きもちの話


「拓ちゃん」小さな声で名前を呼んだだけなのに、拓郎くんはびくっと体をふるわせました。「ねえ大ちゃん」ちょっと肩にふれただけなのに、大ちゃんは驚いて自分を守るように体をひきました。(私 怖いことなんてしないのにな。大丈夫なのにな)友ちゃんは、食べることが大好きなのに、「いただきます」の声がかかってもちっとも食事に取りかかろうとしないのです。食べたそうにしながら、ただじっと私の顔をみるばかりです。、以前友ちゃんの担任をされてた同僚が「どれを食べるかひとつひとつ指示しないと食べられないのよ、はい噛んで、はい口を開けてって言わなくちゃ」と声をかけてくれました。だけどね、友ちゃん。大丈夫だよ。友ちゃんが食べたい順で食べたいように食べたらいいんだよ。友ちゃんのごはんだもの。

「学校は楽しくなくちゃ。そして生き生き通えなくちゃ」という私の思いと子供たちの様子が最初はなかなか交わりませんでした。けれど子供たちと一緒にいるうちに、たとえどんなに重い障害を持っていたとしても、みんないろんな思いを持っていてそれを伝えたいと思っているんだということに少しずつ気がつくことになりました。そして、やっぱり、自分の気持ちを言ってもいいんだと気がつくと、みんな本当にうれしそうでした。
「たんぽぽの仲間たち」(三五館)に載っている拓郎くんの作品です。床屋さんに行って、髪を切ってこようと拓ちゃんは考えて、計画をたてました。髪を切ったらサザエさんに出てくる、カツオくんのようになるんだって拓ちゃんは考えたのです。いつもコマーシャルのことばかり言ってる拓ちゃんは(コマーシャルや時間のことで頭がいっぱいじゃないか)って思われがちだけど、そうじゃなくて、こんなにユーモアがあって、素敵なのです。きっと自分で行こうと決めて、楽しみにしているからいっそう素敵なのだと思います。
もうひとつの作品は「さびしいときは心のかぜです」「僕の上の星 君の上の星」(樹心社)で詩や絵をたくさん発表した原田大助くんの最近の作品です。私の家に遊びに来たときにたまたまみつけた本の中のルワンダの写真を見て、大ちゃんが作った詩です。「殺されるために生まれてこない。殺すためにも生まれてこない。戦争は大事なことを忘れている」もしかしたら戦争のことだけではなくて、最近耳にした日本での事件のことも大ちゃんの気持ちの中にはあったのかもしれません。本当に、人は殺されたり、殺すために生まれてきたのではないですよね。傷ついたり、傷つけられたりするためにも生まれてきたのではないです。大ちゃんや拓ちゃんやほかの子供たちはいつも、人は愛するために、愛されるために生まれてきたのだと教えてくれます。
こんなに大切なこと、素敵なことをいつもたくさん教えてくれる子供たちといて、思うのは、どんなことも「させられたり」「脅かされたり」ましてや、たたかれたりしてさせられるべきではないんだということでした。自分の気持ちで、自分で決めて、行動することって大事なんだということでした。最初、おどおどして見えたり、いつも誰かの指示を待っているように見えた子供たちが、自由で、そして大人や教師と平等になれたとき、素敵な笑顔で笑います。美しい色を使って絵を描き、力強い粘土の作品を作ります。できあがった作品はなぜかいつも見る人の心を大きく動かしました。私はたくさんの人に子供たちの作品を見てもらいたいなと思いました。そしてその思いは、子供たちやお家の方々の願いでもありました。「たんぽぽの仲間たち作品展」が日本の各地で開催されるようになって、本もいくつか出していただくことができました。そしてそのことはまたたくさんのうれしいことにつながったのです。「今まで障害があるということで遠慮して、隠れるようにして生きてきたけれど、作品展が行われるようになって、これがうちの子の作品や、この子がこの絵を描いたうちの子やと自慢するようになった」というお母さん。それまでひとりで家から出ることがなかったのに、作品が認められることが自信につながったのか、うんと遠いところまでひとりでお使いにいくようになった子供たち。たとえ障害があっても、自分は自分でいいんだ、ほかの誰かではなく自分でいいんだと自信を持って生きていけるってなんて素敵なことなのでしょう。
大ちゃんはこんな詩も作っています。
「僕は僕やから大切にできる。僕は僕やからがんばれる。僕が僕やから好きになれる。」「僕が生まれたのには理由がある。生まれるってことはみんな理由があるんや」

PHP11月臨時増刊号掲載文

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