宇宙の秘密

24 物語の主人公

 きっと私たちが生きる道は、長い長い冒険の物語の本のようなものなのだろうと思うのです。
ミヒャエル・エンデさんの「はてしない物語」という本があります。このお話は映画化されていて、その「ネバーエンディング・ストーリー」という映画をご存じの方も多いと思います。
 主人公が古本屋さんで手にした「はてしない物語」の本の中に入ってエバーランドとそれから全宇宙を救っていくというお話ですが、はてしない物語の中では、私たち読者とはまた別に、主人公がまた、この物語を読み進んでいるのです。読み進めながら、今手にしているその本は、自分自身の物語であり、中で冒険をしているのは自分だと気がつくのです。そしてまた、読み手である私たちもまた、その中で一緒に冒険をしているような本なのです。
 それから映画「ロード・オブ・ザ・リング」で、おなじみの指輪物語という本もまたたくさんの冒険をしながら、呪われた指輪を指輪が作られた場所でもある高熱の炎の山の火口に捨てるという目的のために進んでいくという物語です。
 一冊の本は、読んでいる箇所が、読み手にとっては“今”で、読み終わったところは“過去”で、読み進む先は“未来”です。けれど、閉じられた一冊の本の中にはいつだって、過去も現在も未来もあり、あけて読み始めた場所が、“今”なのです。
大ちゃんはこんな詩を作っています。
・・・・・・・・・・・・
行ってしまうもの
さっていくもの
そしてくるもの
出会うもの
どっちが先ということがなく
どっちが後ということもない
それは感じる人が決めること
・・・・・・・・・・・
まるで、むずかしいなぞときのようです。大ちゃんは大きな力とつながって、時間という物を、いったいどんなふうに感じているのでしょうか?
・・・・・・・・・・・
「魔女」のお話の中に、こんな文章を書いたことがありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「魔女」からの抜粋(前に抜粋したところの少し前のところです)

もし空の魔女がモナのママだったら、ママは今どうして子供なのでしょう?もしモナをまだ生む前のママだったら、あとで生まれるモナがママを助けるということはどういうことなのでしょうか?もしここで、ママが死んでしまっていたら、モナは生まれてこないことになる・・そのとたん、過去はすっかり消えてしまったのでしょうか?第一まだ生まれていないはずのモナが、モナを生む以前のママを助けて、それからママの人生が続いていく・・そんなばかなことがあるでしょうか?
「おかしいわ。おかしすぎるわ」モナがまた繰り返すと、空の魔女はあどけない顔で笑いました。「だって、あなたたちは時間を軸に考えごとをしすぎているわ」
「どういうこと?」
「お茶碗の底からしか見えない世界にいると、お茶碗の形は丸って思って、それ以上は何も考えられないってことなの。時間は古い順番に一列に並んでいるってみんな思ってるけど・・」
「そうじゃないの?」
「違う。違うよ。時間はひろがっているし、つながっているの。裏側にかくれていたり、ねじれていたり・・・重なっていたり・・そしてね、どう見えるかは何を軸にするかということなの」
「ママ?じゃああなたは本当に私のママ?」
「そう、いつかのときにモナを生んで、私はモナのママになるの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 考えたら、タイムトンネルだとか、タイムマシンというものが、いずれ本当に可能になるようなことがあるとしたら、この“今”が過去になったときに、まったく失われれてなくなるのであれば、どうして、未来からも、過去からも、なくなっている“今”というここへ来ることができるでしょう。過去も、現在も、未来も一冊の本のようにいつもそこにあるのであれば、行き来ができるのではないでしょうか。
 それからもうひとつ思いついたこと、もし、どんなものも入れ子構造になっていて、小さい物も大きな物も、どんな物も同じ仕組みで営みが行われているのなら、やっぱり時間だって同じだろうと思うのです。音楽のCD一枚のことを考えます。そのまま流せば一曲目の次は二曲目、そして3曲目と流れていきます。でも、3曲目の次に1曲目、その次に2曲目というような聴き方をしようと思えば、機械の操作ですることができるし、そこだけ何度だって聞くことができる・・・もしかしたら、時間だってそんなことが可能なのかもしれません。
 冒険の本のようだと思ったのには、そのほかにもいくつか理由がありました。
 ページを開いたとき、出てくる主人公は、そのときそのとき、いろんな気持ちを持ち、夢だったり希望だったり、目的を持って生きているけれど、冒険の物語の本は、それとは別に、本自体の冒険の目的があり、全体としては、そのストーリーの通りに、物語が展開していく・・・・・現実の私たちも、同じように、夢があり、気持ちがあり、そのときどきの“今”を生きていて、けれど、私たちをつつむ大きな宇宙は、おそらくは宇宙のストーリーというものを持っていて、私たちはそれによって、ことやものや人に出会ったりして生きている・・・・本と同じだなって、そんなふうに思ったのです。けれど、繰り返し感じてきたように、私たちの明日は、私たちが、今日、明日をどうしようかと決めたことによって、変わっていく。
 大ちゃんはこんなふうにも書いています。
・・・・・・・・・・・・・・
僕が今ここにいることは
僕の足あとの
つみかさねやと思う
・・・・・・・・・・・・・
 私たちの宇宙という冒険の本は、誰か一人がその中で主人公で、そのほかの人は脇役だということないのですね。私には私の過去と現在と未来があり、私だけの物語があるし、あなたにはあなただけの物語がある。そしてその中で、自分が主人公なのですね。
 私はハリーポッターや、はてしない物語や、指輪物語のお話が好きです。物語の中で、主人公は、決して最初からすごいエリートだったり、強かったりするわけではないけれど、そのときそのときを真摯に、一生懸命、力の限り生きている・・それがうれしい明日と素晴らしい冒険の物語のできあがりにつながっていくのです。
 私も私の物語の中で、力一杯きらきら輝いて生きていきたいです。そしてそのことが、宇宙の明日につながっていく・・・だって私もまた、物語の主人公なのだから。

 



目次へ

たんぽぽの仲間たちの表紙へ

inserted by FC2 system