朝起きて

 毎日のように、中学生の男の子が手紙をくれました。お手紙はいつも「朝おきて」で始まります。たとえばこんなふうでした。

 「朝おきて、顔を洗って、学校に行きました。学校にいくのは嫌だけど、行かないと親が心配するので、行きます。学校で、数学と英語と国語と社会をして、それから給食を食べました。今日の給食は別においしくありませんでした。お昼からの授業は美術でした。美術はなにかをいれる箱を作っています。絵はじょうずではないけれど、美術の時間はましです。別にしゃべらなくていいからです。書くのが疲れたので、やめます。また手紙かきます。また、お返事ください」
 行事や、修学旅行の手紙をくれることもありました。
 「朝おきて、顔を洗って、学校に行きました。今日は映画を見ました。別におもしろくありませんでした。でも、しゃべらなくていいので、よかったです。それから部活に行きました。部活には友達がいるので、ときどきしゃべります。今日は、ユニフォ−ムを青にするか白にするか友達にききました。青にするといったので、僕は白にしようと思います。理由はまねをしたとおもわれたくないからです。書くのが疲れたので、また今度続きを書きます」
 私はどんなふうなお返事を出したらいいのかわからず、私もまた、今日あったことを書いています。
 「今日は生活単元学習で、ごへい餅を作りました。ごへい餅って知ってる?もち米じゃなくてご飯でできるんだね。竹を切って棒を作ってその周りにご飯をつぶしたものを小判型にまるめてくっつけて、焼いたの。すごくおもしろかったよ。それにおいしかった。高山に行きたくなっちゃった」
 こんなふうに手紙をだしながら、私はお互いがなんだか気持ちが通じあってないようなさびしい気持ちがしていたのです。私がお返事を出すから、また書かなくちゃと思って書いてくれているだけなんじゃないかしら、本当は負担に思っているのではないかしら、と心配になったりもしていました。でも、いただいたお手紙のお返事を書かないでおくという勇気が私にはありませんでした。お手紙を毎日くださるということ、書くのは疲れると書いてあるけれど、それでも書いて下さるということはもしかしたら私のことをお友達のように思って下さるからじゃないのかしら、私になにかメッセージを伝えようとしているのではないかしらと思いなおしたりしていたのです。
 お手紙をいただくようになって、一年半がたっていました。ところがある日からお手紙がぷっつりこなくなったのです。病気か何かあったのではないかと気にはしていたものの、学校や家がいそがしくなって、お手紙を書く時間がなくなったのかなって軽く考えていたのです。そうして三週間になりました。

 ときどき、どうしているかなあと気にはしていたものの、手紙も出さずにいたのです。ちょうど三週間目の日、男の子のお父さんからお手紙をいただいて、びっくりしました。「息子が学校に行かなくなって、もうすぐひと月になろうとしています。息子は前からあまりたくさん食べるほうではありませんでした。学校に行かなくなって、息子はほとんどといっていいほど、ものを食べなくなりました。学校に行かなくなったのは私のせいだと思います。先日学校に呼ばれたのです。息子が学校でほとんどしゃべらないということ、覇気がなく一所懸命ものをするという姿がみられないということ、歩く、書く、食べる、どんなことをさせても、ゆっくりで、ただ時間がすぎるのを待っているだけのようだということ、先生が「しっかりしろ」と何度叱っても、平気で、下をむいていて、薄ら笑いをうかべていることすらあるということ、それで先日先生がきつく叱ったのだということなどを先生は話されました。私は恥ずかしくて、ただ、すみませんとあやまるだけでした。自分の若い頃は息子とは反対の生活でした。勉強もそこそこできたし、部活動、生徒会活動なんでも、ばりばりやりました。私の好きな言葉は昔から「全力投球」です。息子がなぜそんなふうに育ってしまったのかとなさけなくてなさけなくてしょうがなかったのです。なにか苦しいことがあるのかもしれないけれど、もっともっと苦しい人だってたくさんいるのにみんな頑張っているのにと腹ただしくてなりませんでした。帰ってから息子を怒鳴りつけました。「そんなふうにしかできないのなら学校なんてやめてしまえ」息子は言い訳もせず、ただうつむいているだけでした。聞いているのか聞いていないのかそれさえもわからない息子の様子に憤りを覚え、初めて息子を殴り付けました。息子はその次の日から学校へ行かなくなったのです。「やめてしまえ」というのは、もちろん本心ではなかったのです。それを息子に伝えても、息子は部屋から出てはきません。食事もとらず、ただコ−ラやコーヒー牛乳を飲むだけです。母親が言うには、毎日一日一度、外に郵便配達のバイクの音がすると、かならず部屋から出てきてポストをのぞくのだそうです。母親はきっとあなたからのはがきを待っているのだと言うのです。そして、あなた様からのはがきをポストの中に見付けられず、がっくり首をうなだれるようにして部屋へ戻っていくそうです。私は恥ずかしながら、あなた様から一年半もの長い間、毎日はがきをいただいていたということなど少しもしりませんでした。いいえ、それどころか、忙しい仕事にかまけて、息子のことを母親にまかせっきりで、息子のことは何一つしらないということに気が付きました。参観日や行事にいってやったこともなく、この間、学校から呼び出されて、何事かと初めて息子の学校へでかけたのです。あなた様のことを母親に何者だと聞きました。母親はどうも学校の先生らしい、はがきをぬすみ見て知ったのだということでした。息子の学校の先生なのだと思って喜びました。もしそうであれば、息子と学校をつなげるものがあるということになるからです。そしてむすこは学校へ行くようになるかもしれないと考えました。学校に問い合わせましたが、そういう方はおられないということでした。息子とあなた様のつながりはどういうものなのかということもわからずにいます。けれど、あなた様がたよりです。
 息子はどんどんやせていきます。死ぬつもりなのだと思います。息子は飛び降りたり、薬を飲んだりするような積極的な死に方は選ばず、息子の生き方どおりにゆっくりと命をたとうと決めているような気がして恐いのです。あなた様のお忙しいお体を思うと、どうしてお願いしたものやらと思案しましたが、息子はあなた様に一筋の光を求めているのです。どうぞ、息子に手紙を出してやっていただけませんか。失礼とは充分ぞんじておりますが、切手を同封させていただきます。どうぞ息子と私達を助けてやってください。お願いいたします。

