8.スワヤンブナート寺院

   私たちを乗せたバスはスワヤンブナート寺院に向かっていました。ネパールのお寺の壁に、きれいな弓の形のまゆと眼力をもった目とうずまきになった鼻、なぜか口のない仏陀の顔がかかれてあるのを知っている方もいるかもしれません。そのうちでも有名なのが、このスワヤンブナート寺院とあとで訪れた、ボダナート寺院だと思います。
 スワヤンブナート寺院はホテルからバスで小高い丘の方へ向かっていくと、その頂上に、あるのでした。
 私はとてもわがままなのだけど、バスでは前の方の席に座らせてもらっています。ひどくバスに酔うのです。だったら酔い止めを飲めばいいと思って飲むと、とたんに眠り薬を飲んだように眠くて眠くてどうしようもなくなって、いい言い方で言えば眠り姫のように、あるいは眠りながらも立って歩いたり、ご飯を食べたりもするから、(一口食べてはまた眠るのだけど)夢遊病みたいと言われるように何時間も眠り続けて、そのあいだの記憶があまりなくなります。そうなってしまうのもとても困るので、本当にわがままなのだけど、小林さんが、「山もっちゃんは前に座りな」と言う言葉とみなさんのやさしさに甘えて前に座るのです。
 おかげでギータちゃんの説明もギータちゃんの表情を見ながら、いることができるのでした。
 ネパールに来て、まだ一晩だけど、見るもの、聞くものみんな珍しく、誰もが、ギータちゃんに尋ねたいことがいっぱいあるのでした。
 大向さんは、飛行機から見た洪水のような景色が心に残っていたのでしょう?「ギータちゃん、まるで洪水のような景色を見たのだけど、あれは本当に洪水なのだろうか(あれが洪水だったらおおごとなんだけど)」と聞いていました。
「はい、あれは洪水です。毎年毎年、ネパールでは雨期になると、大きな洪水が起きるのです。ネパールには、雨期と乾期があります。乾期は9月から5月まで、6月から8月が雨期です。雨期の3ヶ月のあいだに、一年の70%から80%の雨が降ります。いっぺんに雨がたくさん降るので、川があふれて、毎年1000人くらいの人が亡くなったり、家を流したりします。今年はまだ雨があまり降らなかったのだけど、このあいだ、その分まとめて、降って、とても大きな洪水が起きて、600人くらいの人が亡くなりました」
 毎年、1000人が亡くなり、今年は600人。ギータちゃんはそれほどおおごとのようには言わなかったけれど、ただただ驚くような数字です。けれど、飛行機から目にした景色は、その数字が果たして、大きいのかそうでもないのかがわからなくなりそうでした。ずっと永遠に続くのじゃないかと思うほど、広い範囲に渡って、土砂にうめつくされていたからです。ギータちゃんは毎年毎年、洪水が起きると言いました。なぜ、そんな危ないところに人は住むのだろうかというのが、私にはとても不思議なことでした。このときには聞けなかったけれど、あとでギータちゃんに聞くと、洪水というのは、その場所にとても肥沃な土砂を運んでくるからだと言うのです。ネパールでは、その肥沃な地方にだけ、お米を作ることができるのだそうです。
「だから、田植えは洪水を待って、そのあと行います。洪水の前だと流されて何もかもなくなってしまうし、それから肥沃な土砂が来たあとたくさんのお米がとれるから。だから人はそこに住みます」
飛行機から見た夕暮れの中のあの洪水の景色を思い出しました。土砂で真っ茶色になった中、中州にポツンポツンと見た明かりのことを思い出しました。
「毎年、たくさんの人が亡くなるのがわかっていてもそこに住むの?」
「人は水から生まれ、また水に帰って行くものです。誰でもそう、私も生まれたからにはいつか亡くなる。そしてその水の中の栄養となって、また稲を実らせるのです」
 これはギータちゃんだけが思っている事ではなくて、ネパールの人の多くがそんなふうに思っているのでしょうか?私が日本に帰ってから、この川の話をしたとき、三五館の星山さんは「まるで曼荼羅のようだ」と言いました。私はまた、星山さんの言葉を聞いて「うーん」とうなってしまったのでした。人は生まれたら死ぬのがあたりまえのことだ、そして流された死体はいつか稲の栄養になり、私たちは実った稲を食べる・・・人も何もかもが、めぐっているのだということをネパールの人の心の中に、まるで血や肉のように身体の中にあるのだとしたら、それは、ネパールの人たちもまた、本当の宇宙の中で、心の耳をすましながら生きている人たちなんだろうと思ったのでした。
