の耳の穴の中に入れさせたのです。そっとつーちゃんの耳の中を指でさわると、今度は、耳かきをつーちゃん自身が手をそえながら、耳の中に入れさせてくれました。「ありがとう、本当にありがとう」私、うれしくてありがたくって、また泣きそうになりました。耳かきをただ入れたり出したりを繰り返したあと、少しづつ奥へ耳かきを持っていきました。つーちゃんはやっぱり嫌は嫌なんだと思うのです。目をしっかり閉じて、でももう頭を動かすことはしませんでした。じっと我慢してくれていたのだと思います。奥のほうの大きなながーい耳あかが取れました。終わってから、すごいすごいと私本当にうれしくてはしゃいでいたら、つーちゃんもいっぱい笑ってうれしそうでした。耳あかは連絡帳に貼ってもらいました。だって、あんまり長くて大きくて見事だったので、お母さんにみせたくなったのでした。
 おなじようにして、体温をはかることもできたんです。そしてつーちゃんは家でも、耳そうじや体温をはかるのをさせてくれるようになったそうです。
 ああ、よかった。あの時、(やっぱり無理なのかな)って思って、それで押さえ付けて耳掃除しなくてよかったな、つーちゃんはきっと押さえ付けられることで、耳掃除や体温をはかるのがとっても怖いことだって思ってしまっていたんだなって思いました。でも、(案外、耳掃除って大丈夫だな、怖くないな)って、もしかしたら、(なあんだ、気持ちいいじゃない)なんて思ってくれたのかもしれません。
 それにしても、きちんと気持ちを伝えるのって大切だなあって思いました。それから、どんなことだって、無理にさせられてできたことは実力じゃないんだな、自分である時は我慢して、ある時はやろうって思ってできたことが本当の力なんだって思いました。私はそんなに我慢してでもしてくれる子供たちの気持ちをいつも少しも考えることができずに、押しつけてしまったり、無理にさせてしまうことがなんて多いのだろうと思いました。子供たちはこんなにやさしく大きな力を持っているのにです。ごめんねと思いました。

「わたしの気持ち」のページへ

メニューへ戻る

inserted by FC2 system