宇宙の秘密

4 ペルーの秘密

大好きなお友達の一人に、阪根博さんという方がおられます。ペルーの天野博物館の事務局長さんをされておられて、ペルーの歴史や遺産についても、とても詳しい方です。

 阪根さんは、あふれるほどのペルーの知識があって、その中から、たくさんのペルーの不思議について話してくださいました。

 まず、ナスカの地上絵のこと。ナスカ平原に描かれた巨大な絵は、その場にいても、それが絵だとはわからないほど大きいのだけど、絵の中で、圧倒的に直線が多くて、その直線は、上から見ると、ものさしで線を引いたかのように、まっすぐだけど、下に降りてみると、山や谷などの大きな起伏がいくつもあって、まっすぐにその線を引くことなど、とても不可能だというのです。たとえ、長いひものようなものを持って、直線を作ろうとしても、起伏がはげしいから、けっして不可能だと思われるのに、上から見ると、本当にきれいな直線になっているのだというのです。

 それから、石垣のこと。ペルーの遺跡には石垣がいくつもいくつもあるのだそうです。そのうちのいくつかは、とても大きな石がきちんと組み合わされているのだけど、石と石のあいだに、少しの隙間もなくて、カミソリ一枚入らないほど、きちんと組み合わされていて、そのようなことは、今の科学を持ってもむずかしいように思われるのだそうです。

 それから、文字というものは存在しないけれど、ひもで情報を伝えているということ。これだけの進んだ文明を持っているのに、文字をもっていないということがとても不思議で、けれど、キースというひもの結びの状態で情報を伝えているのだというのです。そのキースというものは、棒に、ひもが何本かくくりつけられていて、結び玉があるなしで、お互いに網の目のように結んで、どうやら、それで1と0のデジタルで情報を表し、暦も、そのキースで表しているのだけれど、それでうるう年の計算までどうやら行われていると言うのです。その他にももっともっといろんなことが、あって本当におもしろいお話ばかりでした。。

 阪根さんが言いました。「ペルーの遺跡にはたくさん不思議なことがあるんだよ。不思議だから、みんなびっくりするし、興味深いし、みんないろいろな想像をする。どうして、誰が何のために、こんなことができたのだろうって。そしてみんなわからないから、宇宙人が来てしていったのかなって言う。僕は決して宇宙人が存在しないなんて思ってる訳じゃないんだよ。地球だけが知的に進んでいるなんて、そんなことは傲慢な考えだと思うから。でもね、宇宙人を持ち出すのは一番あとでいいんじゃないかと思ってね。このごろじゃ、誰かに尋ねられるたびに、『わかりません』と答えるんだ。『誰が何のためにどうやってしたのかはわからない』と答えてる。かっこちゃんはどう思う?」 

私はそのときに、学校の子ども達のことを思いました。子ども達なら、きっとインカの不思議なことをできる・・・

突拍子もないことのようだけど、そう思った私は、阪根さんに「私、インカの秘密がわかったよ」って言ったのです。

 それにはこんなわけがありました。

 ひろしくんという男の子がいました。ひろしくんは、みんなで遠足とか、バス旅行とかそれからおうちからどこかへ出かけると、決まって絵を描くのです。遠足へ行くとおむすびとか、牛とかそんなものを描く子どもたちも多いけれど、ひろしくんは違います。画用紙に、道を書いたり、建物や、あきちや道路や、公園などを上から見たようにして、地図を描くのです。歩いただけだったり、バスで走っただけだったり、あるいは、その場所にいるだけなのに、とても正確な感じの地図をかくのです。あるとき、ふと思いついて、絵を縮小コピーにかけて、たまたまあったそのあたりの道路地図に重ねてみてとても驚きました。ひろしくんの絵は、道路地図に何ミリも違わずに見事に重なったのです。あわててそれまでにひろしくんが描いたたくさんの絵を出してきて、それを航空写真や道路地図に重ねてみたら、やっぱりどれもちゃんと絵と地図や写真が重なったのです。縮尺が違っても、その道の割合がまるで同じということにも驚いたし、それから、飛行機に乗って、見て描いたように描けていたことにもとても驚きました。私はひろしくんはきっと心を空にとばせるんだなと思ったのです。

 ナスカの地上絵の話を聞いたときに、私はひろしくんのことを思いました。ひろしくんなら、きっと地上にいて、空に心をとばしながら、大きな大きな絵をかけるだろうなと思ったのです。空から見ることができれば、まっすぐな大きな線だって、きっと引くことができるでしょう。

