かおりちゃん

 なかなか目があわないけれど、いつも何気なくしていてくれるけど、いつもじっとこちらを見ている、わたしの心を知ろうとしてくれている・・・かおりちゃんの最初の印象でした。
 肢体不自由の養護学校とよばれている学校から、精神薄弱の養護学校とよばれている学校(どの名前もいつも首をかたげてしまう呼び名です。)に移ってきたばかりの私には、口の機能のためじゃなくてお話を言葉でしないということはどういうことなのかわからずにいました。(前の養護学校ではいつも口の機能などが十分でなくても、どうにかして気持ちを表現することを探そうと、タイプや文字盤、サインなどでいっしょにお話をすることにいつも一生懸命でした。)じっとかおりちゃんのそばにいると、かおりちゃんのたくさんの気持ちがあふれてきて、どうしてその言葉を口にだして言わないのだろう。口に出して言わないとどうしても細かなところまで伝わりにくいし、やっぱり言葉でお話してほしいなぁと今から思えば本当に私ってなんにもわかってないなぁと言う感じなのですが、そんなことを思っていました。(私はその時たぶん、前の養護学校にいたとき、不自由な口で、自分の気持ちを精一杯お話をしている子供たちといっしょにいたので、口が不自由でもないのになんてもったいないことって思っていたのだと思います。
 それで「ねぇ、あーっていって。」「いーっていって。」とかおりちゃんにたのむと、かおりちゃんは今までそんなことはさんざんしてきたよという風に困った顔をしながら、口を開けてくれていました。言葉を使ってお話をしないということと、心の中の気持ちを思う時に、言葉を使っていないということはまったく別のことなのに、私はつい、歌の時間など、繰り返し歌をうたうことはかおりちゃんにとって、本当に楽しいことなのかしら?などと思ったり、国語の時間に物の名前のカードをとる練習ばかりしていたりと本当に今から思えばかおりちゃんに申し訳ないことばかりでした。
 かおりちゃんといっしょに毎日をすごしているうちに、私はもうかおりちゃんが好きで好きでしかたがなくなりました。お互いに言葉はなくても、いっしょにいると長い楽しいいおしゃべりをしたなぁと感じられるようになってきました。2年目ころからかおりちゃんはいつもいつもいい笑顔で私を見てくれるようになりました。いつもいつも、私の目をみつめ、私が自分の髪を触る仕草や、笑う仕草、パンを食べる仕草を同じようにかおりちゃんもするようになりました。かおりちゃんが物を手にとる仕草、顔をみつめる仕草をいつのまにか私もするようになりました。私が二階にいても、かおりちゃんは運動場からでも私を見付け、私が手を振ると、体育の時間なのに職員室までかけてきてくれたことがありました。どんなにたくさんの人の中でもかおりちゃんは私の声を聞き分けて、遠くからでも必ず返事をしてくれました。かおりちゃんと私はお互いに、とても必要な存在でした。私がかおりちゃんを好きで好きでたまらなかったと同じだけきっとかおりちゃんも私のことを好いてくれていたと思います。そのうちかおりちゃんは私の口元や、そして声までもまねをするようになってきました。私が失敗してなにかを下に落とした時、私が「ああーぁ」と言ったのをまねしてくれたのが最初でした。そしてそのことを私がとても喜んで「すごいすごい・・」と笑ったのがかおりちゃんにとってもとてもうれしいことだったのだと思います。それは自分で私の真似をして声を出せたという喜びではなくて、私がそのことをものすごくよろこんだということに対する喜びだったのだと思います。
 それからかおりちゃんは「あ」も「い」も「う」もそして「まま」も「ほん」も言うようになりました。たくさんの言葉を使うようになりました。
 かおりちゃんのお母さんもまた私は大好きです。かおりちゃんのお母さんはとても素晴らしい方で、毎日の連絡帳で私にたくさんの事を教えてくれました。いつも勇気と元気をくださいました。二年間の連絡帳は、十冊を簡単にこえました。ある日の連絡帳・・・・「この日をどんなに待ったことでしょう。かおりからままとよんでもらえる日がくるなんて・・・かおりが小さいときからずっとこの日を待ち望んできました。ままと一言呼んでさえもらえたら・・・と。かおりは小さいとき私のことを本当に必要としているのだろうかといつも思っていました。まいごになっても泣くでもなく、私の姿をさがすでもなく・・・ひとりで立っていたかおり。かおりも中学生になり、いつのころからか私は、ままと呼んでもらうということはもうすっかり諦めていました。先生、私は今日{好き}ということが、こんなにも大切だということを知りました。小学校の時の担任の先生にもかおりがしゃべったのだと電話してよろこんでもらいました。・・・・・」

 あぁ、そうなんだ。一番大切なのは好きという気持ちだったのだということを私はかおりちゃんのお母さんの連絡帳を読んであらためてそう思いました。私はかおりちゃん以前はお話できなかったのに、どうして今お話できるようになったのだろうということが少しもわからずにいるままだったのです。人が気持ちを伝えるということは本当になんてむずかしいことなのでしょうか。言葉というものは相手を好きと思って、自分の気持ちを受けとめてもらえるということがわかって、そしてお互いが平等で、いっしょにいることがうれしいと思って初めて、出てくるものなのに、私は最初にそんな関係が少しもないのに、無理に「あーって言って」「いーって言って。」と頼んだのでした。自分はなんて勝手だったのだろうとお母さんの優しい言葉のなかで恥じ入る思いでした。
 かおりちゃんが言葉を使うようになって、私は自分のしてきたことが、なんてかおりちゃんの気持ちを考えてなかったのだろうともっともっと知ることとなりました。例えばかおりちゃんは習った歌は殆ど覚えて知っていたということがわかりました。かおりちゃんがカラオケ大会ではじめて「さいた さいた」を歌った時の感激とそれからその時、言葉はなくても歌うということ以外で合唱に参加して合唱を楽しんでいる子供たちがたくさんいて、そしてその参加の仕方はそれでいいのだということに気付かずにいた自分を思いました。絵を描くとき、かおりちゃんはペンにしたいとか、絵の具で描きたいとかそういう思いは当然あって、なにかの方法でそれを表現していたのに、こちらで勝手に選んで渡していた自分を思いました。
 かおりちゃんとかおりちゃんのお母さんと私と、今でも、本当に時々しか会えないけれど、ずっと仲良しです。今でもかおりちゃんに会いに行くと、かおりちゃんは遠くで私をみつけて、作業中、作業はやめないけれど私を見つめて微笑んでくれます。「私は作業中だから今すぐとんでいけないけど、ほらここだよ。」と言ってくれているのだと、思います。

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