宇宙の秘密

9 みんな気持ちを持っている

前にも書いたけれど、小さいときによく「変わった子だね」と言われました。それはきっと、ぼおっとして、なんだかへんてこなことばかり考えていたからかもしれません。

夏の夜、親戚のおうちで、花火をしていたときに、蚊にさされて、かゆくてたまらずに、手をぽりぽりと掻いていたら、「虫にさされたあとを掻いたらだめだよ。とびひになっちゃうよ」と言われたことがありました。とびひというのは、皮膚の病気で、菌がつくと、そこに、かゆい皮膚の病気が、まるで飛び火のようにうつっていくのです。

「とびひちゃんは、たくさん友達がほしいから、かゆくなるの?」

 私の質問を聞いた大人の人は、この子は何を言いたいのだろうって思ったと思うのです。かえってくる言葉はやっぱり「変なこと考える子だねえ」というのでした。

そのときは言葉がまだ上手に使えなくて、自分が言いたかったことをちゃんと伝えられなかったけれど、今考えると、小さかった私はこんなことを言いたかったのじゃないかなと思うのです。

とびひは、子孫を残すために、人をかゆくして、とびひにかかった人が、そこをかゆいかゆいと掻くから、汁が出て、その汁が手について、よその人にうつる・・・とびひにも“つもり”というか“気持ち”があるんだねって。

そんなふうに考えるならば、風邪も、ウィルス性の肺炎も、子孫を残すために、人に咳をさせようとするのでしょうか?風邪のウイルスにも気持ちがあるのでしょうか?

小さいときの私は、ばい菌も、動物のように思えて、きっと気持ちがあるのだと考えたのだと思います。とっぴょうしもない考えのようだけれど、でも、このごろ、私、もしかしたら、どんなものにも、ばい菌やウィルスや、もっともっとどんなものにも、気持ちというものががあるのかもしれないなあと思うようになりました。

大ちゃんは「海にも山にも、風にも、花にもみんな気持ちがあるよ」というのです。大ちゃんは折にふれて、そのことを教えてくれます。

夜空を見て

星の気持ちを考えたい

窓から顔を出して

風の気持ちを考えたい

君の目を見て

オレの気持ちを考えたい

今日のあられはどうなった

空には空のつもりがあるんだ

夏は海

海の考えごとは

誰にも知れない

 最初は私、大ちゃんが「星の気持ち」「風の気持ち」といっても、「虫の気持ち」といってもぴんとこなかったのだけど、このごろは、大ちゃんが言いたかったことってこういうことなのかなって思うことがあります。

 風が吹いている・・葉っぱをゆらしている、女の子の髪をゆらしている、そして、女の子のそばにいた男の子が、揺れる髪を見て、ちょっとどきっとしたりもする・・・風が吹けば、おけやがもうかる・・ということばがあるけれど、風が吹いたり、気温があがったりするだけでいろんなことが起きる・・・何かが起きて、世の中の状態が変わっていくのだったら、もしかしたらそんなこともやっぱり“大きな力”が働いてのことなのでしょうか?

いったい風が吹くってどういうことかなって思ったら、それは空気が、温度や気圧によって動くということなんですよね。それは空気が、高いところから、低いところへ流れたいなあ、「ああ、すごくあっちへ行きたいなあ」って思ってるんだって言い換えることができないかなあと思うのです。ものすごく温度差や気圧さがあったときに、「すごく、そっちへ動きたいなあ」っていう空気の気持ちがおこって、風は強くなるのかなって思うのです。

そんなふうに考えれば、本当にどんなものにも気持ちというものがあると言えるのじゃないかと思います。

けれど、こんなふうにも考えられないかと思うのです。700年後のエイズウィルスの出現をみこおしたように、ペストが流行して、その流行によって、人の遺伝子が変わって、そのエイズウィルスに感染しない人が出てくる・・・病気などのウィルスが気持ちを持っていて、その気持ちのままに行動?しているとしても、そのウィルスは、もう少し言い換えれば、それは“大きな気持ち”というか、“宇宙の気持ち”というか、そういうものとつながっているのじゃないか、風とか空気の気持ちとも、その大きな気持ちにつながっているんだろうなということなのです。

 仏教には「生かされている」という言葉があります。それから「神のみぞ知る」「神のみここころのままに」というイスラムの言葉があります。違う宗教なのに、同じようなことを言っているのはとても不思議だけれど、金沢のえらいお坊さんの「本当のことだから」という言葉のように、本当のことだから、違う宗教でも、同じような言葉があるのでしょうか。

地球には、風が吹き、雨が降り、人が生き、動物が生き、草花が咲いている・・・それぞれが自分の気持ちを持って、お互いに関わり合いながら生きているのだけど、みんなが大きな気持ちのもとに、つながって生きているのだとすれば、私たちはみんなひとつなのだとも思えるし、またすべてがいつかのいい日のためにおこるのだとすれば、なんだか、変な言い方になってしまうけれど、私たちはいつも「大きな愛につつまれて生きている」と言えるのかもしれないなあと思ったのでした。



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