井崎さんが教えて下さった拍手

 夏休みになると、東京のミューズカンパニーというところの主催でサマーアートスクールが開かれます。3年前の夏、私はスクールの中のサマーアートシンポジウムのディスカッションに参加させていただきました。このスクールはあとでいただいたこのときの報告の本によると「このスクールは一人一人が創造的に人生を生きるために、”学ぶ場”としても各種アート・ワークショップ(体験工房)を提供すると共に、障害の有無を超えて創造するプロセスの中でそれぞれ異なる感性や創造性を分かち合い、学び合うことによって、新しい可能性を探ります」という会なのです。

 それでもしかしたら、ご存じの方もおられるかもしれないのですけど、学校にいると、よくお名前を拝見したり、テレビや本などでもお目にかかることができる方がたくさん講師として来ておられました。

 ちょっとお名前をあげさせていただくと、ダンスとかワークショップのヴォルフガング・シュタンゲさん、「ことばが劈かれるとき」の竹内敏晴さん、ことばあそびの波瀬 満子さん、保育研究者の津守 真さん、東京ろう演劇サークルの井崎 哲也さん・・・

 たくさんの方と出会うことが出来て、本当にいろいろなことを感じたり、気がついたりできた、スクールだったのですけど、今日は井崎さんのお話がしたいです。

 井崎さんはNHKの手話ワンポイントアドバイスなどで、テレビに出演しておられたり、何年か前に酒井法子さんが主演されて話題になった「星の銀貨」の手話指導をされたり、それからろう演劇サークルを設立されて、劇の指導をしたりしておられる方です。

 井崎さんご自身も耳がきこえないという障害をもっておられるので、会話は手話通訳などを通してされていました。

 その日、私は、提案をすることになっていました。シンポジウムに参加して下さった方は、みなさん、主催者が分けてくださった「たんぽぽの仲間たち」を読んで、この会にのぞんでくださってました。

 井崎さんは私の顔を見るなり、突然「ありがとう」の手話をしてくださいました。私がそのときわかる手話と言ったら、それこそ「こんにちは」と「ありがとう」だけでした。井崎さんはどうして私にありがとうと言って下さってるのだろう。私はなんてお返事したらいいのだろう・・わからなくて、とまどって、私も「ありがとう」の手話でお返事しただけでした。

 それから井崎さんは手話でいろいろと話しかけてくださいました。でも私は井崎さんのとてもやさしい、そして、表情豊かに話しかけて下さってるお顔を見ながら、困った顔をしてながらほほえむことしかできませんでした。井崎さんはどうやら、私の「たんぽぽの仲間たち」を昨日、眠らないで読んだよと言って下さってるようでした。それから指をひらいた手を心臓の前でぐるぐるまわしておられたので、子どもたちのお話や、大ちゃんやみんなの詩や絵で、心がゆさぶられたよと、そんなうれしいことを言って下さってるようでした。それなのに、私は、どうやってもどうやっても井崎さんに、何も伝えられずにいるのです。とてもはがゆかったし、そのとき、今の自分がとても残念だなあと思いました。そしてきっと私、井崎さんに今度お会いするまでに手話を絶対に覚える!って思いました。そう思ったときに、私ははっと気がついたことがあったのです。

 学校の子どもたちが、ある日、なんとか気持ちを伝えようと切なそうに私を見つめてくれることがある・・今自分がしているだろう、切なそうな目は、きっと、あういうときの子どもたちの目なのではないだろうか・・

 伝えたいという気持ちが起こり始めると、それまでは少しも分かり合えなかった者同志が、だんだんとよりそうようにお互いが分かり合えていくのです。大事なのはこんなふうに切実に伝えたいんだと、心から願う気持ちなのですね。

 その日のシンポジウムのテーマは「人が表現するとき」でした。私はこの瞬間が「人が(気持ちを)表現するとき(しようとするとき)」だと確信したのでした。

 井崎さんはお話の中で、「拍手は手を頭の上に高くあげて、ひらひらします。なぜって、顔の前で手をたたくと、あなたの表情や口元が僕たちには見えないから、わかりづらいよ」とおっしゃいました。手話を覚えるというのは、ただ覚えれば使えるというのではないのですね。相手の気持ちを知りたい、こちらの気持ちを伝えたいという切実な思いが、やさしさを生んで、お互いがわかりあえるようになっていく早道なのだと思いました。

 それなのに、私は、ときどき手話の本を開いたり、NHKの手話教室を見ているけれど、「井崎さんあいかわらず素敵だなあ・・」なんて眺めているばかりで、手話は上達しないままです。

 その日は六本木で打ち上げ会がありました。青山のシンポジウムの会場から六本木まで最短距離だと10分くらいのところなのですけど、知らない人どうしで、あっちかな?こっちかな?と歩いて行ったら、なんと40分以上もかかってしまいました。ところが、私ときたら、出版社の方にお渡しする作品を少し持っていっていたので大きなかばんがとても重くて、途中に足がもつれてどーんと又、ころんで頭を打ってしまったのです。井崎さんはさっと私のかばんをもたれて、リュックのようにかつがれて、「大丈夫、大丈夫」と星の銀貨のドラマの中の方のように、踊るように、それをずっと持って下さったのでした。でもね、本当に重い重い荷物だったのです。

 こうして、井崎さんと、ときどきお葉書をいただいたり、出したり、年賀状をやりとりさせていただいたり、演劇のお知らせをいただいたりという関係が続いています。わたしにとって、忘れられない日でした。

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