 ひろしくんの他にも、空に心をとばせるのかなと思う子どもさんはたくさんいます。

 ゆうきくんはいつもいつも歩いていました。お母さんがおいかけても追いつかないくらいさっさと、歩いていました。まるであてずっぽうに歩いているように見えるのに、決まった時間になると、どんなに遠いところへ行っていても、かならず戻ってくることできるのです。知らない土地へ行ってもそうです。方向感覚がいいのか、それとも、やっぱり空へ心をとばせるから、自分がどこにいるのか、どうやったら家へ帰れるのか、目的地へ行けるのかわかるのでしょうか?

 ゆういちくんと運動場にいたときに、ゆういちくんは、一生懸命、抜いた草や石をまっすぐに並べていました。どうしてこんなにまっすぐに並べているのかなと思っていました。次の授業の時間が始まっても、ゆういちくんはそれをやめませんでした。昼近くまで、運動場で、ゆういちくんはずっとその作業を続けていました。それから4階へあがってから、なにげなく運動場を見て驚きました。草で描かれた図形は、少しも狂いのない、大きな大きな正方形だったのです。大きな大きな正方形を描くのはむずかしいですよね。いったいどこまで行ったら隣の辺と同じ長さになるのだろうなんて、決して簡単に分かるはずがありませんもの、けれど、ゆういちくんの描いた正方形は、角度も長さも、少しのくるいのない、正方形でした。ゆういちくんもやっぱり空に心をとばせるのでしょうか?

 そのほかにも、知らない土地へ行っても、どこにいても、けっして迷子にならない子どもたちともたくさん出会いました。もしかしたら、迷子にならないのも、空へ心をとばせるからかな?そして、もし心をとばせるなら、ナスカの地上絵も描けるでしょうか?

 あっちゃんという男の子がいました。あっちゃんはジグソーパズルがとても上手でした。どんなむずかしいジグソーでも、初めてみてすぐに、ぱちんぱちんと迷いなく、パズルをはめていきます。それだけでも、本当にびっくりします。ある日、世界一むずかしい“ミルクジグソー”というパズルを手に入れました。たいていのジグソーパズルは絵が描かれているものを、いくつものピースにくぎったものですが、このミルクジグソーの表面はただ白いだけで、絵がかかれていないのです。真っ白だから絵や線をてがかりにはめていくことができなくて、形だけを見て、はめていくのです。ところがあっちゃんはそんな難しいジグソーも、他のジグソーとまったく迷うことなく、一つ手に取って、ぱちん、一つ手にとってぱちんとはめていくのです。

あっちゃんは、どうやら、正確に形をよみとることができるようなのです。あっちゃんなら、ナスカの石垣の石をかみそりのすきまがないくらいに上手にはめていけるかもしれません。

 それから今まで勤めたいろいろな学校でカレンダーが大好きな子どもたちと出会いました。30年後の何月何日は何曜日?25年前の何月何日は何曜日?そんな質問に、たちまち答えることのできるお子さんはどの学校にも何人もいました。

 カレンダー計算が得意な子どもたちのことを研究した方の本を読んだことがありました。その本によると、カレンダー計算の得意な子どもたちは3つのグループに分けることができるとわかったのだそうです。「○年の△月×日は何曜日?」と聞いたときに、なにかの機械で見ると、右側だけが赤くなるグループ、左側だけが赤くなるグループ、その両方が赤くなるグループ。それを見て、ひとつは、脳の中の計算野(けいさんや)だけを使ってカレンダーの曜日を出しているグループ。もう一つは記憶だけで曜日を出しているグループ。そして、3つ目はその両方を使っているグループがあるとわかったのだそうです。驚いたことに計算で曜日を出しているグループのお子さんの中には、数字の0と1と2しか知らない子どもたちがいっぱいいたということがわかったのだそうです。0と1と2でどうやって計算したら、カレンダーの曜日がわかるのかわからないけれど、その子どもたちは、うるう年の計算までしっかりできるのだそうです。

