10.クマリの館

 いったん広場の外に出ました。
「今から行く紅茶やさんはとても良心的な紅茶やさんです。ネパール人にも観光のお客さんにも同じ値段で紅茶を売ります。品質もとてもいいです。私は、おみやげ屋さんでも、ちゃんとしたところへしか連れて行かないのです」ギータちゃんが連れて行ってくれたのは、戸口から置くまで、紅茶だけしか売られていないというお店でした。
 ネパールの紅茶は最高級だということを聞いていました。新芽だけをていねいにつみ取ってつくったお茶は、紅茶を世界一愛しているのじゃないかと思われるイギリスの人に愛されていて、たくさん輸出されているのだそうです。
 紅茶やさんには普通の紅茶の他に、痩せたい人が飲むお茶(スリムティー)頭痛がなおるお茶、眠れない人にきくお茶など、いろんなお茶が売られていて、私たちの仲間にはスリムティーが人気でした。私は仏陀の目が刺繍された色とりどりの小物入れになりそうな小袋に入れらえた紅茶や、ペンシルケースになりそうな、織物で作ったケースに入った紅茶を買いました。
 紅茶やさんのお隣は絵はがきやさん。エベレストなどの山々の絵はがきの他に、ネパールの和紙(ネパールなのに和紙というのはおかしいかな?)に木版でヒンズーの神様が印刷されたカードが売られていました。
 絵はがきやさんから出ると、てっちゃんにネパールの人が、おみやげを売りつけていました。てっちゃんはいっぱい旅をしていることもあって、交渉がとても上手。最初10ドルと言っていた細かい細工のチェスがあっという間に、5ドル3ドル2ドルと下がっていくのです。おじさんは「それじゃあ、売り上げがないよ」なんて、言っているのだけど、それでもてっちゃんの人柄だと思うのだけど、売っている人もなんだかとてもうれしそうなのです。それでね、他の物も、また、ただみたいに安くなってしまうのに、また懲りずにてっちゃんに売りつけようとしているのが、おかしいのです。売れたら売れたで「あーっ」(しまった)って言うのにね。
 おみやげ売りの人たちに混ざって、小さい子どもたちの何人かが、とても悲しそうな顔をして、口に食べ物を持って行くジェスチャーをして、私たちに手を差し出すのです。「ルピー」とか「キャンディ」とか、ときには「十円ください」と日本語で話す子がいます。
おみやげを売っている子どもたちの明るい表情とは違って、まるで目に涙をためているようにも見えました。
 カンボジアに出かけたときにも、そういう子どもたちに会いました。そんなときに、私はどうしたらいいかわからなくなります。1ルピーは日本円でも3円くらい。10ルピーだって100ルピーだって、今の私は渡すことができます。それで、この悲しそうな子どもたちが笑顔でいられるのならと考えそうになってしまいます。けれど、それは、どこか間違っているような気がしました。どうしてだかちゃんと言えないけれど、そうしてはいけない気がしました。
 片方ではいっぱいのおみやげを手にして、大人としっかりと交渉して、笑顔で仕事をしている子どもたちがいて、その近くで、おどおどしながら、お金をくださいと、手や服を小さな手でひっぱって、話す子どもたちがいます。みんなも戸惑っているようでした。お寺などの入り口で、門番に、お金をねだるために中へ入ろうとする子どもたちが、ひどく叱られて、服のえりをもたれてつまみ出される光景もみました。ガイドさんに「シッシ」と追い払らわれている姿もみました。けれどもギータちゃんは、そうではありませんでした。お金をねだる子どもたちの頭にやさしく手をやって、じっとその子を見つめ、そして何かをさとすように話していました。子どもたちは門番に追い払われても追い払われても、中へなんとか入ろうとしていたのに、ギータちゃんに話しかけられたあとは、少なくともギータちゃんの近くでお金をねだろうとはしませんでした。いったい何が子どもたちの様子を変えたのでしょうか?
