14.ポカラへ

  「食べに行きたいところがあるんだけど」
 夕食をどこでとろうかという相談のときに、小林さんが、名前をあげたのは、ペルーのサンセットビューホテルの敷地内にある、「ヒマラヤそばや」という日本そば屋さんでした。
「すごくおいしいおそばやさんだといううわさを日本で聞いていて、もしみんながいいと行ってくれたら行きたいのだけど」
 外国へ出かけると、何日か目でそろそろ日本が恋しいという方が何人か出てこられます。旅は楽しくて仕方がないけれど、それでも、遠くにいるという事実はなんとなく不安なものですね。それから、家族はどうしているかな?外国の食事もうれしいけれど、日本の食事も食べたいなあと旅も中頃になると思うのかもしれません。
 そんなことも考慮されて、小林さんは「そばにしよう」と言ったのだと思います。カトマンズの街の小高いところに、そのホテルはありました。名前の通り見事な夕日が見えるホテルだということで、小さい坂道を上っていくと、小雨が降っていたけれど、カトマンズの町々がきれいに見渡すことができました。夕暮れが迫り、家の窓に少しずつ灯りがともり始めるのが見えました。
 ホテルの敷地内にあるそのおそばやさんは、ロッジのようなつくりのように思えました。座っただけで、なんだか落ち着いた気持ちになったのですが、出てきたのは、おそばを乗りで巻いたそばずし、もりそば、そばだんご、そばつゆ、天ぷら、そばがきなど本当にどれもがとてもとてもおいしくて、「ここが日本だとしても、おいしい店だと思いますよ」と横井さんが、つぶやいていたけれど、私たちも、みんな同じ感想だったと思います。私は日記に、「とってもとってもおいしくて、みんな大満足。外国で日本料理をわざわざ食べなくても・・そういう意見もあるだろう。けれど、外国で食べた日本食はどれもとても印象に残る。そして、自分の中の確かな日本人を見るのだ」と書いていました。
 いただいたおそばはネパールのムスタン郡というところでで栽培されているものだそうで、なんとピンクの花が咲くのだそうです。そこでとれたそばの実をポカラからカトマンズに持ってきて、長野県の戸隠で研修を摘んできたネパールの青年がそばにしているのだそうです。
 次の日は朝早くにポカラへ出発しました。ポカラへはカトマンズから、200キロメートル、車で、6時間から8時間かかるということでした。ポカラはカトマンズよりも、ヒマラヤなどの山脈に近いところにあります。
 カトマンズから山道を進んで、2時間くらい走った頃だったでしょうか。観光バスが一台停まっていて、私たちが載ったバスも、その後ろに停まりました。ギータちゃんが、前の人から話を聞いて私たちに話してくれたのは「山の中に、山賊が出たということで、車がとまっているということで、私たちもしばらくとまります」
 ギータちゃんは旅行会社の人と携帯で話をし、そして、小林さんとも何かひそひそと話していました。のんきな私たちはそれが少々深刻な話題だったのだけど、そんなことは少しも知りませんでした。
 私たちが出かける一年以上も前に、ネパールの国王が殺されてしまうという事件がおきました。それから、その他にも毛派という人たちによる、内政不安がニュースになったこともあったようです。私がネパールに行きたいと言い出したときに、小林さんは、いろいろなところへ電話をかけて、ネパールが安全かどうかを調べていました。旅行会社、ホテル、ネパールにいる人・・いろんな人が、みなさん観光客は安全と口をそろえていってくれたので、この旅を行うことを小林さんは決めたのでした。
 ところがおそらくはその毛派が、政府を困らすために、バスをおそうというできごとが、ちょうど旅に出たころ、起きていたようです。
 小林さんはバスがとまったときに、私たちに何も言わなかったけれど、実際はずいぶん動揺し、迷っていたのだと後で教えてくれました。もどって、空路をとろうかと考えなくもなかったけれど、でも、それでは限られた滞在時間の中で、時間のロスが大きすぎる・・なんとか安全にバスが向こうへ着いて欲しい・・。そして、前の車が、前方が安全だという知らせを聞いたということで、出発しだしたときは、心からほっとしたということでした。
 そしてもしかしたら、てつやさんのそのことに気がついていたのかもしれないと今思います。突然バスから降りて、背伸びをして、「ちょっと小便に行ってきますから、写真を撮ったりしないようにね」なんて言って笑わせて、バスから降りて、みんなに背中を向けて、山の方に向かって用事をしていました。でも、しっかり、みんなその後ろ姿を写真やビデオにとっていて、バスの中はとてもなごやかな感じでした。それはもしかしたら、てつやさんが、ことさらそうしてくださったのかもしれません。
