都田萬作さんの気持ち

  露草  

 夏恒例の夏祭り・花火・バーベキューなどの一連の行事が終わり職場に復帰した。  この時期ちょっと胸キュンなのだ。  ああもう夏が終わってしまうのか・・・  まだまだ暑い日は続くのだけれど、赤いトンボを見たし、ツクツクホウシがないてるし、24時間愛は地球を救うの宣伝はやってるし、お盆をすぎるとなんかさびしいなぁ でもその寂しさをじっと味わってたりして人間なかなかしたたかなのだ。  名古屋に小学校から大学院までずっといっしょだった友達のゲロサがいて、年に2回あって家族ぐるみでつきあっている。  一人娘の秋子ちゃんはのびのびした性格でさっぱりしたとてもかわいい子だ。  ところが今度あったとき秋子ちゃんには白髪が10本ぐらいあった。小学校4年生にしてそうなのだ。  きくところによると塾でそうとう一生懸命学習していて、競争のなかで生き甲斐をもっているとのこと。秋子ちゃんは以前同様のびのびとした性格をもっているのだが、どこか頑張っている、努力している、そんな感じなのだった。有名中学に入るために母子ともに「がんばって」いるんだそうだ。  露草の花をみて、ゆうちゃんが露草だっていったら 「知ってる、塾でおそわった」 って言ったそうだ。記憶の中の露草をみているだけで、目の前の露草をみているようではない。感受性とか感性はとても大事なものだと思う。というのもかつてそれをないがしろにしてきたからよくわかる。願望達成のためにひとまずそれを横においおくつもりが、実はとりかえしもつかない大損をしていることもある。とりかえしもつかないというのも言い過ぎかもしれない。もし人の気持ちや花や山や夕焼けの美しさに感じることがなくなったら、とても寂しいことだ。と、思えることは幸せだと思えるのだが・・・  生きているっていうことは、記憶にあることじゃなくて今のことだっていう単純なことすら競争は忘れさせてしまうおそれがある。事実そうだったからよくわかるのだ。別に競争否定論者じゃないけど偏ると見えなくなることって多いものだ。  それらを無視した人生もありうるじゃないかっていう考えもあるかもしれない。  しかし、それって栄養があるからって柿の皮ばかりをたべているようなものだ。善悪の問題と言うより、損得の問題かもしれない。でも、損得というより部分と全体の問題と思っている。  秋子ちゃんとは湖の前でバーベキューしたのだけれど、湖をみてくれたのだろうか。湖に迫る山の存在感を感じてくれたのだろうか。余計なおせっかいだが秋子ちゃんだから敢えて言いたい。  秋子ちゃん。公文式でいい成績をとったはなしをするのもうれしいけど、雷の音やウグイスのこえに立ち止まって聞いているときも同じくらいうれしいんだよ。  その昔秋子ちゃんのお父さんに高校時代にこう言ったっけ。 「東大に合格するのと、空を飛べる魔法を身につけるのとどっちがうれしい?」 ゲロサははっきり 「空をとべるようになりたい」 と言ったのだ。その後、二人は受験にまっしぐら。  今ゲロサは会社の重要なポストを担っていて、この前はテレビにでていた。  秋子ちゃんならきっと放っておいても進学校に進むことができる。ゲロサだってそうだったんだから。だからあんまりいじくりまわさんでもそのままのびのびそだてりゃいいじゃん と、秋子ちゃんのファンの一人として言いたい。  露草は朝開いてもう夜には閉じてしまう。秋子ちゃんの感性が開いている内になんとか、と思うのは僭越だろうか。  ひょっとしたらゲロサはそんなことは百も承知で、お母さんと秋子ちゃんを見守ってるかもしれない。競争の無意味さは知ってるはずだから。                               都田萬作

都田萬作さんへのお手紙


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