カトマンズまで

 上海で、また新たにたくさんの人を乗せ、飛行機はカトマンズに向かって飛び上がりました。
 ネパールに行くことに、決まったときに、小林さんはいつものように、「ネパールでどんなことがしたいか考えておいてね。爺は姫が楽しく旅行できるようにするのがつとめだから・・」と言いました。
 小林さんに「姫」と呼ばれるたびに、とても申し訳なく、がを縮まる思いがします。それは本当なのだけど、でも、小林さんにあれこれと行きたいところやしたいことやわがまま放題を言っているのも本当のことで、考えたら(考えなくても)本当にもったいなく、申し訳のないことです。
 というわけで、私が小林さんにお願いした、「したいこと」は、ネパールのファミリーを訪問したいということ、小学校や、養護学校があったら、訪問したいということ、いろいろな日用品などを売っているマーケットにも行ったり、刺繍や人形などを作っている人と時間をすごしたいということなどでした。
 普通のツアーでは訪れない場所なので、そこから小林さんの苦労が始まるのです。
 小林さんは、まず始めに、前に講演に呼んでくれたNPO法人で、インドのカルカッタに孤児の施設を作って運営をしているレインボーホームの五十嵐さんに、連絡をとりました。五十嵐さんはネパールともとても関係の深い方だからです。五十嵐さんは東京に住むタパさんという方を紹介してくれました。そして、ネパールの旅行社のブーテルさんをタパさんは紹介してくれたのです。小林さんは電話事情がとても悪いネパールと、電話でお話をすることが難しく(電話はネパールに行ってからも、本当になかなか通じませんでした。ましてや日本からネパールにかけると、まずエコーのように自分の声が聞こえ、それからどれほどかして、相手の声が聞こえ、すぐに返事をしようとすると、今度は相手の声のエコーと重なって、相手はこちらの声が聞き取れないという状況で、会話がなりたたないということ、それからなかなかつながらないのはもちろんのことなのだそうです)メールで50往復ほどしあって、いろいろなことを決めたということでした。
 「山元さんと行くツアーは感動がとても大きいということを回りの方から聞いていたので、参加しました」と旅仲間の瀬山さんや、古川さんが挨拶のときに言ってくれていたのは、そういう小林さんのご苦労のおかげでもあったのでした。
 今回だって、とても素敵な旅に決まっている・・・いったいネパールはどんな国だろうか・・どんな出会いがあるのだろうか・・・。今までのうれしい旅を振り返ったり、まだ見ぬネパールのことを飛行機の中で何度も想ったり、本を読んだりして、時間をすごしていました。
 ふと窓の下を見て驚きました。おそらくはもう、飛行機はネパールの上空を飛んでいたのだと思います。「いったいあれは何?」窓際の人がみんなその景色を見ていました。「洪水?」「まさか」と叫んだのは、福井から参加している大向さんの奥さんとご主人でした。福井ではついこのあいだ、台風によって、足羽川が氾濫し、たくさんの方が被害にあわれたところでした。私も本当にほんの少しの短い間だけですが、災害の後かたづけのお手伝いをさせていただいたのですが、泥水は畳の上にまであがって、水が引いたあと、畳みの下には、ヘドロのような土砂が残り、においと汚れと、もう使うことがむずかしいのじゃないかと思われるような畳みと家具やお布団が残っていました。
 今、眼下に広がっていたのは、何キロにも渡った、茶色の土砂で、そこには、幾筋もの大きな大きな川が今は筋となって流れていました。
 大向さんが「まさか」と言ったのは、私も同感だったのだけど、これがもし洪水だったら、なんて恐ろしいことだろうというような気持ちから出た言葉だと思います。ノアの箱船というお話がありますが、そんな洪水を思わせるほど、、何キロもただ、茶色い土砂だけが広がり、草も木も何もすっかりなくなっているのです。
 けれども、薄暗くなってくると、その泥だらけの中に、いくつかの黄色い小さい光が点在しているのが見えました。
 「人が住んでる?」「生きてるの?」本当に不思議でした。土砂の流れと流の間に中州のようなところがあって、それも全部土色に覆われているのだけど、どうやら、少しだけ、土砂の流から頭を出しているようなところがあって、そこにいくつか見える明かりは、揺れていて息をしているように見えました。電気なんて来ないと思うのです。あの明かりはどうやって灯しているのだろう、あの泥だらけの場所で、食べ物はどうしているんだろう、もし歩いていくとしたら、食べ物のある町までいったいどのくらいの距離があるのだろう、あそこに小さい子やお年寄りがいて、家族で移動することができないのだろうか、たとえ、大人でも、歩いて、街まで辿り着くことはできるのだろうか?まだ続いている土砂を見ながら、もし大きな災害を目にしているのなら、どうして、私はニュースなどで知らないのだろうと思いました。
 本当に洪水だろうかと信じられない思いは頭の中にあったけれど、でも、やっぱり洪水なんだろうなあという思いも確かに心の中に広がっていて、高い空の位置からその全体の様子を目にしている自分がいるということにとても不思議でした。そして、こうして、広い災害の様子を目にすることのできる飛行機からの眺めというものは、飛行機がなかった大昔の人は決して目にすることのできなかった景色で、それができたのは、おそらく神だけだっただろうと思うと、これは神々の視点だなあという気がしてきてならないのでした。
 やがて飛行機は、たくさんの山々を越え、山に囲まれたカトマンズの空港に着陸しました。煉瓦作りの空港は、とても温かい感じがしました。
 いつも空港に着くたびに、「この国はどんなにおい?」と聞く大谷さんが、忘れずにまた「どんなにおい?」と聞きました。確かに空港に降り立ったとたん、その国を象徴するようなかおりをかぐことがあるかもしれません。二年前にタイを訪れたときは、甘い花のようなにおいがすると思いました。哲也さんは「鉄分の入った空気感」と表現していました。私はおそらく山をイメージしていたからでしょう。青い山と石のにおいがすると思いました。」

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