9.ダルバール広場

 バスに乗り込むと、またギータちゃんへの質問が始まりました。哲也さんが、「国の名前のネパールはどこに語源があるのですか?」ということでした。ギータちゃんはとっても勉強家なのです。ガイドさんの難しい試験を合格しているので、どんな質問にも答えることができるのでした。
「牛を飼っているということをネパというので、牛を飼っている人という意味からネパールとなったという説があります。それからもともと大昔からこの地に住み、今もとても由緒正しい出であると言われるネワール族からこの名前が出ているという説もあります。もっといくつも説があるのです」
 それからネパールのおみやげの話になりました。
「ネパールのおみやげで有名なのは、お茶と、曼荼羅と、パシュミナです」
パシュミナというのは、ヤギの一種で、角がくるりとりっぱに巻いているナヤンという名前の動物の毛、それも胸の柔らかな毛だけで作った織物で、とても高価なものなのだそうです。
 ギータちゃんの楽しいお話を聞きながら、窓の外に見える風景もまたとてもおもしろいのです。街路樹はたぶん牛ややぎに食べられないようにだと思うのだけど、どれも根元のところは鉄の柵におおわれていました。日本だったら、牛やヤギのほうをどうにかしようとしそうだけれど、木の回りをぐるりと巻いて、木を守ろうとする発想はなるほどと思いました。それから家の前にふたつのかごが腕の両側についている天秤ばかりのようなものがあって、いったいなんだろうと思ったら、それはゴミ箱だというのです。これも、たぶん、犬や牛からごみを荒らされるのを守るためなのだろうと思います。これはいったい何?と思うようなものを発見するとすごくうれしくなります。
 バスはカトマンズの市街地に入ってきました。ついたところは、ダンバール広場。中には昔の王宮があったり、いくつもの寺院があったり、それから市場などもあって、とてもにぎわっています。
 ダンネバード広場という名前は、カトマンズの街の中にもパタンの街にもどうやらあるようで、王宮広場といったところなのでしょうか。
 バスからおりたとたん、たくさんのおみやげ売りが声をかけてきました。品物を持って、「一ドル」「安いよ」「どこから来た?」「このおみやげ最高ね」「全部で二ドル」など日本語もとても上手です。おみやげ売りの人は、誰にでも声をかけるというのではなくて、この人に買ってもらおうと思ったら、あきらめないで、ずっとその人について歩いて、とことん話しかけるのです。そうすると、たいていは根負けして、それなら買おうかという気持ちになるのかも知れませんね。
 それから、みんなで歩いていると、声をかけられやすくて、いつも誰かにつきまとわれて歩いているように見える人と、そうでない人がいるのも不思議です。EMIちゃんやKOちゃんは若いせいなのか、それとも買ってもらえそうな人に見えるのか、いつもいつも誰かに声をかけられ続けていました。そのうちに、おみやげ売りの人とお互いに笑い合ったりしているので、何を話しているか、そばに行って耳を傾けていたら、KOちゃんと物売りの同じくらいの年の若い男の人は、音楽の話や、CDの話をしているのです。英語でお話しあっているということもそうだけれど、きっとお土産品を買う、買わないじゃなくて、あっという間に、お友達みたいな感じなのが、うらやましく思ったりもしたのでした。
 雨期と言っても、一日中雨が降っているわけではなくて、ときどきはお日様も顔をのぞかせ、そして、またあーっという間に黒い雲が湧き起こって広がり、雨がポツポツと降ってきたと思ったら、シャワーのようにはげしい雨が降ってきたりもするのです。このときは、青空が広がり、気温も上がっていました。
 ネパール最古の建物で、大きな木一本から建てられたというガスマンタブ寺院の中を見ました。これは前の寺院とは違って、日本の五重塔などを思い出すような建築で、建物に使った大きな木が少し余ったので隣の小さなお寺までその木で建てたということでした。
 観光客だけでなくてたくさんのお参りの人でにぎわっていて、お坊さんらしい人が、順番をついている人の眉と眉の間に、おまいりのあと、赤いお米をつけてあげていました。