 この心の中の耳をすますということには少し説明が必要だと思います。『本当のことだから』(三五館)に詳しいのですが、学校の子どもたちと一緒にいると、子どもたちは何か本当の大事なことを知っているのじゃないかと思うことがよくあるのです。養護学校で出会った大ちゃんは「僕が生まれたのには理由がある、生まれるってことにはみんな理由があるんや」「たくさんの巡りの中で、僕の僕が笑っている、遠い僕へと高い僕へと笑いかけている」と言いました。そのほかにもたくさんの子どもたちの話す言葉や絵や彫刻などを見ると、子どもたちはきっと大切なことを知っているのに違いないと感じるのです。そして不思議なことに大ちゃんや子どもたちの言っていることは、お坊さんや、もっと言えば仏陀の言っていることと同じだったり、遺伝学者や生物学者や量子力学者の言う事とも同じように思うのです。なぜみんな同じなんだろうと思ったら、金沢のお坊さんが「それは本当のことだからだよ」と言いました。去年ペルーに行って、インカ帝国の文化に触れたときも古代のペルーの人は本当のことを知っているんだと強く感じました。古代の人たちは今よりとても敏感で、本当のことは空気中のどこかで絶えず、発信されていて、古代の人は大事なことに耳をすますことが上手だったのでしょうか?そして神と絶えずつながっているネパールの人たちもまた、本当のことを知っているのでしょうか?けれどそれにしても、自分が稲の栄養になるのもまた良しというふうには、私はなかなか思えそうにはありません。
 旅行の時にも参加された大阪の横井さんが、「飛行場で、あんまりお金をねだる子どもたちがいいひんかったように思うんやけど」とギータちゃんに質問しました。
「今は国が指導して、そういう子どもたちはほとんどいなくなりました。貧しい子どもたちも、そういうことをしないような政策になっています」 
 貧しい子どもたちという話を聞いて、私はインドのカーストのことを思いました。「ネパールにもカーストのようなものはありますか?」
 そのとき、ギータちゃんは「もうありません」と言いました。「昔はあったけれど、そういうことは今は言わなくなりました」「大好きな人がカーストの違う人でも結婚することはできるのですか?」「はいできますよ」
 哲也さんはあとで「ギータちゃんは、ネパールという国を愛しているから、あんなふうに言ったけれど、物乞いをする子どもたちはまだまだいっぱいいるし、カーストだってないはずはないよ。ギータちゃんはやっぱり国を守りたいんだよ。いい子だから」と言いました。
 スワヤンブナート寺院は別名モンキー寺院とも呼ばれているということで、野生の猿がたくさんいました。
「みなさん、ナイロン袋は持って歩かないでください。猿がえさと間違えてそのナイロン袋を持って行ってしまいます」ギータちゃんがそういうそばから、向こうの方で観光客から猿がナイロン袋を奪って、高い木へと登っていく猿の姿が見えました。猿もたくさんいたけれど、犬もたくさんいて、どの犬もとてもだるそうに眠っているのでした。「どうしてネパールの犬はみんな寝てるの?」と大谷さんが言いました。
 本当にスワヤンブナートでもカトマンズの店先でも、どこでも犬たちはよく眠っていました。まるで食べること以外にはエネルギーは使わないぞと決めているみたいに。「暑いですから、眠っているのでしょう。夜や朝方えさをさがすじゃないですか?」とギータさんが言いました。ネパールの中には、犬だけでなく、ときどき牛が歩いていました。牛は神様だから、とても大切にされているのだそうです。「牛を車でひくと、人をひくよりも罪が重い」という話も聞きました。誰も、ごみをあさる牛をとめるわけでもないし、道路に大きなウンチをしていることをとがめる人もいません。
「ネパールの牛は自由ですね」と私が言うと、ギータさんは「そうです。ネパールの牛は自由。猫も自由、そして犬も自由」と笑って言いました。犬は自由だけど、なぜだかあまり人なつこくなく、伏し目がちでおどおどしていました。
 犬は牛と違って大事にされていないで、おっぱらわれながら生活していることが多いせいかもしれません。私は犬が大好きで、犬は自分たちのことを大好きな人を見分ける力があるのかもしれません。日本で犬に会うと、たいていの犬とはすぐに仲良しになれます。向こうの方で見かけただけで、「あ、この人は犬好き」とわかるのかも知れません。たいていは向こうの方から寄ってきてくれます。でも、他の国では少し勝手が違うようです。ネパールの犬も、やっぱり人をとても警戒していました。遠くの方で、座って、おいでと少しずつ少しずつ近づくけれど、犬はちょっと迷惑そうで、そしておどおどしています。ときどき仲良しになれる犬もいるけれど、そうじゃない犬もいて、仲良くなれないままわかれるのは、なんだか淋しい気持ちになります。でも1時間くらいかけたらきっと仲良くなれるんだろうな。仲良くなりたいもの。
