和くんの話

 入学式の日、教室へ入っていくと、和くんがいました。「僕が今日から、この養護学校の中学部一学年に入学したものです。以後、よろしくお願いします。」という、和くんの丁寧な挨拶に、思わず、「わたしの方こそ、よろしくお願いいたします。」とこちらも丁寧な挨拶を返しました。
でもね、私たち、いつも、そんなに紳士、淑女みたいな丁寧な関係だったかというと、時には、そうではありませんでした。
 和くんは、いつも身体全体で、いろんな事を感じていました。それは、和くんのとても素敵な力です。、しかし、またそれが、和くんの住む社会や、生活を狭くもしていました。そして、私たちはいつもそのことで、よく言えば気持ちの伝え合いを、悪く言えば、対決をしていまっていたのです。
和くんは、たとえば、今、耳にしている音は、全て心にも入ってくるようでした。私は、和くんと違っていっつもぼぉっとしているので、友達と話しているときは、その時、そばでチクタクいっている時計の音も、隣の部屋の声も、みんな全然心には届かずに、友達の声だけを耳にしているように思うのに、和くんは、そうではないようでした。遠くを走る電車の音も、飛行機の音も、遠いところで泣いている、赤ちゃんの泣き声も、水道の音も、私の話し声も、みんなみんな、選ばれずに入ってくるみたいなのです。たから、和くんは、集会が嫌いでした。映画館が嫌いでした。旅行が嫌いでした。
 和くんは、今、皮膚に触っているものは、全ていつも感じているようでした。椅子に座っているお尻の感じ、長袖の袖口や、学生服の詰め襟、衿についたタグ、・・いつも感じているようでした。だから、和くんは、袖を折り曲げて着るのを嫌だと言いました。Tシャツのタグはみんな引きちぎってしまいました。
 和くんは、味覚においても同じでした。今、味のするものは全て心に届いているようでした。和くんは、自分の舌の味がするから、それを消したいと言って水をしょっちゅう飲みました。水の他は、少しの味の違いを感じて、明治のコーヒー牛乳だけしか最初は飲んでいませんでした。食べるものも、カルビーのポテトチップスだけでした。お母さんが作ってくださるお弁当も、給食もみんな、「不確実な味がする。」と言って食べようとはしませんでした。
和くんは、今、目に入っている音がみんな心に届いているようでした。そして、記憶においても、もしかしたら、同じようなことがあるのかもしれません。和くんは、散歩に出掛けて見た一瞬のバスの時刻表を、思い出しながら、正確に書くことができました。新しい部屋の天井に穴がたくさん並んでいる素材が使われていると、その穴がいくつあったかをあとで数えることができました。
本当に、和くんの才能は素敵なのです。でも、一度にそんなにたくさんの刺激が入ってくることは、和くんにとって、苦しいことだったんじゃないかとよく思いました。だから、和くんは、決まったものを食べたかったし、決まった道を通りたかったし、そして、静かな場所にいたかったのだと思います。
和くんのそんな苦しみがだんだんわかってきていたのに、でも私は、和くんにもっとたくさんのものを食べて欲しかったし、集会でも一緒にいたかった・・映画もいっしょに見たかった、修学旅行も行きたかった・・。
 そのことは私の本当に自分勝手な思いで、和くんの苦しみを思うと、そんな勝手なことを思っていいのかどうなのか、わからないのに、私は和くんとしょっちゅう対決をしました。「ねぇ、今日の飲み物は明治のコーヒー牛乳でもいいから、ポテトチップスはカルビーでなくコイケヤにしてくれないかしら。」そんな風な気持ちのぶつけ合いをたくさんしました。私の武器は“こちょこちょ地獄”です。「5・4・3・2・1・0・こちょこちょ」と言葉では、「ねえ一緒に集会でようよ。でないとこちょこちょ地獄しようっと。」と優しいけれど、「いくよ。」というまでされるこちょこちょは拷問のひとつかもしれません。こちょこちょはたたいたりするんじゃないから・・とか、自分から「する。」って言ってからしてくれるんだから、ひきずって無理にさせるより、ずっといい・・とか、お互いに折り合えるように譲り合っているのだから(私は本当は、コーヒー牛乳だってモリナガも飲んで欲しいけど、今回はあきらめる。)と私なりに、自分の正当をなんとか心の中で思いたくて、いろいろ考えていましたが、あんなに嫌がった和くんに本当にしてよかったのかどうかは今でもわかりません。