「ギータちゃん、子どもたちにどんなことを言っていたの?」ギータちゃんは大きな目で、とても真面目な顔をして言いました。
「私は子どもたちに、お金をくださいと言ってはいけないと言いました。お金がなければおみやげを売りなさい、仕事をしなさい。働かないでお金をもらうのは、誇れることじゃないと言いました。観光客は一度だけです。通りすがりにお金を渡すことは、簡単です。でも子どもたちは一度苦労しないでお金をもらうと、その方がおみやげを売るよりずっと容易にたくさんのお金を手にできるから働かなくなります。ほどこしを受けるときの惨めな気持ちは人を悲しい気持ちにさせる。そして子どもたちは小さいあいだしか、お金をもらえません。大きくなって、働くことが身に付いていない子どもたちは、とても困ることになる。だから私はガイドしているとき、お客さんにお金はあげられないよと言ってくださいと話しているんです」
 ギータちゃんはお休みの日は必ずと言っていいほど、子どもたちが集まる場所に出かけて、折り紙を教えたり、本を読んで聞かせたりしているのだそうです。子どもたちのことを心から愛して、真剣に考えているギータちゃんの言葉だから、子どもたちの心も動くのだと思いました。それから私たちも、お金をねだるこどもたちに会ったときに、どうしようとおろおろせずに、自信を持って、子どもたちの髪をなぜたり、肩に手を置いたりしながら、「あげられないの。お金はあげられないのよ」と言えるようになりました。けれど、それは援助しなくてもいいのだということではないですよね。もし自分たちにできることがあるのなら、間違った方法ではなく、どうしたらいいのか、考えて行動に移すことはとても大切なことだと思います。
 「お隣でご飯を食べますから、出てきてください」まだ紅茶やさんなどでお買い物をしている人に声をかけて、ギータちゃんが連れて行ってくれたレストランは庶民的なネパール料理を食べさせてくれるお店のようでした。
 ここで、ネパールの人たちの食事のお話を少しさせてください。ギータちゃんに教えてもらったり、本を読んでわかったことを書きます。
 ネパールでは、だいたいの人は、一日に2度食事をするのだそうです。遅い朝ごはんを10時くらいに、そして夜の6時か7時頃に夕食を食べます。でもその間に、甘いチャイを何度もいっぱい飲むので、エネルギーの補充は十分だということでした。よく食べるのはダルバートと言って、豆のスープ(ダリ)をご飯(バート)にかけたもの、それから、タルカリというカレーとおつけ物・・・それらを右手で混ぜて、ひねるようにして指先だけで口に運んで食べるのです。左手は不浄だとかで、使ってはいけないのだそうです。そういうわけで、お皿を手に持って食べると言うこともなくて、お皿はテーブルかあるいは床に置いたまま食事をするのです。
 ギータちゃんの連れて行ってくれたレストランで、私たちはモモというものを食べました。モモはもともとはチベット料理だったのが、ネパールに伝わったものだそうで、シュウマイのような形をしている餃子で、中に野菜や肉のミンチなどが入っているのです。みんな暑い中を歩いたので、のどが渇いていました。テーブルごとに違う物を注文すると時間がかかるからと、ギータちゃんや小林さんやてっちゃんが二種類のモモやダリバード、タルカリの他にも、いくつかをテーブルごとに一皿注文し、飲み物は自分の好きな物を頼むことにしました。「はやく飲みてー」と哲也さんが大きな声で言いました。「あー、なんでなんでー」と指さす方向をみると、横井さんのところにはもうビールが届いていて、哲也さんにわざと見せびらかすみたいにして、「ほらほら・・うまいぞー」と飲むのです。「クヤシー」と地団駄踏んでいる哲也さん。私たちはもうすっかり仲間で、いろんなことが本当にとっても楽しいのです。昨日の夜にはなかったカールスバークというビールがそのお店にはありました。さっそくKOちゃんが頼んだビールのラベルをはがそうとしたのですが、昨日のようには簡単にはいかなくて、やっとはがすことができました。他の人が「ツボルグ」というコペンハーゲンのビールのラベルもくれたので、それもさっそくスケッチブックに貼りました。
 私はラッシーというヨーグルトを発酵させて作ったという飲み物を頼みました。発酵と言ってもお酒ではなくて、カルピスとヨーグルトジュースの間と言った感じの飲み物で、ネパール独特のものなのだそうです。ラッシーにはお砂糖味とそしてなんと塩味があります。その他にもバナナラッシー、マンゴーラッシーなどレストランによって、いろいろなラッシーがありました。村井さんが「私は塩味のラッシーもなかなか好きよ」って言っていたけれど、私は塩味はあまり得意ではありませんでした。やっぱり甘いのが好きだったな。
