宇宙の秘密

23 生きることも亡くなることも

  21章で、雪絵ちゃんは、“亡くなること”を自分で決めたのじゃないだろうかと思ったと書きました。お母さんも(今、亡くなったのは)金沢の病院に転院したくなくて、家に帰りたかったからだ(自分の気持ちでそうしたのだ)ろうとおっしゃっておられました。雪絵ちゃんのエッセイ「みち」にはこんなふうに書かれてあります。
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みち

今日まで歩いてきたみち、さっき歩いてたみち、明日歩く道、今歩いてるみち、これから歩くみち。
全部私が選んで決めて歩くみち。間違いなく自分で選んで歩いてるみち。
だからこのみちでいいの。このみちを歩きたいの。
私の選んでるみちはいい方に向ってる。
だから全て大丈夫。このままいけば大丈夫。全て大丈夫。
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 雪絵ちゃんはどんなことも、きっと自分で決めて生きていきたいと感じていたし、そして、自分で決めて生きてきたのだろうと思います。「亡くなること」さえもそうだったのだと思います。お母さんの見守る中、静かに眠るように、雪絵ちゃんは亡くなったのだそうです。
 私は雪絵ちゃんが亡くなったときに、昨年の夏の終わりに、私の学校の主事先生のお母様が亡くなられたときのことを思い出しました。主事先生のお母様も、一生懸命に生きてこられた方で、長い間伏せっておられたとお聞きしました。主事先生のおうちで、大きな法事もおわられたあとに、主事先生はお母様に「よくがんばってくれました。もういいからね。もういいよ」と声をかけられたのだそうです。その翌日にお母様は熱を出され、そして、声をかけられた3日後に、お母様は雪絵ちゃんと同じように、やはり眠るように息を引き取られたということでした。
 主事先生は私たちに「母は最後まで、本当にりっぱだったと思います」と話してくださいました。
 雪絵ちゃんのことや、主事先生のお母様のことを思うと、私は人は命や、心がとぎすまされているときには、死さえも、自分で決めることができるのだと思いました。それから、死ぬことを決めることができるのなら、人は、また、“生きる”ということも、自分で決めているのだと感じました。
 私は、私たちが生まれたり出会ったり、病気になったりといったさまざまのことが、大きな力によって「そうなるようになっている」ものだと感じてきたけれど、でも、それでも、大きな力は、私たちを信頼し、“自分で決めて生きる”ということをさせてくれているのだろうかと思ったりもしたのです。
 あゆみちゃんという大学生の友達がいます。関西に住んでいるのですが、2週間、私の住んでいる小松の自動車学校で合宿をしながら、免許を取ることができるというシステムがあって、そのために、小松へ来ていました。ある夜のこと、あゆみちゃんから涙声で電話がありました。「私が5歳の時から家にいた、犬のりきが、ここへ来る前から少し元気がなかったのだけど、でも、そんなに悪くはなかったのに、亡くなってしまったって、お母さんから電話があったの」
 あゆみちゃんのお母さんも、また私の友達です。あゆみちゃんのお母さんは、りきちゃんのことを、メールで書いてくださいました。「人間で言えば95歳にもなる“りき”をあゆみはとてもかわいがっていたから、りきは、あゆみがあまり悲しまないように、あゆみがいないこの時期に急に悪くなってなくなったのかなと思いました。」大きな力によって、あゆみちゃんが、その時期に出かけることになっていたのでしょうか、あるいは、りきちゃんが、雪絵ちゃんや主事先生のお母さんのように、自分のことをとてもとても愛してくれているあゆみちゃんに自分が亡くなるときの苦しい姿を見せたくない、だから、今、亡くなることにしようと決めたのでしょうか。
 宇宙の秘密を書くようになって、人間もやはり、動物なのだということを、(それは当たり前のことなんだけど)よく考えるようになりました。猫や象が、年を重ねて自分がもうすぐ亡くなる頃だと感じると、猫は飼い主には自分の死体を見せないように、ふぃっと家から出て行ってしまうということを聞くし、象は群れを放れて、森の奥でひっそりと亡くなるということを聞きました。
 また、与論島に住んでおられる老人は、もうすぐ亡くなるというときになると、病院に入っていても、「もうすぐ、僕は亡くなるので」と病院を出て、お世話になった人たちに、挨拶をして回った後に、家で眠るように亡くなるのだと聞いたことがあります。
 雪絵ちゃんのお母さんは、雪絵ちゃんが、昔、「もし、私がもう亡くなるというようなときに、むやみに命をただ長らえさせることはしないでほしい」と話したことを大事に考えられて、お医者さまにも、そうお願いされたのだそうです。雪絵ちゃんはだからこそ、心の声に耳をすますことができたのかもしれません。
 生まれること、生きていること、亡くなること、それはどれも、大きな宇宙の流れの中では、とりたてて特別なことではなく、本当なら、おそれる必要もなく、行われることなのかもしれません。雪絵ちゃんや、主事先生のお母様や、与論島の老人は、そういう本来の生き方をされた人たちなのかもしれません。
 心をとぎすませていれば、私も、心の声に耳をすますことが、できるのでしょうか?それはもう、亡くなりそうだというときばかりではないと思います。いつもいつも心の声に耳をすませることができたらなあと思うのです。人はきっと、いろんなことを自分で決めて生きている。けれど、大きな宇宙が、きっと私たちに、私たちは今、どうするべきなのか、どう生きていくべきなのかを教え続けてくれているのだと思うのです。

 



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