12.ボダナート寺院

まだまだ顔が痛みました。自分ではどんどん腫れがひどくなっているような気がして顔に違和感があるのだけど、でも鏡で見たらそれほどでもないのです。けれど、青いアザは少しずつ広がってきていました。
 なにかというと失敗ばかりの私に、「どうしていつもかっこちゃん?」大谷さんが、言いました。「でも、他の人が怪我をするよりいいよね」と私が言うと、KOちゃんが「(あなたが)転ばなければ、誰もころばないで終われるかもしれないのに」なんて、ひどく冷静なことを言います。でも、その通りだよね、気をつけます。
 その日一日は、仲間が用意してくれたタオルや氷で冷やしながらいました。
 次に訪れたのはボダナート寺院でした。ボダナート寺院もまた、カトマンズの街の中にあります。ここには、ネパールで一番大きな仏塔(ストゥーパ)があって、ここにも四方を見る仏陀の目が描かれた塔があります。目の下にはスワヤンブナートと同じように、黄色に染まったドーム型の屋根?があります。ギータちゃんのお話で、私たちが鳩の糞で黄色いのだろうと思ったその色は、サフランでそめられたものなのだそうです。サフランは、薬としても広くその当時使われていたそうで、魔よけのような力があるのだということでした。
 入り口で、外国から来た観光客は50ルピーという入場料を払います。ネパールの人は払わなくていいように見えました。「このチケットは一週間使えます」ボダナート寺院はチベット仏教の聖地だそうで、ネパールの人たち、とくにチベットの人たちが、朝夕に訪れて祈る場所なのですね。だから一週間何度来ても同じ値段ということなのでしょう。
 建物の周りには、手にもつタイプではなくて、作りつけのマニ車がずらりと壁につけられていました。「マニ車にはオムマニペニフムという言葉が刻まれています」「オムマニペニフム?どういう意味でしょう?」ギータちゃんはそれは日本の「南無阿弥陀仏」と同じだと教えてくれました。「この建物はそれだけで、もうマンダラになっていてるのです。お参りする人はこのストゥーパを右回りにマニ車を回して、オムマニペニフムを唱えながら何度も回ります」
 説明が始まった頃に降り始めた雨が、大粒になってきたので、私たちはいそいで、ストゥーパの周りを取り囲むように並んでいるおみやげ屋さんの一つに入りました。そこは曼陀羅やさんでした。
 雨が強くなってきても、人々はまだ、お祈りのために、歩き続けるのをやめていません。ギータちゃんが「傘か雨具はいつも必ず持っていてください。雨期はいつ雨が降ってもおかしくありません」と言っていたのに、バスから降りるときに、空が晴れているとバスの中に傘をつい、置いてきてしまっていたのです。
 曼陀羅は一枚何ヶ月もかかって書く分、とても値が張ります。すごくきれいだけれど、それほど興味がないからなのか、絵を一通り見たら、買うという気持ちもないので、また外を眺めていました。雨はどんどんひどくなりバケツをひっくり返したようになっていました。前を歩くお坊さんは、菩提樹の実をつなげたお数珠の珠をひとつひとつ数えながら、歩いていきました。お数珠の数は108つ。除夜の鐘の数とおんなじです。その数を数えて歩くことも、また祈りのひとつなのです。
「私もお参りしてくる」「行くの?」「行く」
 どこかへ出かけたとき、とくに外国に出かけたとき、たとえすごい急な階段であっても、土砂降りの雨が降っていても、そのとき、登らなかったら、そのとき、行かなかったら、もう二度とそんな機会がおとずれないかも知れません。どの国もまた訪れたい国ばかりだけれど、でも、行きたいことはそれこそ山のようにあって、行く機会は限られていますもの。 だから、やっぱり行きたかったのです。おがちゃんが、傘を二本持っているからと一本貸してくれました。
 あんなに降っていた雨が、少し小降りになりました。「今だ」と飛び出しました。「オムマニペニフム・オンマニペニフム」欲張りは私はいつも神様の前でつい、いろんなことをお願いしてしまうのだけれど、その日は、「どうぞ旅行中、山を見せてください」とそのことばかり思いました。
 でも、本当は神様や仏様の前で、自分の私欲をお願いをするのは、どこか違うかも知れないということを旅に出て漠然と思うようにもなっていました。ネパールでは、曼陀羅がいたるところにあり、そして、人々は、朝、昼、夜、いつも神に祈り、神とともに生活をしていました。曼陀羅で表されている仏の教えを、ギータちゃんは自然な感じでよく口をします。生きていると、いろいろなことが、毎日起こる・・そのどの事柄も、必ず意味があるのだと言うこと、そして、人は神様が決めた毎日を、一生懸命に生きることが大切なのだということなど・・・。もしその思いがギータちゃんだけでなく、他の人の思いでもあるなら、神様に祈るときの思いは、こうなってほしい、こうしてほしいということよりは、神様や、日々のいろいろなことに対する感謝だったり、祖父母や父母に対する感謝だったりするのかなあと思いました。またマニ車を回しながら、このストゥーパをぐるぐる回っている人や、チベットの人たちが、長い間、マニ車を回している様子を見ていると、心のうちは「無心」なのじゃないかという気がしたのです。
 けれども私はやっぱり山に会いたかったのです。雨期にきて、それがどんなに難しいことかわかっていても、一緒に旅にきてくれた仲間たちが、山を見て大喜びする顔を見たかったのです。ネパールに来て、山がもし見えなかったらどんなにがっかりするだろうと思ったのです。だから、私はやはり、「山を見せてください」と思いながらストゥーパを廻りました。