 小林さんが祈ってくださったおかげが、安全にポカラに到着することができたし、旅の間も、少しも危ないこともなく、そんなことは知らないままに終わったのですが、旅の直後に大変なことが起きました。毛派がカトマンズを占拠して、カトマンズはしばらく閉鎖のような状態になったり、外出禁止令が出たりしたのです。ギータちゃんはメールで何度もその様子を伝えてくれました。ギータちゃんは、「やっぱり、みんなはいつも、ついていて、守られています。今だったら、カトマンズからは出ることができず、ポカラへもいけませんでしたから。私も安全なときに、みなさんをご案内できて、とてもうれしいです」と話してくれました。
 バスは、大きな川沿いを走っていきました。水かさは雨期ということで、増していて、流れがとても早く、てつやさんや大谷さんは、「こんなところをカヌーで降りたら、どんなにかおもしろいだろう」と言っていました。ギータちゃんの話によると、カヌー教室が最近では開かれるようになってきたということで、実際に、途中でカヌーをいくつか見かけました。
「この道は舗装されているけれど、でも、深い川に沿っているので、とんでもないスピードで走る車が一年に何台も谷に落ちています。だから、私はポカリへ帰るときは少し値段が高くても、地元の人たちが乗るバスには乗りません。観光用のバスに乗ります。命が一番大切だから。観光用のバスはとても安全です」
 ギータちゃんはポカラで生まれです。そして、ご両親の家はポカラに今もあるのだそうです。「ギータちゃんはよくおうちに帰るの?」「いいえ、もう3年くらい家には帰っていません。今日?今日はお仕事だから帰りません。でも、電話はよくしますし、手紙もありますから」
 でも、ギータちゃんはきっとご両親に会いたいだろうなあと思いました。自分がいくつになっても甘えん坊で、ときどき、両親に会いたくてしかたがなくなるものだから、まだ若いギータちゃんが、お仕事だから、当たり前なのかも知れないけれど、私たちを少しでも楽しくうれしい旅が続けられるようにと、朝早くから夜遅くまで、できる限りのことをして、こんなにもしっかりといろんなことを決断して、私たちを案内してくれているギータちゃんが、急にいとおしい気持ちになったのでした。
 しばらく行くと、ひとつの大きな川の半分がにごっていて、半分が澄んでいるという不思議な場所がありました。そこの少し先が、二つの川の合流点になっているからなのですが、川というものは、国境も関係なく流れてきていて、この二つの上流の一つは洪水でにごっているのだろうか、もうひとつの川は、どんなところから流れてきているのだろうかと、そんなことを思いました。
 途中のレストランで食事をとりました。やきそばや、カレーなど好きな物をとって食べることができたのですが、そこには黒いネコがいました。お客さんがコンクリートの床に投げてくれた食べ物を食べるために、ここにいるようでした。ネパールには犬がたくさんいたけれど、ネコは、二匹見ただけでした。一匹は前の日に、バクタブルの町の屋根をやはり黒いネコが歩いていました。ネコや犬が大好きなEMIちゃんが、さっそくごはんを分けてあげていました。
 私はすぐにおなかがいっぱいになって、そこで拾った石に絵を描いて遊んでいました。どこかへ出かけると、よく手頃な石を拾って帰ってきます。ペルーの石、アフリカの石、ベトナムの石、カンボジアの石、ハーバード大学へ行ったときの石、赤毛のアンの家の近くの石。なんの変哲もない小さな石ですが、集めてみるとなんだかおもしろいのです。それらには絵がないのだけど、ポカラへの途中のレストランの石には象の顔を描きました。
レストランの中にまた血でいっぱいのヒルが落ちていました。また誰かが被害にあってる・・そして、なんということでしょう。それはまた大谷さんだったのでした。てつやさんにヒルに二度も血を吸われたので、大谷さんは「ヒーラー大谷」というすごいニックネームをもらっていました。そのころになると、みんなさらにうちとけてなかよしになってきたからでしょう。いろんなニックネームができてきたのです。いつもどんなときにもとてもおしゃれで黒いぴかぴかの革靴を履いて、背広にネクタイを欠かさない瀬山さんは、「ダンディ瀬山」というニックネームを女の子たちにもらっていました。
 そして、夕方近くにバスはポカラの町へついたのでした。ホテルの名前はシャングリラビレッジ。カトマンズと同じ系列のホテルなので、とても覚えやすいのです。そして、前に(私のせいなのだけど)迷子になった圭子さんはてつやさんに何度も、「シャングリラビレッジだからね」とからかわれていたのでした。

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