 ネパールに着いたばかりの頃、ときどき眉の間の赤いものを見るたびにどきっとしていました。インドやネパールのサリーを着た人たちが、眉の間に、宝石などをつけているのは見かけて知っていました。けれど私たちが目にした赤いものは、直径2センチ以上もあるもので、赤い印はときどきたれて、血の筋みたいになっていたり、白いぶつぶつがついていたり、赤いものが盛り上がっていたりして、実は私は、あの人たちはピストルで眉間のところを撃ち抜かれたのじゃないだろうか、そしてそこに小さい虫がわいたのじゃないだろうかと思ってしまいそうになっていたのです。もちろん、赤い印を付けた人が、痛さでうめいていたり、虫が湧いているほど身体が弱っているというわけではないのです。ただ、それを想像してしまいそうになるくらい、眉間の赤いものは血に見えて、女性も男性も子どもたちも、お年寄りもつけていたのはびっくりでした。実はそれが、お坊さんがつけてくれた、赤い粉とお米を混ぜたもので、ティカと呼ばれるものだったのですね。私たちも順にティカを眉間につけてもらって、お互いに見ると、やっぱりちょっと血のように見えてしまったのはきっと私だけですね。
 そんなふうにネパールでの初めてのお祈りをすませて、ガズマンタブ寺院の階段を降りようとしていたとき、踊り場で、直美の「大丈夫ですか?」という声が耳に届きました。ただならぬ直美さんの声に驚いて、声の方を見ると、そばにいる秀子さんが青い顔をしているのです。心配そうにみんなが見守る中、秀子さんが、直美さんの腕の中に、静かに崩れるようにして倒れました。
 「てっちゃん、てっちゃーん。ちょっとてっちゃーん」と前の階段を降り始めていた哲也さんを呼んでくれていたのは誰だったでしょうか?私は気が動転して、どうしたらいいのかわかりませんでした。哲也さんが振り向いて、「大丈夫?」と秀子さんの肩を抱いたとき、秀子さんはもうずいぶんとしっかりしていて、「大丈夫です」と返事をしていました。「ちょっと疲れたのでしょう。ホテルに帰って休んだ方がいい」哲也さんはすぐにギータちゃんと小林さんを呼んで、哲也さんがホテルに送っていってくれることになりました。だんだんと秀子さんの顔色も赤みがさしてきていたのですが、大丈夫だろうかと心配でなりませんでした。哲也さんがそんな私の様子に気がついてか、「山もっちゃん、大丈夫だよ。この分なら、部屋で休んでいればすぐに元気になるから。ギータちゃん、秀子さんを送ったら、僕はどこに戻ってくればいい?」
 ギータちゃんと戻って来る場所を約束をした哲也さんと秀子はタクシーでホテルへ帰っていきました。タクシーに乗り込む頃、秀子さんはもうずいぶん元気になっていたので、ほっとしました。飛行機に長く載っていたことや、緊張したことや、暑さや、それから、最初のお寺でずいぶん高いところまで登ったり、そんなことが重なってのことだったのかもしれません。
 ダンネバード広場には、たくさんの土産物が煉瓦でできた広場に広げられて売られていました。それを囲むように、戸口の小さなお店屋さんがたくさん並んでいて、その一つにギータちゃんが入っていきました。
「どこに行ったの?」
「トイレかな」「トイレみたいだよ」「トイレだって」伝言ゲームのように、内容が少しずつ変わっていくのがおかしいですね。それであとから来た人たちでトイレに用事がない人は中へ入らないで、外にいました。私は旅先では、トイレに入る機会があったら、たいてい入ります。もちろん、あとで入りたくなって入れないと困るからというのはあるのだけど、それとは別にいろいろな国のトイレに興味があるのです。
 ネパール式のトイレは、和式トイレとちょっとだけ似ています。形は楕円だったり、長方形だったり、ひょうたんの形だったりします。でも、スリッパの足先を入れるところみたいなのがありません。それと、どうしてそう思うのか、はっきりと理由は言えないのだけど、どの形でも、座り方は、戸口の方を向いて座るのだと思います。誰に聞いたわけじゃないけれど、間違いないと思うのです。日本は戸口を背にして用を足しますよね。反対です。それはアフリカのケニアに行ったときも、ペルーに行ったときも、そしてカンボジアに行ったときも、戸口を向いて座るようにできていました。それからネパールのホテルやレストランなどは洋式のトイレです。この洋式のトイレも日本のトイレとは微妙に違うのです。座るところが、奥の方が低くなっていています。