 私のためにてっちゃんが、ボーイさんにワインのボトルのラベルをはずして持ってきてと頼んでくれました。ボーイさんが、「こんなのをはがすなんて難しいよ」と困った顔をしていたけれど、てっちゃんはボーイさんに「イージィ、イージィ(簡単だよ、やってよ)」「イージィイージィ」と何度も頼んでくれました。
 ボトルを持って奥へ入っていったボーイさん、けれど、しばらくして、ラベルが破れてぼろぼろになったボトルをもって、登場。てっちゃんが「やっちゃいましたね」という顔で、ラベルを指さし、ボーイさんが、苦笑いをしているところを大谷さんが、カメラでぱちり。その写真をボーイさんに見せたら、どうしてもそのおかしな顔をしている二人の写真がほしいということで、ボーイさんは大谷さんに名刺を渡していました。
 大谷さんが「デジタルカメラだからEメールで送りたいんだけど、アドレスはある?」と尋ねると、「Eメールはあるけれど、会社のだから」とのこと、ギータちゃんが「大谷さん、じゃあ、私に画像を添付しておくってください。ボーイさんに渡すから」ということになったのでした。
 ネパールでも、ペルーでも、カンボジアでも、首都に行くと、乗り物などが、日本の何十年か前のものを使っていたりもするのだけど、パソコンの技術は進んでいて、たいていの国ではもうそういうシステムができあがっているのが驚きます。もちろん使っているのは一部の人なのだろうけれど、システムができているのはびっくりです。
食事の跡、またダルバール広場の中にあるクマリの館に行きました。「ネパールではクマリに会えると幸せになれるって言い伝えがあるんだよ」大学の時にカトマンズへ行った友だちが教えてくれたのです。いつかカトマンズに行ったら、クマリに会いに行こう・・そう思っていた私は、いよいよクマリに会えるかもしれないとドキドキしました。けれど、ギータちゃんは「運がよくないとクマリには会えません。ちょうどクマリが出てくるときに出くわさないと・・・。よほど運がよくないと会えませんから」
 木彫りでできている大きな門を、日本のくぐり戸のように頭をさげてくぐると、そこには四角い中庭があり、その中庭を四方からぐるりと囲んでいるのは、煉瓦作りで、そこに素晴らしい木彫がほどこされた装飾や窓飾りがいたるところについている建物でした。
 ネパールに来てから、丸い鉢に花を浮かべた物や、ろうそくなどを並べて作った円など、丸く囲まれたものをたくさん見ました。ギータちゃんやネパールの人(ネパリ))はその円のことも、曼陀羅と呼んでいました。どれもが、この私たちが生きている宇宙を表したものだということなのだけれど、くぐり戸をくぐって、中庭に入ると、このクマリの館も、四角だけれど、そこだけで、ひとつの宇宙を形作っているような、特別の空間という気がするのです。昔のままの空気が、そこにあり、精霊が息づいているような、不思議な感じがするのです。
 くぐり戸になっているのは、中にいるクマリに、自然と頭を下げて敬意を示せるようにということで、日本と同じしきたりがあるのがおもしろいです。木の彫刻の中には、たくさんの手を持っている女神の像がありました。「女神は万能だから、たくさんの手を持っているのです。男の人はなまけて仕事もしないし、できないことが多い。神様でも同じ。女の神様はたくさんのことができるのね」とギータさんは少し誇らしげな顔で言いました。
「カメラをしまってください。クマリにカメラをむけることはできません。みなさん喜んでください。もう少ししたら、クマリがあの窓から顔を出すということです」ギータちゃんの言葉にあわてて、カバンの中にカメラをしまいました。
 「クマリは生まれてから一滴の血も流したことがない少女がなります」「一滴も?」
「そうです。クマリは何度かの大きいお祭りの時だけ外に出るのだけど、そんなときも、怪我をしないように、かつがれて外に出ます。カトマンズの由緒ある部族であるネワール族の少女から選ばれます。今のクマリは2001年に生まれたのです。今9才です」