 ぽつんと降るひとつぶの雨が、とても大きく、そしてその雨が、あっという間に激しくなり、バケツをひっくり返したように降ってきました。まだ円周の3分の1くらいのところにいました。ひどい雨で傘をさしてもずぶぬれになってしまうから、本当だったら、来た道を戻った方が早いのだけど、右回りに回ると決まっているストゥーパを左回りで帰るのは、どんなにどしゃぶりでも気が進みませんでした。マニ車をていねいに回すのはやめて、いそぎ足で、マニ車にさわりながら、もとの曼陀羅やさんに飛び込みました。
 何人かの人が曼陀羅を買い、それからまた少しだけ雨が弱くなったときに、何人かの人が、ストゥーパの周りや、ストゥーパの上の方の周りを周りに行き、そしてボダナート寺院を後にしました。外はとても混雑していました。傘やカッパを着た人たちが、入り乱れ、そして、お寺の外にはずぶぬれになりながら、もしかしたら、一枚きりしかシャツを持っていないのだろうかと思うほど、ひどく汚れていたんだシャツを着た子どもたちが、「ルピー」とお金をねだっていました。街中で、降りた場所にバスを停めておくことはできなかったのでしょう。何百メートルか濡れた街を歩いて、少し奥まった場所にバスは停められていました。みんなが乗り込んだとき、加藤さんが「圭子さんがいないです」と言いました。みんな乗り込んだはずなのに、圭子さんの姿はありませんでした。
「どこかではぐれたんじゃないか」ギータちゃんとてつやさんと小林さんが、すぐに圭子さんを探しにバスを降りました。胸がドキドキしてきました。青い顔をした私に気がついたのか、てつやさんが「大丈夫。どうしても、落ち合えなくても、タクシーに乗ってホテルの名前さえ言えば、帰ってこれるから」
 そうは思っても、誰も知り合いのいない場所で迷子になることの不安は私もよくわかります。もう帰れなくなってしまうのじゃないかと不安でいっぱいになるし、一人でタクシーに乗ることだって、言葉が通じるだろうかという不安があると思うのです。
 神様を目の前にすると、ただ無心になるのが本当だろうと書いたけれど、私はまた、圭子さんがみつかりますようにと神様に思わずお祈りしました。
 どれくらい時間がたったでしょうか?長かったような、それほどでもなかったような・・・
ギータちゃんの顔が見えました。「いました。今小林さんたちとやってきます」
そして、圭子さんが無事に帰ってきました。みんなが拍手をしています。「ああ、山もっちゃん泣かないで」圭子さんがそう言ったけれど、だって、やっぱりとても心配で、そしてああよかったとうれしかったのですもの。
 てつやさんが「圭子さんったら、とんでもないんだよ。いなくなったらホテルの名前さえ言えば帰れるから大丈夫ですよねと言ったら、ホテルの名前?知らない・・カトマンズという名前だけ知ってるって言うんだよ。カトマンズってここだよ。それじゃあ、帰れないところだった・・見つかって本当によかった」
 ああ、本当によかった。圭子さん、本当によかった・・また思わず神様に手をあわせました。
 それから圭子さんのお話を聞いてとても驚きました。圭子さんがはぐれてしまったのは、でも、やっぱり私のせいだったのです。圭子さんは、列と離れて、私らしい人がどんどん先を歩いていくのが見えたのだそうです。あわてて、そっちじゃないよと私の後を追って、声をかけたら、振り返ったその人は私じゃない全然違う人だったそうなのです。あー、間違えたと思って、もと来た方へ向き直ったら、もう仲間の誰の姿もなかったのだそうです。どうしよう・・はぐれてしまった・・とにかくお寺の前へ戻ろうと戻っていって、そこで小林さんの姿を見つけたのだそうです。そのときのことを圭子さんはこんなふうに言いました。
「遠くの方から、小林さんの頭にそっくりの頭が見えました。そしてそれは本当に小林さんだったんです。まるでそこだけ光がぼーっとさしているようで、小林さんが観音様に見えて思わず手をあわせて拝みたくなりました」みんなほっとしたのと、てっちゃんが小林さんのことをよく「菩薩」と呼んでいるので、大笑いしました。
 けれど、圭子さんのお話で、圭子さんがどんなにどんなに心細かったのかということが、よくわかりました。そして、圭子さんや、雅子さんや、たくさんの人が、おっちょこちょいで失敗ばかりの私のことをどれほど旅の間中、気にかけていてくれているかということを思いました。もっとしっかりしなくちゃ・・・。迷惑をかけないように、ちゃんと自分でできるようにしなくちゃ。KOちゃんが「できないでしょう。思っただけでできるなら、もうできてるでしょう」と言いました。でもね、だからと言って、みんなの優しさに甘えて、自分を見つめることをしないでいることはだめだよね。
 ギータちゃんが「私、圭子さんのおかげで勉強になりました。雨のときはあまり列を作って歩くのは危険だということがわかりました。雨のときはやっぱり、こんなふうなことがおきやすい。圭子さん、ごめんなさい」ギータちゃんも、何かおきたら振り返ることを忘れないでいるんだなあ、すごいなあと思いました。
 ホテルに帰ると、秀子さんがすっかり元気になって玄関に迎えに来てくれていました。紅茶やさんで買った、仏陀の目を刺繍した小袋に入った紅茶をおみやげに渡しました。「どうしておられるだろうと思いながら、電話事情が悪いということで、なかなか電話もできずにごめんなさい」「いえいえ、ホテルに来る頃はすっかり元気になっていて、あのときどうしたんでしょう。ちょっと疲れていたのかしら」と顔色もとてもよくなっていて、ほっとしました。
 本当にいろいろなことがあった一日でした。秀子さんが、ふーと倒れたり、私が自転車とぶつかったり、圭子さんが、迷子になったり・・。でも、終わってみればみんな元気で、いい一日でした。 

inserted by FC2 system