そして、ずいぶん口が広いので、おくに滑りそうになりながら、それから口のところにおしりが落ちそうな気がしてしまうのです。でも、これは綺麗なトイレのときだけ、そうでないときはおしりを直接つけるのはなんだかやっぱりためらわれます。でも、どんなに汚れたトイレでも、私は割合平気です。旅の仲間には、トイレが汚いと使えずに、また戻ってきてしまうことがあるけれど、私は大丈夫。それから、特にネパール式のトイレには、紙がそなえつけてないことが多いです。そして、水道があったり、バケツがあったりします。それは本によると、手で拭いて、そのあと、手を洗うためのものだそうです。私はちょっと、それはできなかったなあ・・・。それからおもしろいのが、洋式でも、水を流すレバーがいろいろだったことです。上からひもをひっぱるもの、便器の水のタンクの上のでっぱりをひっぱるものそれから、タンクの横を押すもの・・・本当にさまざまなのです。どうして様々なのでしょう。トイレを作る会社がいっぱいあるということなのかな、それともいろんな外国から、古いトイレを持ってきたのかな?なぜって、ネパールの国には、日本の薬品会社の名前がついていたり、○○方面行きというような文字がそのままで走っているバスがたくさんあったし、その他にもいろんな国の言葉が書かれたものがあふれていたので、トイレの便器もそうかもしれません。
 男性用はどうかというと、「日本の昔のトイレの朝顔と同じだなあ」とか「壁しかなかったよ」とか、私がしょっちゅう、トイレの写真を撮ったり、トイレがこんなだった、あんなだったというものだから、男の方が教えてくれたのだけど、どう日本のトイレと同じなのか確かめられなくて残念でした。今度から写真を撮ってきてもらおうっと。
 ということで、小さい戸口から前の人について行って上に上がっていくと、そこはトイレではありませんでした。3畳ほどの狭い部屋では、十才くらいの子、一四才の子、それから一七才の子どもたちが曼陀羅を描いていたのです。トイレだと思って、下で待っている人たちをあわてて呼びに行こうとしたら、下村さんが呼びに行ってくれました。
 曼陀羅とは仏の教えや悟りやそれから宇宙の仕組みのようなものを具象化した(絵に表した)ものだということで、仏様の誕生の様子などが大きな円上に描かれています。岩絵の具によって、鮮やかに色をつけられたもので、ネパールの伝統工芸のひとつなのです。
 布を木の額にひもで引っ張るようにして、張ってあり、そこには下書きがしてあって、とてもとても細い筆で、きれいに絵を描いていました。少年たちは立てかけた絵の前に、あぐら座りをして、真剣に絵を描いていました。すごくすごく細かな線、色のグラデュエーションがとてもきれいです。絵柄はおおよそ決まっていて、それを写すようにして描くのだということ、一枚書くのに、毎日何時間もその絵に向かっていても、大きなものだと何ヶ月もかかるとのことで、一人前になるのには十年という歳月がかかるということでした。小林さんが、別の場所で曼陀羅を買ったときに、中くらいの大きさで、35ドル。4万円ということで、観光客用だから高めだとは思うのですが、ネパールにとってはとても大切な外貨獲得になっているようです。
 広場を横切ると、制服を着た子どもたちが「写真を撮って、撮って」と圭子さんの回りに集まってきていました。大きなまっすぐな目をした子どもたちの笑顔は最高ですね。もっと時間があったら、子どもたちといろんなお話したいなあ、ネパールのことも聞きたいし、子どもたちが今どんな遊びをしているか、どんなことが好きか嫌いか・・おうちのこと、学校のこと、聞きたいなあと残念でした。どの旅も自分にとっては大切で大事なんだけど、子どもたちともっともっとふれあえてわかりあえる旅もしたいなあと思ったのでした。
 後ろ髪をひかれながら、子どもたちから離れて、ガスマンタブ寺院の前を通りかかったとき、ちょうど哲也さんの乗ったタクシーが到着しました。こういう偶然が本当に不思議です。だって、タクシーが通ることのできる場所は本当にわずかの距離で、私たちがいろんなところを見ていて、そこを歩いていた時間と言ったら、これもとてもわずかな時間だったのです。携帯もないこの広い場所で、また哲也さんとちゃんと会えるのだろうかと心配だったのに、簡単にまた落ち合える・・・不思議でありがたいことです。