 本によると、クマリは女神が少女の身体を借りて、この世界に現れたのだと考えられているのだそうで、32ものきびしい身体的な条件にかなわないとクマリにはなれないのだそうです。その条件は、歯が40本だとか、長い足首だとか、美しく小さな毛穴だとか、いろんな条件が含まれていて、さらに、暗い部屋に連れて行かれて、そこで血だらけの水牛の頭を見ても泣かないとか、王様との相性がいいというような条件があるのだそうです。そして、生まれてから一度も怪我をしたことのない選ばれた少女がクマリになり、初潮を迎えると次のクマリと交替するのだそうです。クマリは大きなお祭りで外に出る以外は、ずっとクマリの館に、世話をしてくれる人と一緒にすごすのだそうで、神様なので、完全無欠だということで、教育を受けることもないということでした。けれどギータちゃんによると「最近は中で少し勉強をして、クマリじゃなくなったときに、困らないようにしています」ということでした。
 窓からクマリが顔を出しました。毛糸のようなもので作った赤いかつらと金色の髪飾りをつけ、額は、赤く染められていて、その真ん中にも目が描かれています。それは女神様の智恵を表す目だということでした。クマリは笑ってはいけないということで、少しも笑わず、くまどりのお化粧をした、大きな目で私たちを見て、すぐに窓から離れてしまいました。
「ずっと閉じこめられているのはかわいそうな気がする」旅の仲間の誰かがいうと、ギータちゃんが「この中には遊び相手も住んでいて、毎日一緒に遊んだりもします」と言うことでした。
 小さい少女が親元を離れて、ずっと閉じこもってすごすことはどんな思いなのだろう、日常の生活の中でも、笑ったり泣いたり怒ったりすることのない生活なのだろう・・自分の生活や、自分の周りの生活と比べてすぐに考えてしまいそうになるから、この小さい少女が、なんだかかわいそうなようないとおしい気持ちになりました。けれどギータちゃんは「クマリに選ばれることは、お父さん、お母さんにとっても誇りだし、王様も、クマリに対しては頭を低くさげるのです。クマリもとても誇らしいと思います」
「ギータちゃんも、もしなれるなら、クマリになりたい?」私の質問にギータちゃんはちょっと考えるようにして、頷きながら「そうですね。そう思います」と言いました。
 クマリにはいろいろな言いつたえがあるそうです。クマリが大人になって、他の人と交替すると、クマリは一般の人と同じような生活をするのだけれど、クマリと最初に結婚した相手の人は、早死にすると信じられているということです。大好きなひとからプロポーズされても、その人が早く死んでしまうのではないかと、結婚に踏み切れずに好きでない人と結婚しようとするクマリと、クマリのためなら、死んでもいいから、他の人と結婚して欲しくないと思って、結婚相手と戦って亡くなってしまうという悲しい物語も残されているそうです。
 それからクマリはカトマンズだけでなく、ポカラや、パタンなど主要な町にも必ずいるのだそうです。そしてカトマンズのクマリは王家のクマリ”ロイヤルクマリ”と呼ばれ、地方のクマリはローカルクマリと呼ばれます。
 ネパールに行く前に、「世界遺産」という番組では、私たちが出会った、現在、クマリの任を持っている9才の少女の他に、もう一人のカトマンズのクマリが紹介されていました。その人は、ずっと初潮を迎えることがなかったので、15才でクマリの任を解かれて、今も、クマリをやめるということに納得ができずに、50年もの間、ほとんど外に出ることなく、クマリの生活を続けているということでした。このクマリは、テレビの中で、小さなクマリと同じように、建物の中で、頭に飾りをつけ、祈りや願いをささげにくる人々の幸せのために祈り続けていました。
 私はなかなか比べるということから抜け出すことができません。自分の経験や自分の価値判断でしか、ものごとを見ることができずにいます。
 ずっと閉じこもった生活をしているクマリは不幸せなのじゃないかと、だから、つい考えてしまいそうになります。でも、他の国に行って、比べてばかりいたり、自分の価値観だけで、ものごとを見ていては、きっと大切なことは見えてこないのだと思います。
「ギータちゃん、ネパールの人にとって、クマリはどういう存在なの?」
「ネパールにはいろいろな宗教があります。それから、インドから来た人、チベットから来た人、いろいろな民族が混ざって暮らしをしています。でも、宗教や、民族が違っても、私たちは、みんな女神の存在を信じています。そして、女神の存在が私たちをひとつにしているのです」
 朝、昼、夕方、そして夜、年老いた人から、赤ちゃんまで、ネパールの人が神様に祈る姿をいつも見ることができます。人々は、仏陀にもヒンズーの神様に対しても、分けることなく、同じように、祈りを捧げていました。一生懸命祈る姿の向こうにはいつも女神がいて、その女神は人々を生かし、そして守っていると感じているようでした。
 

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