かおるちゃん

 「人を愛するのってせつないね」とかおるちゃんが言いました。
 卒業生のかおるちゃんは、学校の隣に併設されている養護施設にずっと入所していたので、時折、学校の休み時間にあわせて、散歩がてら遊びにきてくれました。絵が好きで、卒業前、養護学校にいた日本画の先生に習って描いたその前の年の絵が、アマチュア美術展に入賞したくらいにたいした腕前なのでした。たいした腕前なのは、絵を描くことだけではありませんでした。かおるちゃんは自然の美しさに気がつく天才かもしれません。何でもない雑草と思っていた草花がかおるちゃんの手によって摘まれると、そして、コップにさされると、その花が(ああなんて素敵な草花なんだろう。どんなにいい絵になるだろう)というような草花に変わりました。「可愛い。描きたいなってそう思っただけ」とかおるちゃんはそういうけれど、大きく咲いている山ユリや、きんぽうげにばかり目を奪われてしまう私には、いったいそんなに清楚で美しい小さな花がどこに咲いていたのだろうと思い出すことすらできず、自然が大好きで、いつも風や空気や木や花を身近に感じていたかおるちゃんだからこそとなんだかうらやましい気持ちにもなるのでした。
 私はかおるちゃんと話をするのが好きでした。ゆっくり考えながら話すいろいろなかおるちゃんの言葉は、私にたくさんのことを考えさせてくれました。かおるちゃんは、筋ジストロフィという病気を持っていました。発病してから少しずつ手足の力が弱くなってきていて、その頃は歩行器を使って歩いていました。
 「あまり動かないと病気が進むようだし、かといって無理をして動くともっといけないようだし……」「今日はなんだか右手が動きにくいんだよね」かおるちゃんはゆっくりと歩行器を押しながら、さりげなくそう言いました。自分の体の話をする時はいつもさりげなかった。けれどかおるちゃんはいつも、いつか動けなくなる日がきて、それからそう遠くない日に自分の命の灯も消えてしまうのだということを考えているようでした。
 ある日「ねえどうして神様は私のこと、『あの子は二十年ちょっとくらい生きたらそれで十分』って思ったんだろうね」と言いました。かおるちゃんは私の返事を待っているようでもあったし、待っていないようでもありました。困ってうつむいてしまった私に、「ごめん、ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだけど」そう言って、かおるちゃんはまた話出しました。
 「この世に生まれたからには、神様は私を必要だと思ったんだよね。だったら、人よりずっと早めに必要でなくなるのかなあ。それとも短い時間で、大切な役目をはたせたということかなあ。あんまり何にもしてないけどね。それとも、病気を持って、早く亡くなるということが、大切な役目をはたすことになるのかなあ」
 かおるちゃんは自分の命の意味を、自分の生きている意味を知りたいと言いました。
 そんな時、私はきまって黙ってしまうのでした。けれどかおるちゃんは私にどんな答えを求めていたのかしらと、とても気になって、ある日「さっきの話だけど、人の命の長さの……」と切り出したことがありました。かおるちゃんは笑って「なあんだ、まだ気にしていたの。あのね、人の命の長さなんて、他の人と比較してもなんにもならないよね。私はどれだけ一所懸命生きたか。どれだけ、命に対して誠実であったかということだと思うよ」と言いました。かおるちゃんは、時には迷いながら、時には疑いながらも、命に対しての答えを持っていてそれを自分に言聞かせているんだと思いました。
 かおるちゃんは、病気を持っているから、体が動きにくいからって言い訳するのは嫌いなんだとも言っていました。だから、絵を描くことも人と関わることもとても積極的でした。
 そんなかおるちゃんがある日、「ねえ、人を愛するってせつないね」と言いました。中庭に一人いたかおるちゃんを見つけて、かおるちゃんのそばに言った時、その声があんまり静かだったのと、その言葉がとても唐突だったので、私は聞き違いだったかなと思ったくらいでした。枯葉が風で私のあとをついてくるように舞っていました。私はその時の情景を今でも時々夢にみます。

 その何ヵ月か後、かおるちゃんは筋ジストロフィの患者さんがたくさんおいでる病院に転院しました。そして、その後、かおるちゃんに会うことができないまま、かおるちゃんが亡くなったという報せをもらいました。「人を愛するってせつないね」私は今でもふとこの言葉をつぶやいてしまうのです。

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