 ペルーの0と1で計算しているキースとおんなじだなあと思いました。子ども達も、キースも同じデジタル・・・。不思議な一致です。

 ペルーには文字がないということについて、私はこんなふうに思いました。子ども達の中には、ずっと前の記憶を決して失わずに覚えているお子さんもたくさんおられます。

生まれてすぐのピンクのおくるみの肌触りが痛かったとさめざめと高校生になってから泣いている女の子もいます。赤ちゃんのときにお買い物の時、ベビーカーを少しの間、入り口に置き去りにされたのが、とてもさびしかったと泣いている男の子もいました。それから何年の何月何日に、こんなことがあって、そのとき、お母さんと学校の先生はこんないろのこんな洋服をきていたと話してくれる人もいます。電話帳をすっかり頭の中に記憶している男の子もいます。これほどまでしっかりと覚えているなら、文字で記録する必要はないかもしれません。

 それから子ども達の中には、他にも素敵な力を持ったお子さんがたくさんいます。

文字も、時計も読むことがむずかしいのに、「今何時?」と尋ねると、何時何分と間違いなく答えてくれるお子さんがいます。お散歩に行くときも、時計をもたなくても、そのお子さんに時間をきけば、なんの心配もなく、次の時間までにちゃんと学校に帰ることができるんです。

それから未来がわかるのかなと思われるお子さんもいました。いつもは、帰り支度を始めるあやちゃんがその日に限ってなかなか帰り支度をしてくれません。「早くしないとお母さんがお迎えにいらっしゃるよ」と声をかけても、その日は、遊びをなかなかやめませんでした。ところが、なぜか、その日はお母さんがなかなかお迎えに来られず、30分ほどして、そのあやちゃんが帰り支度を終えたころ、お母さんが息せき切って教室に入ってこられました。(あやちゃんは今日お母さんのお迎えが遅くなるということを知っていたのかな?)そう思ってお母さんにあやちゃんの様子をお話しすると

「いえ、いつもの通り、家を出ようとしたときに、お客さんがあって、遅れてしまったので、あやは知らないことなんです。でも、この子は、ときどきそういうことがわかるみたいで、大好きなお買い物にその日に限って出かけるときに、動こうとしないので、無理に連れて行ったら、お店の前で大嫌いな犬にばったりあってしまって、ああこのことだったんだなと思ったりもするんです。不思議な子なんですよ」とお母さんはおっしゃいました。

そんなふうに、子ども達なら、インカ帝国の謎も、謎じゃなくなるんじゃないかなと思うのです。阪根さんにお話すると、「すごく興味深くてうれしい」と目を輝かせてくださいました。「ペルーには、織物がいっぱいあるのだけど、その中の絵柄で興味深いのが、空を飛んでる絵が多いということだよ。空を心に飛ばせるというのは本当にいいなあ」

 私もうれしくてたまらなくなりました。

でも、きっと子ども達だけが、そんなに不思議な力を持っているのではないのじゃないかと思うのです。誰もがきっとそんな力を持っていて、でも、なかなかそのことに気がつくことができないのじゃないかと思うのです。

 明日旅行だとか、ゴルフだとか釣りだとか、そういう予定がある日に、朝早く起きるよう目覚ましをかけたら、目覚ましがなる5分前に目がさめたという経験をする人は多いと思うのです。まるで、体の中に、正確な時計があるみたい・・・

ワインの香りをかいだだけで、そのワインが、何年もので、産地はどこかということをすぐにいいあてる人がいます。ひよこの雄雌をすぐにいいあてるお仕事の人がいます。それから、はからなくても、3センチおきに釘が打てる大工さんもおられます。お仕事をしているうちに、そういうことができるようになったのだと聞いたことがあります。それから、「予感がする」というような言葉もあります。人はみんなきっと大きな力を持っているに違いないのです。

いいえ、人だけではないかもしれません。

学校の子ども達の中には、初めてあった人でも、その人が、自分のことを理解してくれるかどうかをすぐに見極めることができるのじゃないかと思うお子さんが何人もおられます。赤ちゃんも、子ども好きな人に抱かれると泣かないこともあるし、犬たちも、犬好きの人には初めての人でも吠えないことがあります。それはもしかしたら、生きていくための大切な本能で、みんなが、そういう力があるのに、大人になって、そういう感覚が少しにぶくなってしまって、自分を守る心の声というか、そういうものに耳を傾けることがむずかしくなっていたり、本来持っている力を使うことがむずかしくなっているのかもしれません。

けれど、古代の人はもっと今より、いろいろなことに敏感で、間隔がするどかったのかもしれないとも思います。それで、ペルーの遺跡のように、現代の時代に考えるととても不思議なことが、本当はできたのかもしれないなあと思ったのです。 



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