宇宙の秘密

11 宇宙との扉

 大ちゃんや、それから子供たちは、心の声に耳をすますことがなんて上手なのだろうと思います。それは“大きな力”の思いとつながることが上手だとも言えるのだと思います。

 

大ちゃんの詩から・・・

 

「心の奥にすわっている

僕の僕が

考えている」

 

「どっちにしようかと

わからんくなったら

少しやすんで

みみできいて

しずかにみてたら

きっとわかる」

 

 

 でもときどきは、鈍感な私も、“大きな力”とつながって、心の声を聞いたんだろうなと思うことがあります。たとえば、忘れ物をしたことに、玄関を出ようとした瞬間に気がついたとき、それから車が、大きな車とぶつかる前に、偶然のようにふと顔をあげて、その車に気がついたとき、・・・それ以外にも、もしかしたら“大きな力”とつながっているのだろうかと思うことがあります。

 私の大好きな方に李政美(いぢょんみ)さんという方がおられます。作詞をされ、作曲をされ、歌をうたわれる方です。

 ちょんみさんの歌を聴くと、たくさんの人が涙を流します。ちょんみさんの歌が悲しい歌だとかそういうことではないのです。ちょんみさんの歌が心を動かされずにはおかないのです。透明感のある、心に沁みる歌声はもちろんですが、曲は詩もまた、同じように、心を動かす力があるのだと思います。

 ちょんみさんはこんなふうに話しておられました。

「自分の中に宇宙があって、ふたが開くときがある気がするの。いい詩や自分の中にある、これと思った言葉に触れたときなどにふたが開いて、メロディが聞こえてくるの。だから、そんなときは自分で作ったという気がしないことがあるの。そのふたというものは、自分で開こうと思っても開けないの。あるとき、開かれるの。きっと、その瞬間というのは、自分の中の宇宙と外の宇宙とつながれる瞬間という気がして、とても不思議なの。歌ができるときはそんなとき・・・」

 たくさんの人の心を動かすちょんみさんの歌が、宇宙、言い換えれば“大きな力”とつながっているときにできているというのは、うなずける気がしました。

 私のことで恥ずかしいのだけど、いつもは文章が下手で、にがてで、何を書いているのかわからないなあと自分で思うことがしょっちゅうなのに、ほんのたまに、本当にたまになんだけれど、あとで、自分で読んでみて、(いつもは本当に下手な文章しかかけないのに)、そんなときは、うわぁ、私、なんて上手に文を書いているのだろう、そういえばあのとき、まるでわいてくるみたいにすらすらと書けたなあ、私ってこんな言葉知ってたんだっけ?・・・なんてことがあります。もしかしたら、そのとき、私は、自分で文章を書いたということに嘘はないのだけれど、そして、自分の経験のことを書いているのだけど、でも、宇宙とつながれていたのかなと思うのです。

 けれど、そんなことはめったにありません。いくら大きな力とつながって、言葉や、映像やメロディがわいて出てくるようだとしても、誰でもが、ちょんみさんや大ちゃんのようになれるかというと、そんなわけではないのかもしれません。二人が言うように、自分の中に宇宙があって、大きな力が、その人の持っているものを通して、伝えてくれるのであれば、宇宙が伝える心の声にしっかり、耳をすませることが上手で、そして、その人の持っている宇宙もまた豊かでなければいけないのかもしれません。

芸術家の方が、いけないことだと知りつつ、麻薬の力を借りて、絵を書いたり、作曲をしたりしてしまうということを時々だけど、聞くことがあります。あるいは、何かを作り出す前に、滝に打たれたり、断食をしたりして、その苦しい中でつかんだものを表現したいとおっしゃる方にお会いすることもあります。

それらも、やっぱり自分で開こうとしても開けない扉、あかないふたをなんとかして、あけて、宇宙とつながって、“本当のこと”を伝えたい、人の心を動かしたいと願うからかもしれません。

では、なぜ、いつもではないにしろ、絵や曲を作るときに、宇宙とつながることができるのでしょう?それは、人と人が出会って、いろいろなことに気がついて変わっていけると同じように、絵や歌や、文章や彫刻なども、人の心を動かすことで、人を変えていく力を持っているからだという気がするのです。そしてそのことが未来を変えることにつながっていくからじゃないかと思うのです。

そしてこのこともまた、いろいろな人が、社会にいて、そして、お互いに伝えあったり、教えたり、学んだり、助け合ってしている中で、誰もがかけがえのない存在だということを証明している気がしています。



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