  和くんは、なかなか、こちょこちょ地獄で「まいった」とは言ってくれませんでした。顔を真っ赤にして怒ったり、泣いたりして「嫌だーー。」と言い続けました。そして私の髪をひっぱってたくさん抜いてしまったり、手をブルンブルン振り回したりして、自分の気持ちを伝えていました。私は絶対にたたいたり、怒ったりしないのに、いつまでもあきらめが悪いのです。「どうしてもしてほしいの」と譲れないのです。どんなときでも優しいのは和くんの方でした。そんなに嫌がっていたのに、その内、突然、真っ赤な顔から、すうっと白い顔にもどって平然と「では、そろそろ集会室に行くとしましょうか。」と言いだしてくれるのは和くんでした。そして、その後は、にこにこしながら、私と仲良しになって、腕なんか組みながら、歩いて行って、耳を押さえながらも、ずっと集会室にいるのでした。 一度、集会室に行った後は、私といるときは、すんなり集会室に入っていってくれるようになりました。(でもね、不思議なのですけど違う人とだったら、また、怒って顔を赤くするのです。)きっとね、和くんは、私との話し合いがついたと思ってくれていたのかもしれません。だって和くんも私も、一生懸命気持ちを伝え合ったんだもの。
  そんな対決を繰り返していくうちに、和くんは、いろいろなものを食べてくれるようになりました。それから、映画も行ってくれるようになりました。和くんはきっとお互いの気持ちを測りあいながら、僕の気持ちもきいてね、あなたの気持ちも聞くからねと考えてくれていったのだと思います。そんな繰り返しが何度もあったことが、私たちにとっては今考えるととても大切だったと思います。そしてそのことが和くん自身の大きな苦しみがあるのにもかかわらず、私のわがままをすべて大きくつつんで、気持ちの伝え合いをしてれた和くんの力なんだと思います。
 私が転勤になって他の学校に変わってから、私たちは、県内の養護学校の合同の体育大会で、出会いました。体育館の玄関で、和くんは、顔を真っ赤にさせて、担任の先生に、「僕は出ないことにしています。」と泣きながら怒っていました。私が「和くん。」と小さな声でつぶやいたのが和くんの耳に届きました。そしたらね、和くんは、白い顔になって「山元先生が来てしまったからにはしょうがありませんね。」と言って体育館に入っていったのです。担任の先生が「どんな魔法を使ったのですか。」と言われたけど、私はきっと和くんが今でも、私とかわした約束だから(言葉では約束なんてしていないけど)守らなくっちゃ・・と思ってくれたんだなとうれしくてそして涙が出そうになりました。和くんはよく「なんてわがままで自分勝手なやつだろう」と思われてしまいがちです。でも違うと思います。和くんはあいかわらず聞こえてくるたくさんの音や、刺激にとてもつらくなりまがら、いつも精一杯自分を守ろうとしているのです。そして時には自分の気持ちをコントロールしながら、その日、私にしてくれたように、昔の約束を忘れずに、誠実で、やさしく、相手の気持ちをきちんと思ってくれる人なのです。このことをみんなにお話したいなあと思いました。
 それからね、和くんは和くんだから、和くんがたとえば自閉症かそうでないかということはたいして大事なことではないと思うんですけど、「自閉症とは」なんていう本に、「自閉症の子はコマーシャルを好む、耳を押さえることがある、パニックをおこす・・」という風によく書かれているけれど、その本のそこの部分だけを読んで、それが全てのように思い込んでいたとしたら、耳をおさえることも、コマーシャルを好むことも否定的な行動にとして、とらえてしまったり、自閉症だから、耳を押さえるんだなと思ってしまって、それで終わってしまうのではないかしらと思います。もし、一生懸命気持ちを伝えている行動をパニックをおこしたという言葉で片付けていたら、その行動を無視したり、その行動を叱ったりして、気持ちの伝え合いはできないんじゃないかと、和くんに教えてもらって、そう思いました。
だって、誰だって、どんなことだって、行動には必ず理由があるのですよね。

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