はやとくんと仲良くなりたいの 

 うれしいことがありました。
 今年、学校が転勤になりました。そして新しくたくさんの子供たちと出会いました。
 その中の一人がはやとくんです。まだ子供たちと出会う前に、「クラスの子供たちはみんなとても可愛いけれど、でも、男の子で二人、とても力が強くて、背が高くて、でも、気持ちをおさえられないと、男の先生でもおさえきれないほどの子がいるから、気をつけてね」と、いうお話をしてくださった方がおられました。
 その二人の一人がはやとくんでした。
 すらりとして、にっこりと笑ったときの笑顔が本当に可愛いはやとくんですが、でも、その先生が言われた通り、うずくまってしまって動かないことが多いんだなということがわかりました。それから、ときどきすごく怒って頭をぶつけるので、おでこにいつも丸い傷があって、血をにじませています。他の人にも頭をぶつけたり、爪で傷つけたりしてしまいます。
 きっとはやとくんは何かとてもつらいのだなと思いました。周りの先生はとても優しい先生ばかりです。はやとくんにどうしても無理にいろんなことをさせようなんて思っておられる方は誰もいません。はやとくんは、たとえば、あるお子さんの声が高くて大きな声がにがてで、そばにいると怒り出してしまうのだけど、同じ施設から通っているから、バスも同じで、それから、お勉強の時も同じコースなので、一緒になります。はやとくんはそのお子さんの声がずっつ続くと耳を手でおおって、それでも、続くとついに、泣き出して、怒り出して、頭を壁にはげしくぶつけたりして、そのお子さんと離れた後もずっと、泣いて怒っています。はげしく、自分の両手で頭を平手打ちするので、耳が赤くなり、ほおも、腫れてしまいます。悲しすぎて気持ちの整理がつかないのだと思います。もしかしたら、本当ははやとくんは、そのお子さんの声だけでなく、たくさんの人混みもきらいなのかもしれません。だから、そんなときは、なかなか教室から出ようとしないし、授業の教室や運動場や体育館に移動したいくないのだと思います。それで、座り込んでしまうのです。そしてどうにかして立って、どうにかして、移動してもらおうとする先生をなんとか止めようとして、先生の手をくじってしまったり、頭をづづきしてしまうのだと思います。
 はやとくんのしていることは、話し言葉としての言葉のない、はやとくんの言葉だったり、どうにかしてほしいという叫びだったりするのだろうと思うのです。
 でも、やっぱりそんな痛い方法じゃなく伝えてほしいなと思うのです。私はどうやって、今の気持ちをはやと君に伝えたらいいのでしょう。
 私は痛いのを見ていることがにがてなのです。血を見るのもにがてです。やめてって思うから、私はやっぱりほおが痛くならないように、手ではやとくんのほおをつつむしかないのだと思いました。一緒につらいね、つらいんだねって思うしか、私には何もできないのじゃないかなって思いました。
 どんどん赤く腫れていく私の手をみて、周りの先生は、はやとくんが、つらくなると、2時間くらい怒っている・・そんなときは、周りにいると危ないから、そっとしておくしかないと私のことを心配していってくださいました。私も、やっぱり痛いから、やめにしたいけれど、でも、痛いのを見るのがにがてな気持ちもすごく強いから、やっぱりがまんができなくなってしまうのです。そしてどうしようとただおろおろおろおろしているだけなのです。それにしても、手が痛ければ痛いほど、はやとくんだって、ほっぺや頭はどんなに痛かったのだろうと思いました。
それは悲しみの大きさかなと思いました。
 私は、はやとくんの悲しみが心に痛かったのか、それとも、おおった手が痛かったからか、すごく悲しくなりました。そして泣きたくなりました。
 まだ学校も慣れていなかったので、その不安もありました。どんどん気持ちが落ち込んでいくのが自分でもわかりました。でも、にっこりして笑っていたい・・・そんなふうに心の状態も不安定だったように思います。
 周りの先生もとても心配してくださいました。私が、仲良くなりたいと思ってしている姿は、他の人とはもしかしたら違うのかもしれなくて、「手が使えなくなるよ」って何度も言ってくださいました。「はい」とお返事をしながらも、やっぱり私は我慢ができないのでした。
 それは何日目のことだったでしょうか?その日もはやとくんは怒っていました。怒って、怒って、自分の耳とほおをたたいていました。あわてて、私がはやとくんの手を覆ったら、その上に、はやとくんは自分の手を同じようにはげしく打ちました。
 がまんできず、思わず「痛い」と言ってしまったときです。はやとくんが、私の顔をじっとみて、私の手の上にそっとはやとくんの手を重ねるようにしてくれたのです。
そして、何度も、「はっ」「はっ」と言いながら私がのぞきこんでいる顔をじっと見てうなづいてくれたのです。そしてあんなにはげしくたたいていた手もとめてくれました。
 その日から、不思議だけれど、はやとくんは、動かなくなっても、私が「行こう」って手を出してさそうと、立ち上がってくれるようになりました。
 周りの先生も、そのことをすごくよろこんでくださって、はやとくんがどうしても動かないときは、「やまもとさんを呼んでこよう」と呼びに来てくださることもあります。
 私はときどき変わってるねって言われます。だから、最初びくびくしてしまったり、人見知りをしてしまったりします。自分ではわからないけれど、私の子供さんとのおつきあいの方法も、変わってるねと言われるひとつなのかもしれません。長くいた学校では私のことをみんなわかってくれて、ああ、それが山元さんの気持ちにぴったりあったおつきあいの仕方なんだなとわかってくれて、私もとても安心して、その学校にいられます。
 新しい学校に来たばかりだから、私はとても不安でした。でも、新しい仲間もいつもそんな私をあたたかく見守ってくださいます。そしてはやとくんと仲良くなれてよかったねとよろこんでくれる・・・はやとくんも、私のそんな不安な気持ちをきっとさっしてくれたのでしょう。私と一緒にいてくれる・・・
 そのことが私はとてもとてもうれしかったのです。そしてありがとうって思いました。
 子供さんとのおつきあいの仕方で、きっとどれが正しいということはないのだと思います。みんないろいろのように、おつきあいの仕方もいろいろ・・・仲間がそれを認めあってるということが、本当に私うれしいです。

「たくさんの気持ち」のページへ

メニューへ戻る

inserted by FC2 system