まさちゃんのいじめっこ

 昔、私はいじめられっこでした。それですごく泣き虫でした。でもね、なぜだか悲しくてたまらないというふうではなかったかもしれないと思うのです。だってね、いじめられたときは確かに「エーーーン」って泣いていたけど、今はそんなに嫌な思い出としては残っていないのですもの。
 まだずいぶん小さい時のことでした。ジャングルジムって、私、とっても好きでした。高いところはこわいから、一段か二段くらいのところで鉄の棒に体をあずけていると、地面から離れたいつもとは違う特別の空間にいるんだという気がしていました。そこが森の中のように思えたり、海の底のように思えたり、秘密の基地の中のように思えたり……そうして私はよくジャングルジムの下の方の途中のところで、ぼんやりしていました。 ある日、私はまた、ジャングルジムの大好きないつもの場所でぼんやりしていたら、上の方から「おおい、かこ」と私の名前を呼ぶ声がするのです。いったいいつからそこにいたのでしょう。まさちゃんがジャングルジムのてっぺんにいました。びっくりして口をあんぐりあけて上を見上げていたら、まさちゃんがね、いちばんてっぺんで、スッって立ったのです。すごい、危ないよって私心配してたのにね、まさちゃんはそのてっぺんから立ったまま、ズボン下ろして、あっというまにシャアーって私めがけて、なんてことでしょう、おしっこをねしたんです。もうあんまりびっくりしたのと、頭からおしっこだらけになっちゃってどうしたらいいんかわからなくて、「えーーーーん」って泣いていたのでした。そしたらまさちゃんが下りてきて「泣くな」っていうのです。おしっこかけた張本人なのにね。それでね、そのまま、まさちゃんは家までおくってくれて、母がね「まあ、まさちゃん。送ってくれたの。ありがとう」なんて言うのです。「まさちゃんがおしっこかけたんだよ」ってそれだったら私も言いそうなものなのにね、送ってもらったから、なぐさめてもらったからという気持ちがあったのでしょうか。それとも、小さいときって、誰でもものすごくやさしいから、まさちゃんが母にまあなんていたずらな子なんでしょうなんて思われたらどうしようとでも思ったのでしょうか。「どうしたの?」と尋ねる母に「ちょっと上から急にお水がジャアって落ちたの。そいで頭がびしょびしょになってしまったから」っておしっこの匂いぷんぷんさせながら、わけのわからないことを言っていたのでした。でも母も「そう」って言っただけでした。

 小学校へあがっても、まさちゃんはやっぱりいじめっこで、私はそのままいじめられっこでした。まさちゃんは走るのがすごく早くて、運動はなんでも得意でした。小学校一年生にとったら、なんて高いんだろうってため息つきたくなるくらいの登り棒がその小学校にはあったのですが、それにだってするすると登っていくのです。運動場のしろつめ草がたくさん生えているところにランドセルをおろして、私は友達を待ちながら、しろつめ草を編んで長いくびかざりをつくっていました。そしたらまさちゃんがやってきて、さっと私のランドセルをかついだまま、あの高い登り棒にするする登っていきました。「返して……」とたのんでいるのに、まさちゃんはランドセルを登り棒の一番てっぺんにかけて、「くやしかったら取ってみな」なんていうのです。私ってびっくりするほど力がないのです。登り棒なんて自慢じゃないけど一センチだってのぼれないんだからね。あんなに高いところにあるランドセルなんて取れるはずがないのです。またしくしく泣いちゃったら、まさちゃんは決まって、「ほら泣いた、ほら泣いた。火曜に泣いたら、火曜ナイター」って歌うようにいうのです。それでなになに曜ナイターっていうあだなでした。
 本当にね、私はナイターと同じくらい毎日泣いていました(月曜に泣くと、月曜日はナイターお休みだぞって言われました。本当に月曜日はお休みなの?)
 どうしてそんなことがと思うくらいのことだって目のところから涙がぽろって出てしまって、出てしまったらもう我慢できなくなって「エーーーーーン」と泣いてしまうのです。「かっこう かっこう ないてる」とカッコーの歌を歌われただけで、本当にぜんぜんたいしたことないのにね、泣き虫なのをからかわれているんだっていうだけで泣いてしまうのでした。(泣いたらもっとからかわれちゃうのに……)

 学校からは、たいていはお友達か妹(双子でクラスも同じだったから授業が一緒に終わるのです)と一緒に帰っていたのに、その日はなぜか一人でした。歩いていて、ふと前を見たらまさちゃんが立ってました。(どうしよう、またいじめられるかな)そう思って、あわてて来た道を引き返そうとしたら、まさちゃんが前にあった小石をポーーンと蹴ながら、「どこ行くんだ?」と静かに聞きました。いつものいじめっこのまさちゃんじゃないみたいって思ったけれど、それでも戻ろうとしたら、今度は少し大きな声で「逃げるな」っていいました。「逃げるな」って言葉は逃げたほうがいいんだって気持ちにさせることばですよね。やっぱり怖くなって、走りだしたけど、私はクラス一走るのが遅かったし、まさちゃんはクラス一走るのが速かったし、さっと腕をつかまれてしまったのでした。またシクシク泣いていたら、まさちゃんは「いいしょにかえろ」ってやさしい声で言いました。なんでまさちゃんは今日やさしい声なんだろう、まさちゃんは私になんの用なのだろう、それにまさちゃんってお家、私と反対の方向じゃない、どうしていっしょにかえろなんて言うんだろう。泣きながら、頭の中がぐちゃぐちゃになって、でも、しらないあいだに並んでふたり歩いていました。家の前に来たら、まさちゃんは「じゃあな」って言いました。それだけでした。
 まさちゃんはそのとき、いじわる言うどころかなんにもしゃべらなかったし、それからもちろん、ランドセル隠したり、かっこうの歌を歌ったりなんてぜんぜんなくて「じゃあな」って言って走ってまた、学校の方へもどっていっただけでした。本当にそれだけでした。
 「変なの。まさちゃん病気かな」と私は思ったのでした。

 「昨日は(いじめないで)ありがとう」って学校へ行ったら言おうかなって思っていたのにね。まさちゃんやっぱり大きな声で「かっこ1(1)かっこ2(2)かっこ3(3)」と、別になんの意味もないんだけど、かっこのところだけ怒鳴るように言ってへへんって言うのです。私はまたそれを聞いて悲しくなって泣いたのでした。

 そのまさちゃんがね、大学生のころ夏休みに家に戻ってたとき尋ねてきてくれてね、「僕、弁護士になるんだ、だから大学もそんな勉強やってんだ」って言いました。あんなにいじめっこだったのにね、「弱いものの味方するんだ」なんて言うんだよ。
 「ねえ、どうしてあのとき、いじめないでおくってくれたの?」ってまさちゃんに尋ねたら、「そんなこと忘れたけど、おまえあんまり弱虫だから他のものにいじめられないように、またころんで泣いてたりしないようにだろきっと」って言いました。よくわからない理屈だけど、やっぱりまさちゃんは小さいときから弱いものの味方だったんだねきっと。今頃はきっとやさしい弁護士さんになって、弱い者の味方で、きっと本物のいじめっこから守ってるのだろうなって思います。

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