宇宙の秘密

8 昨日のつみかさね

前に書いたジグソーパズルの上手なあっちゃんと最初に出会ったのは、入学式の日でした。教室に一人でいたあっちゃんは、私の顔を見ると「僕が今日から、この養護学校の中学部一年生に入学したものです。以後よろしくお願いします」と丁寧にあいさつをしてくれました。あまりに丁寧なあいさつに驚いて、私も「私のほうこそよろしくお願いします」と挨拶をしたのを覚えています。

あっちゃんはいつも身体全体でいろいろなことを感じていました。それはあっちゃんの素敵なところでもあるけれど、でも、あっちゃんの住む社会や生活を狭くしていたり、暮らしにくくしているとも思います。

あっちゃんはたとえば、今、あっちゃんの回りでしている音はすべて心に入ってくるようでした。私は、あっちゃんと違っていつもぼおーっとしているから、友達と話しているときは、友達の声しか耳に届いていないけれど、あっちゃんには、私と話しているときも、外の雨の音も、車の音も、それから、遠くの部屋でなっている音楽も、チクタク響く時計の音も、飛行機の音も、水道の音も、友達の話し声も笑い声も、そして私の話し声も、どれも選ばれず流れるように入ってくるようなのです。音だけではありません。椅子にすわっている感覚も、洋服のタグも、口の中の味も、たくさんのにおいも、みんなみんな流れるように入ってくるようなのです。

たくさんの情報が流れるように入ってくることはとてもつらいと思います。あっちゃんは袖を折り曲げて着るのを嫌っていました。それから洋服のタグはみんな引きちぎってしまいました。自分の口の味を消したいと言って、水をいつも飲んでいました。それから、あっちゃんは口癖のように「情報を整理したいのです」と言いました。だから、決まった食事しか、最初はとらなくて、明治のコーヒー牛乳と、カルビーのポテトチップスだけしか食べませんでした。給食も、お母さんのお弁当もみんな「不確実な味がする」と言って、食べようとしませんでした。それから、いつも決まった場所を決まった時間に通るようにしていたし、決まったテレビ番組をいつもみたいと言っていました。

「何時何分から夕方ですか? 何月何日から秋ですか?」

ある日、あっちゃんが、私に聞きました。あっちゃんはどんなことも、きちんと決めたいのだろうとわかっていたのだけど、どう答えたらいいかわからなくて、

「だんだんお昼から夕方になるのではダメ? だんだん夏から秋になるのではダメ?」

と言いました。あっちゃんは、

「そんな不確実なことでは困ります。今はお昼ですか? 夕方ですか? 今日は夏ですか? 秋ですか?」とまた聞くのです。

「お日様が沈みかけているときが夕方っていうのはどうかな?」

あっちゃんは「よい考えです」と言ってくれました。そして、あっちゃんは、日が沈む時刻を新聞で調べ、その時間になると寄宿舎の屋上に上がって日が沈むのを見届け、「夕方です」と満足そうにうなずきながら言うのでした。

けれど、二日後に、あっちゃんから、とても悲しい声で電話がかかってきました。

「雲が多くて、日が沈みません。夕方はどうなるのですか?」

「あっちゃん、雲の向こうで日が沈んでいるんだよ。新聞に書いてある時刻に間違いがないから、それでいいよね」

でも、あっちゃんは、「見ていないのでわからない」と電話の向こうで泣いていました。

それから、いつから秋ですか?というあっちゃんの問いに、「暑くなくなってきたら秋っていうのはどう?」と答えました。でも、あっちゃんは、それでは納得してくれませんでした。

「ああ暑い。夏みたいね」なんて私がいうと、「昨日は、もう秋ねといいました。秋から夏にはなりません。秋の次は冬です」と言って、頭を抱えたまま、しまいには頭を床にゴンゴン打ち付けてしまいました。

私にとってはいつから夕方か、いつから秋かということは、どうでもいいと思えるのだけど、あっちゃんにとっては大変なことなのですね。あっちゃんは自分で決めた時間の中で生活をしているので、つらいだろうなあと思うことがたくさんあります。十一時前に寝ると決めていて、その前に眠くなると、水をかぶったり、まぶたにセロテープを貼り付けたりして、その時間まで必ず起きているのです。何かしたいことがあるわけではなく、自分の決めた時間になっていないからなのです。

けれど、ワープロの文章が、そんなあっちゃんのつらい気持ちを助けてくれました。

「新聞の日の入りの時間を夕方とする」「眠くなった時間を寝る時間とする」

そんなふうに活字で書いたら、手書きではうまくいかなかったことが、あっちゃんの心の中にすんなりと落ち着いたのです。

どうして、ワープロの活字だったら大丈夫なのか、それは私にはわかりません。ただ、にっこり笑って、夕日の時間を確認しているあっちゃんの笑顔を見て、とてもうれしい気持ちになりました。

しんちゃんという友達がいます。しんちゃんはみんながびっくりする特技をいっぱい持っています。どんなに昔の日でもどんなに先の日でも、けっして、間違えずに曜日をぴたりとあてることができます。それから、一度聞いた誕生日や住所はずっと忘れずに覚えています。車のナンバーも、種類もみんな覚えています。絵も見たとおりに覚えて描けます。電話帳をぱらぱらとめくって、その電話帳をすっかり覚えているし、電車の時刻表もすっかり覚えているから、大阪へ行くときに、どの切符を取ったらいいかなんていうこともすぐに教えてくれます。お買い物をしていて、消費税まであっという間に計算をして教えてくれるし、小麦粉を買おうとしたら、「こっちの方がグラムあたり、2円20銭安いです」みたいなことを教えてくれます。

