歯医者さん

 雷に次いで私の怖いものというと……。 
 私ね。歯医者さん行くの、すごーーく怖い。歯が痛くて痛くてたまらなくなっても、どうにかして歯医者さんへ行かずにすむ必要はないかしら。歯をみがくとなおるかもしれない……なんて、もう手遅れのことを一所懸命してみたりお祈りしてみたり、「あーーーーん」と泣いてみたり、いろいろじたばたじたばたしてみて、それでも寝られないし、顔も腫れてきたみたいな気がする(気がするだけなんですけど)なあと思っているうちについに、もうどうしようもなくなって、それで泣き泣き歯医者さんに出かけて行きました(過去形なのは、今はすっかり悪いところはないはずだからです)。
 それでね、ドキドキして半泣きで行った歯医者さんなのに、その歯医者さんったらね、「痛いですよ」なんて最初に言って、それで、麻酔もきいてないのにゴキゴキってはじめちゃったので、私は痛さと恐怖のあまり気が遠くなってしまって、気がついてから、「もういいです。やめてください」と言って、その歯医者さんから、帰ってきてしまったのです。
 でも、ちっとも、もういいですじゃないのです。小さかった虫歯の穴が治療でもっと大きくなって、それから、もっともっと痛くなってしまったの。あーーーん、思い出すのも怖いくらいです。

 また、一杯悩んで、泣いて、三日後に今度は前と違う歯医者さんに出かけました。今度は加賀八幡温泉病院の中の歯医者さんです。私はあんなに怖い目にあったので、前よりもっと慎重で、びくびくおどおどしていました。
 受付で、泣きそうになりながら、でもこれだけはお話しておかなければならないと思って、「あの、私、痛いの……とても怖いんです」と言いました。受付の人は優しく、「はい、わかりましたよ。先生にそうお話しますから安心してね」とそう言ってくれました。 でもね、恐怖心の塊になっているので、名前を呼ばれた時は、ああ、いよいよと何か恐ろしい瞬間がきてしまったかのようでした。
 先生の名前は中新先生。少し、イッセー尾形さんに似た方です。「痛いの怖い」ということは、ちゃんと先生に伝わっていました。「そんなに口をギュウーとつむんでたら診れないからね。今は見るだけだから、口をあけてね」そんなに優しい言葉も、私は前のお医者さんでの経験から、疑ってしまうのでした。
「約束?」と尋ねると「うん、約束」と中新先生は本当に、少しずつ気持ちをほぐしてくださるのです。
「じゃあ、ちょっとだけコンってしてみるよ」
「本当にちょっとだけコン?」
「うん、ちょっとだけ」
それでね、「あ。痛い」と顔をしかめると「ごめんごめん、痛かったね。ああ、この歯はねぇ。うーーん、神経をとらないといけないなあ。ああそんなに悲しい顔をして、僕の顔を見つめないでほしいなぁ……困ったなあ。どうしようかな。でもね、うーん、やっぱりとりましょ。」
と最後は、有無を言わさない感じなのですけど、こうまで、優しく少しずつ言ってくださると、これは、決して無理やりではないので、(よおし、頑張って、わたしも耐えぬかなくっちゃ)という決意が湧いてくるので不思議です。
 治療中も、それでもまだ、怖くて自然とつうーっと涙がこぼれると、看護婦さんは治療の一環みたいな感じで、さり気なく涙までふいてくれました。
 それで、中新先生がいらっしゃらないときでも、代わりの先生が、私が怖がりなのを、ちゃんと引き継ぎで聞いて下さっていて「大丈夫だから」と同じようにしてくださって、とてもうれしかったのです。
 本当に、私はどうしようもない患者なんですけど、私は、中新先生や他の先生や、看護婦さんが、無理にではなく、でも、私が(患者さんが)なんとか自分から、治療してもらおうという気持ちを持たせて下さっていることにとても感謝して、それから、尊敬しました。

 ところで、この間、麻弥ちゃんのお母さんにお聞きしたのですけど、麻弥ちゃんも、夏休みということで、偶然にこの歯医者さんに通わせていらっしゃるそうです(この歯医者さんがたくさんの障害をもった方の治療にあたられているということをよそで、聞かれたのだそうです)。
 麻弥ちゃんは、治療が怖くて、歯医者さんをとても嫌がっていました。中新先生は、歯医者さんは怖い所じゃないということを、私に教えてくださったと同じように麻弥ちゃんにも教えようと思われたのだと思います。
 だから、おそらく中新先生は、無理に、たとえば、開口器という機械で、それこそ無理やり口をこじあけて、治療するなんてことはもちろんせず、(これを使って、嫌がられると口が少し、裂けたりすることがあるというのを聞いたことがあります。おお怖い)少しずつ治療にあたられたのだと思うのですが、お母さんは、麻弥ちゃんがあんまり嫌がるので、歯医者さんに慣れるまで待つのをやめて、いっそ、全身麻酔でいっぺんに治療してしまったほうがいいのじゃなかしらと考えられたりもしたそうです。だって、その病院は、麻弥ちゃんのところから、ずいぶん遠いのです。わざわざ出かけて、その度にあばれられたら(《あばれる》というのは、私のかたよった言い方ですね。麻弥ちゃんはどうしても嫌だという気持ちを伝えているだけなのですから)お母さんも とても困られて、時にはイライラしたり、「どうして、じっとしてられないの」と怒ってしまったりということもあったのだそうです。
 でも、麻弥ちゃんのお母さんが本当に、麻弥ちゃんの気持ちにいつも添われてて、素晴らしいなあと思うんですけど、お母さんは、ある日、気がつかれたのです。
 麻弥ちゃんは、いつもは車の中で寝る子じゃないのに、どうして今日は寝ていたのだろう、そういえば、この間、歯医者さんに行くときもじっと目をつぶって寝てしまった、もしかしたら、麻弥ちゃんは、いつも歯医者さんへ行くとき通る道をすっかり覚えてしまって、ああ今日は歯医者さんへ行くんだと気がついた時に、なんとか心の中の不安を抑えよう、怖い気持ちを抑えようとして、目をつぶり、努めて寝ようとしていたのではないか……そうして、それはやがて、確信に近いものとなりました。そしてお母さんは私にこうおっしゃいました。
「私は、麻弥が、自分で、ひとりなんとかしようとしていたのに、それに気がつかずに怒ってばかりいたのです。いっそ、全身麻酔で……と思ったりしていたのです。一番つらかったのは、一番怖かったのは麻弥のはずなのに……」
 麻弥ちゃんは話し言葉としての言葉は今、ありません。でも、たくさんの気持ちを持っていて、それをいつも、なんらかのサインでおくってくれているのですね。そして、そのことにいつも気がついて、気持ちに添うておられるお母さんだから、麻弥ちゃんはまたさらに、気持ちをおくろうという気持ちにどんどんなるんだなあと思いました。

 それでね、私も麻弥ちゃんと中新先生のおかげで、《歯医者さんでは、がんばる》という気持ちになったのでした。

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