むっちゃんの気持ち・・このこと歩む・・

 

雅明は三人兄弟の次男で、今年一〇歳になりました。一歳になったばかりのとき、自宅前の川に落ちて流されました。発見された時には、たくさん水を飲み、呼吸も心臓も止まっていました。救急病院から会社に電話が入り、私は、さっきなぜあんなに救急車の音が気になったのか?わかりました。

◆たくさんの人に元気をもらって◆

病院に駆けつけると、ベッドの上で冷たくなった雅明を医師が懸命に処置していました。思わず駆け寄り、手や顔をさすっていると心臓が動き出しました。救急車で大きな病院へ行くことになりました。移動途中にもしものことがあるかもしれないと言われましたが、無事に到着しました。すぐに病院の奥のICU(集中治療室)へ運ばれ、再び会えたときにはたくさんの医療機器につながれ別人のようでした。小児科の医師から「低酸素性脳症です。私ならあきらめていました。」と言われ、ほかの病院に運ばれなくてよかった、と思いました。

三日ほどして小児病棟へ移り、ようやく目が開きました。でも様子が変です。目を見開き、顔がみるみる真っ赤になり、体に力が入ります。医師を呼ぶと「けいれんです」。発作の間隔がどんどん短くなって医師の顔が険しくなり、雅明はICUに戻されました。私がボーっとしていると、同じ病室のお母さんが「うちの子も同じだったの、だいじょうぶよ。」と励ましてくれました。

雅明の容態が落ち着かない中で、弟の燎佑が生まれました。私は、生まれてきた赤ちゃんが雅明の代わりになるような気がして不安でいっぱいになり、千羽鶴を折りました。看護師さんも手伝ってくれ、私が退院するまでにできあがりました。千羽鶴を持って病院に行った日、雅明は小児病棟へ移れることになりました。

その後も入退院をくり返し、吸入・吸引機が手放せなくなりました。年が明け今度は、頻繁にミルクを吐くようになりました。検査をしたところ、胃食道逆流症と診断され、春に手術をしました。どんどん状態が悪くなるわが子を不安に思う一方、私は病院でたくさんのお母さんと知り合い、元気をもらいました。

◆「声かけ」の大切さ◆

雅明が三歳のころ、少しだけ奈良県で暮らしました。その時お世話になった保育所での雅明の姿に、私は驚きました。子どもたちの声や保育士さんからの声かけ、そして私のことも、ちゃんとわかっているのです。雅明は何もできない、何もわからないと思っていたのは、私だけでした。雅明は元気な子どもたちと過ごすことで、たくさん力をもらっていたのです。

そのことに気づいてから私は、雅明にとって良いと思う事は何でもやってみました。特に大切だと思ったのは声かけでした。私が「○○するね」と話しかけると雅明は体の力を抜いてくれ、「これを片付けてからね」と言うと、待っていてくれました。わからないと決めつけていたのは私の方で、雅明は、“わかっているよ”と私に伝えようとしてくれていたのです。

お互いに心が通い、楽しいことも少しずつ広がり、体調を崩さずに外出できる機会が増えるとともに、吸引機を使う回数も減っていきました。

ところが、新潟に帰って来ると、地域に障害のある子を受け入れてくれるところがありませんでした。障害のある親子の会などに通う中で、ようやく同じような気持ちの方にめぐり会うことができました。身の上話からはじまり、お互いの気持ちがわかる分、仲良くなるのも早かったと思います。

知り合ったお母さんたちと一緒に、楽しく子育てをしていこうと、「こぱんだクラブ」という会をつくりました。一泊二日の親子旅行に出かけたり、お花見に行ったり、講演会に参加したりしました。はじめての旅行は、船で新潟の粟島へ行きました。お母さんと子どもたちの旅はちょっとした冒険でした。

日常的にはお互いに自分の生活に追われ、定期的に活動することはむずかしいのですが、悩みを話せる場として、これからも大切にしていきたいと思っています。こぱんだクラブのお母さんたちや、講演会で出会った講師の方など、雅明がいたから出会えたすばらしい仲間たちに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

 

◆トランポリン、大好き◆

雅明は新潟県立村上養護学校に入学しました。入学後に股関節を脱臼したため、家まで先生に来てもらい自宅でパネルシアターやエプロンシアターをよく見ました。でも雅明はなぜか?眠っています。ところが、登場人物を学校の友だちに変えたとたん、目がぱっちり開きます。友だちが大好きなのです。

ときどき通う学校でも大好きなことを見つけました。トランポリンです。どんなに寒くても、雅明は服をたくさん着込んで飛んでいました。療育センターのプールもお気に入りで、水の抵抗を楽しみながら、苦手なうつぶせでもリラックスして、気持ちよさそうでした。

三年生になり、雅明は精神的にも成長しました。トランポリンや毛布ブランコだけではなく、好きな歌を聴いてもいい表情を見せてくれるようになりました。私と離れる時など「お母さん、行ってきていいよ! 僕は平気さ!」と言われているような感じで、さびしいような気もしましたが…。みんなから呼んでもらえるうれしさ、自分の番を楽しみに待って、「次は僕だよ!」という気持ちを動作や表情で表現するようになりました。

◆子どもたちに楽しい時間を◆

 家ではどうしても雅明が中心の生活になってしまい、兄や弟にはたくさん我慢をさせていると思います。お兄ちゃんは、よく雅明を抱っこしてくれ、雅明にとっても安心できる存在のようです。でも学校では友だちとけんかをして怪我をさせ、何度も謝りに行きました。学校の先生からも不安定さを指摘され、悩んだ時期もありました。でも講演会に出かけたり本を読んだりして、私なりに学んだことは、子どもはみんなとても大切な存在で、その子なりに成長をしている。そのことを親が理解して、必要なときに助け、見守り、受けとめてあげる中で、また子どもは成長していく、という事でした。

雅明は今年の四月から、通院にも便利な五十公野分校に転校し、ゆったりとした時間の中で毎日楽しく過ごしています。今、養護学校には看護士が配置され、医療的ケアの壁はクリアできました。しかし、雅明の通う分校では給食の二次調理ができず、弁当も認められていないため、私が学校へ食べさせに通っています。来年ミキサー食のお子さんが入学してくるということで、教頭先生が新潟県や新発田市に掛け合ってくれています。これからどうなるかはまだわかりませんが、子どもたちの楽しい時間が少しでも増えてくれることを願っています。

(わたなべ むつこ 新潟県胎内市)


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