宇宙の秘密

12 ペルーへ出かけて

今週の初めまで、仲間とペルーにでかけていました。毎年、どこかへ、私と行くツアーというのを計画してくださる方がおられて、いろいろなところへ出かけるのです。今年ペルーに行こうと思った一番の理由は、大好きな友達、阪根さんがペルーにおられるからなのですが、そのことの他に、ペルーには、大ちゃんやたくさんの子供たちが教えてくれる、生きる上でのたくさんの秘密がかくされているような気がしてならなかったのです。

阪根さんは、前にも書きましたが、天野博物館という博物館の事務局長さんをしておられるのです。天野博物館は、インカのすばらしい土器や、織物をたくさん所蔵しています。   

展示物はどれもこれも、本当にすばらしく、驚くことがいっぱいありました。阪根さんや天野博物館が主に、研究調査しているのは、チャンカイ文化というチャンカイ地方の遺跡なのです。博物館にはインカの遺跡が時代別に並べられています。土器や織物など、どれもその素晴らしさに目を見張るばかりですが、時代順に並べられた真ん中にかざられたそのチャンカイ遺跡に強く惹かれました。

チャンカイ文化以前の時代の遺跡から発掘されたものは、まるで、人の顔をちょくせつ型にとってつくったのではないかと思うのど、成功なものがありましたが、チャンカイ文化になると、土器の色は白と黒、あるいは茶色だけで、土器は素焼きで、そして、人形は味があるというかとても素朴なものでした。私が驚いたのは、その土器や人形が、あまりにも、学校の子供たちがつくるもののいくつかに似ていたことでした。もちろん偶然かもしれません。けれど、もしかしたら、つながる宇宙が同じで、そこから同じこと感じて作ったものだからこんなに似ているのだということはできないだろうかと思ったのです。

「阪根さん、学校の子供たちの作品を、幼稚だとか、下手だとかいう方がたまにおられるけれど、でも、私は子供たちの作品はどうして、こんなにたくさんの人の心を動かすのだろうといつも思うのです。色だって、私はどちらかというと、選び抜かれた色をつかっているような気がするし、デザインだって、本当にすばらしいセンスがあるから、ああいう素敵な造形物がつくれるのじゃないかなって思うのです。そういう作品とこのチャンカイの人形や、土器には共通点があると思うのだけど」

阪根さんは私の言ったことをとてもとても喜んでくださいました。「そうなんだ。僕もそういうふうにずっとずっと思っていた。これは、洗練された、究極の作品だという気がずっとしている」似ているということは私には、本当に不思議な一致のように思えました。

展示室に飾られたものは天野博物館が所有しているもののほんの一部にすぎませんでした。阪根さんが、「かっこちゃんに見せたいものがあるんだ」と私をつれていってくださいました。大きな資料室の奥の方に、私の心を引きつけて離さない大きな織物がありました。そのとても大きな織物にはたくさんの手が織り込まれているのですが、織物の一番真ん中には、6本指の手があって、そのまわりに、5本指の手が、まるで6本指の手を守るように、あるいは慕うように、そこにあったのです。

阪根さんは「障害のある人は自分たちにとって、とても大切な存在だということをインカの人たちは知っていたのだと思う。」とおっしゃいました。私はそこで、NHKのテレビや、柳澤桂子さんの言葉の話をしました。「『障害や病気は実は人類を救うために存在するのかもしれない』ということは、今、遺伝子学でもそれが証明されつつあるようなのだけど、インカの人たちは大きな大きな愛の中でそのことをすでに知っていたのでしょうか?」阪根さんはとてもうれしそうに、大きくうなづいておられました。阪根さんが、私にことさら見せたいと思ってくださった大きな織物は、「神の手」と呼ばれているのだそうです。

 マチュピチュで美しい星空を見ました。もう一生分のお星様を見たのじゃないかとおもうくらいのたくさんの星が夜空にありました。天の川、ミルキーウエーはまるで白い雲のようにすら見えました。阪根さんは「インカの人たちは、星をむすんで星座を見るという見方ではなく、星のないところの黒い空の部分の形を、いろいろな動物に見立てるというようなことをしているんだよ。陰の部分は、自分たちが生きていく上で、とても大切なものだという見方が、インカでは身に付いていたのだと思うよ」

私は満天の星を見ながら、この星空はずっとインカの昔から変わらないのだと思いました。大ちゃんがいうように、あまりに遠くにある星空は、自分とは関係のないもののようだけれど、こんなにも人を感動させ、いろいろなことを考えさせるのだなあと思いました。阪根さんの話を聞きながら、旅の仲間も胸がいっぱいのようでした。

ペルーの旅行で、ちょんみさんの歌「イマココニイルヨ」を何度もみんなで歌いました。阪根さんや、一緒に旅をしてくれた写真家の野村哲也さんという方が、「あなたと私、いま、ここにいるよ」というのをスペイン語で訳してくださいました。「トウイージョ。ジョーイートウ。アオラ エスタモス フントス アキ。トウイージョ。ジョーイートウ。アオラ エスタモス アキ」

生まれた場所も息をしている場所も遠く離れていても、あなたと私がこうして、同じ時代に生きていることはなんて不思議なことでしょう。せつなさも喜びも時を空を越えて、響きあうのはなんて不思議なことでしょう。

歌はマチュピチュの空に、それからペルーの孤児院の子供たちの心に、そして、養護学校の子供たちと出会った私たちの胸に響きました。

この旅で、私はたくさんの人に会うことができました。たまたま知り合った、コックさんをめざしている青年が今、毎日メールをくださって、私にたくさんのことをきずかせてくれます。通訳をしてくださった、女性のガイドさんが、やはり毎日メールをくださって、私たちの案内のために、打ち合わせなどを含めて、何度も養護学校に行くようになって、おうちの方や子供たちとすっかりなかよくなって、養護学校のみんなとのつきあいを大切にしたいと思うようになり、新しい活動を初めていると教えてくれました。養護学校で出会った子供たちのまなざしが、私の心をやさしくさせ、またいろんなことをきずかせてくれました。それから、また遺跡も大きな感動を私にくれました。まるで、たくさんのことが、起きるべくして起き、その結果、いろいろなことが変わっている。

旅をしようと思ったのは偶然のようなのに、何かが起きれば、周りで出会ったたくさんの何かが変わっていく・・・人が生きる意味、生まれてくる意味をまた、たくさん知ったような気がしています。



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