 石の階段の途中には、法具がたくさん売られていました。有名なのはマニ車、日本の赤ちゃんをあやすガラガラのような形をしていて、ガラガラの部分に先に重りがついていて、取っ手を回すようにすると、ガラガラの部分が回るのです。中にはお経が書かれた巻物(紙も貴重なので、とても粗末な紙にかかれたもの)が入っていて、なんと一度回すとお経を1回読んだことになるというものです。1回回しただけでお経を読んだことになるなんて、すごいですよね。怠け者の私は、これは絶対に欲しい・・買って帰ろうと思っていました。それから、ネワール族の職人さんによって作られたという金色の仏像もたくさん売られていました。それから、真鍮でできていて、杵のような形をしたパジュラ、ラマシンバルと言われるティンシャ(これはチーンとならすと神様に祈りが届くのだそうで、瞑想の終了を告げる音にも使われているのだそうです)。その他にもククリと呼ばれる、グルカ族のとてもきれいな刀(これは柄や鞘の飾りで、持っている人の職業だとか地位だとかがわかるのだそうなのです)魔よけのマスクなど、どれもこれも心をそそられるものがたくさん並んでいました。
「おみやげは最後の日にちゃんと時間をとるので、先にいそぎましょう」ギータちゃんの声に、またあわてて前へ進むのでした。
 ずいぶん石段をあがって、その頂上に、ガイドブックでよく見る仏陀の目をもつお寺が目に入りました。下を見下ろすと、カトマンズの街並みがとてもきれいに見下ろせます。カトマンズは回りを全部山に囲まれた盆地なのです。ギータちゃんは「インドとチベットのあいだのたろいもとネパールは呼ばれているのです」と教えてくれたのですが、そのどちらも高い山があって、だからネパールは海のない国なのです。
 お顔がついているお寺はストゥーパと呼ばれていました。
「この目は四方を見渡す仏陀の知恵の目です」ギータちゃんの声に、誰かが「悪いことをしないように見張っているんだ」と言ったけれど、ギータちゃんは「見守っているのだ」と教えてくれました。ストゥーパを回るときはいつも時計回り。マニ車も時計回り。そうしないと大変なことになるそうで、どんな大変なことになるのか、ごめんなさい、聞き逃してしまいました。ギータちゃんに聞いておきますね。とにかく、私たちは大変なことになると本当に大変なので、時計回りに歩きました。ストゥーパの回りにも備え付けのマニグルマがたくさんありました。それも1回ずつ回して歩いたから、私たちはネパールにいるあいだに、それこそ100回も200回も、もっともっとかな?お経を読んだと思います。すごい!!
 ストゥーパの顔の下に広がる半球状の屋根にたくさんの鳩がまるでへばりつくように止まっていました。平らなところに止まった方がらくやろうにと横井さんが言うとおりなのに、どの鳩も必死にその球面のところにとまっているのです。屋根が真っ黄色だったので、みんなは鳩のウンチのせいだろうと言い合いました。
 この敷地内には不思議なことに、インドの様式である仏塔が建っていたり、ヒンズー教の神様の象が立っていたり、ヒンズーの建物があったりするのです。これはスワヤンブナートだけでなく、いろいろなところで見られました。そのことについて、ギータちゃんはとても素敵なことを言いました。
「ネパールでは、いろいろな宗教があります。仏教の人、イスラムの人、キリスト教の人・・人数は少ないけれどいます。けれど、ヒンズー教の人が、仏教の人やキリスト教の人を否定したりはしないのです。私が日本に行くとして、タイを通っていっても、インドを通っていっても、飛行機で行っても、船で行っても、最後には日本につきます。本当のことはひとつだから、道筋は違っても、同じなのです」
 いつもお茶目で可愛いギータちゃんですが、そんな話をしてくれているときのギータちゃんはまるで観音様のようにすべてを知っているのだろうなあというような神々しささえ感じます。そしてネパールのことが大好きで、誇らしく思っていることが伝わってくるのです。古田さんが「ギータちゃんはかっこちゃんのツアーに、本当にぴったりの人ですねちゃんといい人と出会えて本当にうれしいね」と言っていたけれど、私も、ギータちゃんのお話を聞いて、ネパールにこれてよかったなあ、ギータちゃんに会えて良かったなあと思いました。そして、ここにきて、またやっぱり「本当のことはひとつなのだ」と思っている人たちに会えたんだ、なんて不思議なんだろうと思ったのでした。
 いくつ目かの建物の奥の薄暗い部屋には、一面に直径7,8pくらいのお皿がたくさんたくさん置かれていて、その中に、融けた、ろうかオイルのようなものと芯になる布が入れられていました。そしてその一つ一つに火がつけられていました。
 空気がわずかに動くたびにすべての炎がふわーっとひとつの生き物のように波うって揺れました。私はお皿につけられた炎は、一人一人、いえ、人間だけでなく、動物や植物や建物や海や地球や宇宙などのそれぞれの命で、その命はすべてつながっていて、またひとつの命なんだということを表しているような気がしたのでした。
 

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