 私と彼の手紙の交換は、お互いが一方通行のようなやりとりでした。私は彼の気持ちを彼の手紙からはあまり汲み取ることができなかった気がしていたし、私もとりとめのない日常を書き送っていただけなのでした。彼が毎日待っているのは本当に私からのはがきなのでしょうか。彼はどうして、一年半もつづいた手紙を私にくれなくなったのでしょうか。いつも学校のことばかり書いて送ってくれていたので、学校をお休みするようになって、手紙がかけなくなったのでしょうか。学校を休んでいることをどういうふうに書いていいかわからなかったからなのでしょうか。家から一歩も出ずにいるということだから、ポストに手紙を出しにいけなくなったからなのでしょうか。それとも、人とのつながりを積極的に持つという気持ちになるのが、今はむつかしくなっているのでしょうか。

 私は彼から今までもらった手紙をもう一度最初から読み返しました。彼の淡々とした手紙を読みなおしてみて、とても驚きました。彼は自分の思いをこんなにもこんなにも書いてくれていたのに、なぜ私はそのことに少しも気がつかなかったのでしょうか。
「学校は嫌だけど、親が心配するから行きます」「授業はわからなくてつまらないけれど、先生が一生懸命教えてくれるのに悪いから座っています」「給食の時間は好きだけれど、たべるのが遅いので、はやく噛むようにしています」「しゃべるのはにがてです」「席が後になったのでうれしいです。前の席だと後から見られているのが嫌なのです」「かっこうをつけていると思われたくないので」「まねをしたと思われるのが嫌なので」「わざとゆっくりしていると言われてしまうのが嫌だから」彼はきっとふりしぼるようにして自分の気持ちを手紙に書いてくれていたのです。だから書くのが疲れてしまうのかもしれなかったのです。それなのに、私はそのことにきがつきませんでした。疲れるのにお手紙こんなに毎日書いてくださるのはどうしてなのかしらなんて思っていたのです。きっと彼は、自分の気持ちを本当は学校の先生やご両親に話したかったのだと思います。でも、そうすることがむつかしくて、一度も会ったことのない私に手紙で話してくれていたのかもしれません。彼はつらくても、つまらなくても、「学校に行かないと両親が心配するから行きます」と書いていました。「先生が一生懸命教えてくれるのに悪いから座っています」と書いていました。そんな彼の思いを彼のやさしさは彼の周りのかたがたには伝わらなかったのですね。精一杯の彼なりの彼の生き方を攻められ、きつく叱られたり、殴られたりした彼の苦しみを思うと、やりばのないいきどおりを感じます。お父さんや学校の先生が悪いと言いたいのではないのです。それは一年半もの長い間、手紙を毎日いただきながら、少しも彼の心の痛みを知ろうとしなかった自分にたいしてのいきどおりかもしれません。「本当のことは目には見えない」のに自分の思い込みだけで、人を判断してしまいがちな社会全体にたいしてのいきどおりかもしれません。一生懸命さは人によって違うと思うのです。苦しみだってみんないろいろです。「あの人はあんなに苦しんでいるのだから、あなたはまだまし」なんてことは言えないと思うのです。苦しみはひとりひとりがかかえているものなのですもの。

 それなのに、私はどうしていいのかわからず、今まで出していたと変わらない手紙を毎日出しているだけです。
 でも、うれしいことがありました。一週間くらいして、彼からひさしぶりに手紙がきたのです。「朝おきて、テレビを見ました。いじめのニュースだったので、消しました。いじめのニュースは聞いていると頭が痛くなるので、見ません」と書いてありました。
 

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