「しんちゃんって本当にすごいよね。困ること何もないんじゃないかな?」よくそんなふうに言われます。

でも、しんちゃんはときどき「生きることは大変です」と言うのです。しんちゃんは一度こうだと決めたことを変更するのが苦手なのです。ある日、しんちゃんの通学路が工事中で通行止めになっていたことがありました。しんちゃんは毎日通っている道をなんとか通りたくて、工事中の大きな穴に入っていって、工事現場で働いている人に止められて、大きな声で泣きながら学校に来て、その日一日とても悲しそうに泣いていました。

しんちゃんはいつも決めた時間通りにものごとがすすんでほしいと思っています。お昼ご飯の時間も決められたとおりに食べたいとしんちゃんは思っているのです。

体育の時間が少し伸びて、十二時をすぎてもおわらないときに、しんちゃんは「十二時ですから、失礼します」とさっさと体育館を出ていこうとしました。「もうちょっとだから待っていて」と声をかけても「お断りします。もう十二時を三分も過ぎています」と出ていってしまうのです。

障害名が何だということは、みんないろいろだから、そのことにこだわる必要は少しもないのですが、あえて、ここで書かせて頂くなら、しんちゃんやあっちゃんは、自閉症と診断されているお子さんです。しんちゃんやあっちゃんは、きっとすごく情報の回路が大きく開いているのだと思います。だから、“本当のこと”を教えてくれている“大きな力”からの情報も受け止めやすいのかもしれません。

ところで、いろいろな伝記を読んだり、折りにふれて、昔の偉人の話をきくと、偉人といわれる人の中に、情報の回路を大きく開いていたのだろうなあと思われる人が何人もいます。そして、やっぱりしんちゃんやあっちゃんのように辛いこともあったのじゃないかなあと思われる記述がたくさんあります。

エジソンは学校では長い間座っていることがむずかしかったり、突拍子もないいたずら(エジソンにとってはいたずらではなかったかもしれないけれど、他の人にとってはそんなふうに感じられた)をしたりして、学校へはほとんど通っていなかったということでした。平賀源内も、それから南方熊楠も、百科事典のようなものを、ながめるだけで全部覚えて、家へ帰ってから、まったくそのとおりに、書くことができ、それから人とのつきあいが苦手で、嫌なことがあると、食べたものをあいてに向かって吐いて、その思いを伝えたと書かれてありました。豊田佐吉さんはぼおっとしているために、昼あんどんなども呼ばれていて、でも、本当はいつも何か大切なことを考えていたということでした。レオナルド・ダビンチも、ガリレオ・ガリレイも同じような記述がありました。

情報の回路をたくさん開いている人は、“大きな力”からの情報もまた受け止めやすかったのかもしれません。そして、本当のことに耳を傾ける力があったから、たくさんの発見や発明ができたのだと思います。今の科学を作った人たちの多くが、もしかしたら自閉症という診断が今であれば、ついたのかもしれないと思うことは、なんだかとてもうれしい気がします。なぜって、私はやっぱり学校の子供たちが大好きで、障害のためにつらいこともいっぱいあるけれど、でもやっぱりとても素敵で、大切で、そして障害はやっぱり人類を救うためや、いつかのいい日のために大切だからあるのかなと思えるからです。

偉人伝に書かれている人のように、なにか発明をしたり、発見をしたりした人だけが大切なのかというと、それは違うと思うのです。それから、特別の能力を持った人たちだけが今の科学に必要だったかというと、それも違うなあといつも思うのです。

たとえば、飛行機のことを、私、よく考えます。飛行機はライト兄弟が初めて発明したけれど、ライト兄弟以外にも今の飛行機を作るのに大切な人がきっといっぱいるって思うのです。

いつもいつも、空を眺めて「鳥のように空をとべたらいいなあ」と思った人がいなかったら飛行機はできていないかもしれません。それから、ライト兄弟が飛行機を作ったときにその飛行機の部品には自転車が使われました。それならば、自転車を発明した人が必要だし、それから、その自転車を作るために、鉄の素材や、それから歯車や、いろいろなものを考えた人の誰がいなくても飛行機はできていないと思うのです。その人たちが生まれるためにはたくさんの出会いがあっただろうし、その人が、それを発明しようとするためにも、いろいろな思いつきや、たくさんの出来事がきっとあった・・・どれもがとてもとても大切なものだったに違いないと思うのです。そして、それはきっと偶然じゃなくて、必要だから、そこにあったのだと思うのです。

そして、飛行機も明日のなにかのために存在しているのかもしれません。たとえば、誰かを乗せて、どこかへつれていくことがとてもとても大切だったり、空を飛ぶ飛行機をながめた少年にとって、その飛行機が必要だったり、未来の乗り物につながるためだったり・・・。

私、こんなふうに思うのです。すべてのことは、明日のあなたのためにあり、明日の私のためにあり、明日の宇宙のためにある・・・そんなふうに思うのは、傲慢でしょうか。

大ちゃんはこんなふうに言っています。


 僕が今ここにいることは

僕の足あとの

つみかさねやと思う

たくさんの昨日があって、

たくさんの明日がある

たくさんの昨日は

いつもたくさんの明日のために

歩いている

 

  



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