朋ちゃんの気持ち2

メール友達の朋ちゃんが講演会で自分の言葉で、お話していくと原稿を送ってくれています。毎日少しずつ送ってくれているのです。HPにも載せてねと言っておられるので、みなさん読んでいただけますか?

《ひとりの人間として》
私たちは、ことばで会話をしている。
みんな 母親のお腹から生れ まもなくして「うぶ声」をあげる。
健康に生れてきた赤ちゃんは、とても元気がある。
そして少しずつ いろんな言葉を覚え、おしゃべりもはやいような気がする。
では、私のようにハンディを持っている人達は どうだろうか?
全く泣かない、元気がないとか いろんな状態で生れてきたのではないでしょうか?
私の場合は、だいぶ時間がたって泣いたこと、しゃべりもゆっくりだったそうだ。
世の中には、たくさんの健常者 障害者がいる。

 《学校の様子》
6才になって、養護学校に入学し、12年間 通った。
学校には、いろんな人達が通っていた。
全く、しゃべることができない重度障害のある人達は「何もわからない」と思ってい
る人がいるかも
しれませんが、そんなことはないと思います。
人は誰だって笑ったり泣いたり、みんな気持ちを持っているから きっと、わかって
いることでしょう。
ただ、言葉を人に伝えることができないだけなのです。
私は、重度の人達に対して「可哀想」なんて思ったことはない 同じ仲間だから。

 《学校の様子》のつづき
小、中学部の時は、自分の意見がなかなか言えなかった。
高等部の時に、生徒会役員(書記、副会長)になったことがある。
役員会に参加して少しずつ自分の意見が言えるようになった 今でも生徒会役員をやっ
てよかったと思う。 

   《やさしい心で》
今は、小規模授産所(ほほえみ作業所)に通所し、知的障害・精神障害の人達と一緒に
働いています。
一番 大変だったのは、コミュニケーションのやりとりでした。
みんなのことが、わかるまで1年半 かかったような気がします。
“話”というのは やさしい気持ちになり心から話すこと 時間はかかるかもしれな
いけど
お互いわかり合える時が必ずくると思う。
私は、相手の気持ちも考えて話すことを いつも心掛けている。
   
  《手話サークル》
ろう者の人と出会ったことで、前から興味をもっていた手話を習い始め「手話サーク
ル」に入った。
ろう者の女の子と友達になりたい、コミュニケーションしたい気持ちで 一生懸命、
自分なりに勉強し
女の子と友達になることができて、うれしかった。
私は、女の子に「いろいろ教えてくれて、ありがとう」と言いたいです。
「手話講習会」を始めて受けた時は、何もわからない 知らないことばかりでした。
コミュニケーションの方法として 指文字、空文字、口話、手話があること。
「ろう者」と一言で言っても 生まれつき、中途失聴、難聴者の人達がいること 大
変さも話をきいて
少しずつわかったこと 今は、ろう者の人達と楽しく交流をしています。

  《ろう者の生活》  
ろう者の本を読んだり、話をきいてから“音がない、ろう者の生活”ってどんなだろ
う?と考えるようになった。

 ☆友達の話

私は、音がない世界に生れてから ずっと音声なしの世界は、あたりまえのように受
け取っています。
朝、起きる時は 目覚まし時計が「フラッシュ光」で分かるようになっていて、まぶ
しいです。
「フラッシュ光」と「バイブ」を選ぶことがあり、ドアホンも電話も「フラッシュ光」
です。
食事のしたくをする時は、鼻と目が集中しガスの臭いが出ると すぐわかる位 鼻が
敏感になっています。
手話で会話をする時も暗い所では、ダメなのです 手話を読み取ることができないし、
お互いに目を合わせて
いないと無理です。 相手を呼ぶ時は、タオルを投げたり電気をつけたりしています。
TVを見ますが、みんなと一緒に楽しめるのは「スポーツ番組」です。
人の動き、プレーだけでも興奮できますが 映画、ドキュメント、ニュースなどは字
幕がないと分かりません。
今は、FAX パソコン 携帯電話の文字メールがあるため、ろう者の人達も自由に話
ができて便利になってきた
と思います。

  《耳が聞こえなかったら・・・》
もし、私の耳が聞こえなかったら やっぱり、ろう者の人達と同じように どうした
らいいのか
わからなくなると思う。
私のように“生まれつき”それとも“中途”障害なのかで、気持ちも変わってくるは
ず。
25才になった今 “ハンディを持って生れてきてよかった”と思っている。
それは、たくさんの人達に出会うことができたから。
家の中では、少しでも自分の力で できるように いろいろ工夫して生活をしていま
す。
私の耳が不自由でも きっと、今と同じように家族で良い方法を考えて生活をしてい
くことでしょう。

  《心のメッセージ》
ろう者の人達にとって、手話は“大切な言語”と“心のメッセージ”になっている。
  
☆友達にきいてみました。
  ☆困っていること
何気ないときでも、聴者または家族の人が手話ができる人でも、手話を使わないで他
の人と楽しそうにお話をしているところはやっぱり心苦しい。笑っているようでも何
もわからない私でもいっしょに笑えないから。
一緒に泣いたり、笑ったり、考えたりすることができないのです。
あとでまとめて説明してくれるけどあんまりわかんない。

  ☆うれしかったこと
観光旅行したとき、受付のおばさんが「ありがとう」という手話で表現してくれたこ
と。
受付の若い人も手話で案内と説明してくれたのです その1日に手話で話しかけてく
れた人、3人もいて。
観光地に聞こえない人らが多く来るから手話を勉強していたそうです。

私も、ろう者の人達に手話が通じた時は うれしかった。
これからも趣味の1つになっている手話を続けていきたいです。

《コミュニケーション》
コミュニケーションができないとつまらない、私も感じる時がある。
車椅子の私がスポーツを楽しむことができないのと同じように。
話をしたり、何かをやっている人達は、本当に楽しそうだけど、できない人達は い
つも独りぼっちになって
寂しい思いをしていることでしょう。
ハンディがある・ない 関係なく、誰でもが楽しめる場所が、もっともっと増えたら
いいなぁ と思う。
“五体不満足”の筆者 乙武洋匡さんも『ハンディを持っていると不便なことはある
が、不幸ではありません』
と言っていました。

人には、いろんな気持ち(笑ったり、泣いたり)があるように言葉にも(やわらかい、
きつい)などがあります。
たくさんある言葉の中から選んで、話をするということは とても難しいですね。
私は、しっかり“あいさつ”ができる人間でいたいです。
“あいさつ”は1日のスタート そして コミュニケーションの始まりではないでしょ
うか?
毎日の生活に欠かせない《コミュニケーション》を大切にしていきたいです。
・・・・・・・・・・・・・・・おわり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
 ・・・・・《たんぽぽの仲間たち》のみなさんへ ・・・・ 私からのメッセージ・
・・・・
 みなさん、お元気でお過ごしでしょうか。
 また、かっこちゃんのHPに載せてもらうことができて、うれしいです。
 「ともちゃんの気持ち」を読んでくれたみなさん、ありがとう。
 今回は「コミュニケーションについて」思うことを書いてみました。
 かっこちゃん、ありがとう。

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