「秀子さん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。もうタクシーの中でおしゃべりしていたから安心して」哲也さんの言葉に、どんなにほっとしたことでしょう。まだ旅は始まったばかりだけど、もう一人一人が、誰にとっても大事な仲間だとみんな感じていたのです。

 みんなそろって境内の外へ向かって歩いていると、たくさんの女性が真っ赤なサリーを着て小さめのお寺というか、祭壇に集まっているのが見えました。
「こんなお祭りを目にできるなんて、本当に私たちはついています。めったに見ることはできないです。ネパールにはたくさんのお祭りがあります。だいたい200以上の数のお祭りがあります。その中でも、大きなお祭りがいくつかあります。このお祭りは女の人だけのお祭りで、ティーズと言います。赤いサリーは花嫁衣装の色なのです。お祭りの前に女性は丸一日断食をします。そして、いい恋人ができるように、いい旦那様と結婚できるように祈ります。仕事もこの日は女の人はお休みになるので、一番いい赤いサリーを着て、やってくるのです」
 ギータちゃんは独身です。23才。結婚の早いネパールでは、「どうして結婚しないの?早くしなければだめだね」と回りからしょっちゅう言われるのだそうですが、ギータちゃんは「私はしたいことがまだいっぱいあるので、結婚したいという気持ちはありません。それに、結婚したいという人がなかなか見つからないから。私が結婚したいと思う相手は、まず優しい人、それから賭け事をしない人です。昼からトランプやゲームばかりして遊んでいる人はちょっと困ります」ということでした。けれど、トランプやゲームをまったくしない人というのは、探すのが難しいのだということも教えてくれました。
 「みなさんもいい人と巡り会いたい人は参加したらいいです。こういうものは参加して楽しまなくちゃ」
 たぶんこのお祭りは女性だけのものだから、男性は参加できないのだと思うのだけど、素敵な人に巡り会えるという言葉を聞いて、哲也さんと大谷さんが飛び出しました。祭壇の前に売られているお供えセットのようなもの(中に、黄色のたぶんサフランのお花と、葉っぱなどが葉っぱのお皿に入っています)を受け取って、たくさんの赤いサリーを着た人で混雑している祭壇の前の階段を上っていきました。あとで大谷さんに聞いたところ、たくさんの女の人が順番をついていたのだけど、上の方にいた仕切っている人が、「あなたたち、早くこっちへおいで」と声をかけてくれて、先に進むことができたのだそうで、観光客だから特別に先に上にあげてくれたのか、それとも、じゃまというか神聖なところだから、早く終えてもらいたかったのかどちらかはわからなかったと教えてくれました。おかしかったのはふと気がつくと、二人の後ろに、素敵な優しい奥様がいる山岸さんがいたそうで、「あれ?」と言うと「僕は独身ですよ」と笑っていたのだそうです。
 このお祭りのことについて、西野孝枝さんの書かれた「ネパールからナマステ!」(筑摩書房)によると、9月に行われる大きなパルパティ寺院でのティーズのお祭りは、”ヒマラヤ王の娘パルバティ女神が、父親の決めた結婚式の前夜に脱走し、自分の好きだったシバ神に妻として迎え入れてもらった恋愛成就の日”だということで、その日、その場所だけでなくて、いろんな日に、いろいろな場所でティーズのお祭りは行われているようなのでした。
 ネパールには、なんとカトマンズの人口よりも多い数の神様がいるのだそうです。
「人も牛も蛇も山も土も空気もみんなみんなこの世の中にあるものは、みんな神様だからね」ギータちゃんの話を聞いてとても驚きました。「本当のことだから」を書いていて、子どもたちが教えてくれたことなどから、神様は特別なところにあるのではなくて、海も山も空も人も犬も、猫も木もみんなきっと心の中に神様を持っているのだと結論づけたこととちょうど重なるお話だったからです。
 ネパールの人たちの日常は、神様に祈ることから始まって、また祈ることで、終わります。信心深いというだけでなく、やはり心の耳をすますことが上手なのじゃないかなと感じるのです。

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