都田萬作さんの気持ち

花と蜜

 花と蜂

春の日差しを浴びて
れんげの花に蜂がとぶ
れんげは蜂に蜜を提供する代わりに
蜂はれんげの花粉を運ぶと思っていたら
実は
れんげは花粉のことよりも蜂においしい蜜をあげたくて
蜂は蜜よりも花粉をちゃんと運びたい

   ふくらんだ手紙

気持ちがいっぱいつまってるから
十円たさなくちゃならないだろう
ださないうちからもう満足している

   無意味か

そんなこと無理じゃない?
だれがそんなリスク背負うんだ
やるだけ無駄だね
周囲からそういわれ
心の一部かからもそう思わえても
心の中の少年は目をかがやかせて
まるでくわがた虫をつかまえにでも行くように
それをやろうという

   四季の風

さびしいときは秋の風
 葉っぱを落として中を見る
かなしいときは冬の風
 よりそい合ってあたたまろ
うれしいときは春の風
 ぬるんだ小川にとけてゆく
たのしいときは夏の風
 裸になって語りあお

 雪絵ちゃんに会ったことはないのに、もう知っているような気がしている。雪絵ちゃん
の言葉や話し方や声などの情報を総合して雪絵ちゃん像をプラモデルのように頭の中で構
築しているにすぎない。プラモデルの部品は僕の経験や知識なので、出来上がったものが
実物に近いかもしれないけどそうでないかもしれない。
 小泉さんは自分を愛することが出来れば人類を愛することなど簡単、と言ってのける。
 アインシュタインは宇宙よりも、ペンをもつ手の中にむしろ神秘がある、と言った。
 結局、そうするとどういうことになるのかなぁ。
 日に照らされて緑に光る銀杏の葉っぱが目にしみた。その光はどこからくるのか。その
質問を発しているのは誰か。目にしみた者は目にしみたことを考えている者と同一か。わ
きあがる質問を風が銀杏の葉っぱを揺らすのを見ていて忘れた。

   虹

灰色の雲をスクリーンに
春の落日が完全な半円を映した
よく見るとその上にもかすかなる同心円がある
表の虹と裏の虹
これを詩にしようという
甘い考えが
七つの光に消されていった

   じてんしゃ

じてんしゃ じてんしゃ カタカタタ
堤をはしる カタカタタ
風きって  石をはじいて カタカタタ

坂を登るよ ギーコギコ
がんばれ  まけるな ギーコギコ

坂を下るよ スーイスイ
楽だよ すべるよ スーイスイ

じてんしゃ じてんしゃ カタカタタ
大きいギアと小さいギア
地球と回転 グールグル

   ねんざ

ねんざをしたよ痛い痛い
足首曲げるとちょっと痛い
体重乗せるとうんと痛い
子供にけられてまた痛い

痛いということは
体の中の精神の体験
星達はそんな冒険談を待っている

   雲

いまたしかに聞こえた
雲がはなしたのだ
丘の上を歩いていたら
青空にぽっかり浮かぶ雲が
 よかったね
と、通り過ぎながらはなしかけてきた
これは真実かと問う前に
あたたかな想いがむねにのこった

   好き

おとうさん好き?
 おとうさんきらい
おとうさん悲しい
でもちいちゃんを大好きだよ

   時

 せっかちだ。待つことがとても耐えられない。
人に待たされるのは言うに及ばず、ビデオを巻き戻したり、隣の部屋に移動したり、カップヌードルにお湯を入れてゆでたり、信号待ちをしたりするのが嫌いだ。
 これはとても幸せな状態とは言えないので一計を案じた。
のんびりかまえるなんていうことは無理なので、究極のせっかちになってやろうと思ったのである。究極だから一秒たりとも待ってはいけないのだ。
だから、ああしようとかこうなりたいとか時間のかかるものはすべて諦めるのだ。時間と言う感覚も排除して今現在しか無いと思うことにする。実際、今以外の過去や未来は今には無い。
 時というものは不思議な概念だ。
今しか無いと思って生きてみると、今とは何と豊富ないのちに溢れていることだろう。過去も未来も同居したような気もする。
 すると、バスを待ちながらも、行き来する人の表情や燕の美しい飛行の軌跡がみえてくるのだ。そうなるともうバスを待っていない。
バスがその観察をしおわるまで到着を遅らせているのだ。

   同窓会

変わったね
変わらないね
挨拶のようにかわされる繰り返しの中で
自己とは何かを考えた

交差する出会いの真実は
時と個をこえた存在か

   さなぎ

さなぎは不自由な身を枝に横たえ
空の青さにこころをうばわれ
鳥たちの自由にあこがれ
木々のしなやかさにみならおうとした
努力と挫折を繰り返した後
さなぎに残された自由は見ることだけだと知った
さなぎはむなしく自らを見ていた
そしてそのむなしさをも見つづけた
空も鳥も木もむなしさもどろどろに溶けてゆくと
自分は空でもなく鳥でもなく木でもなくむなしさでもないと感じた
するとどうだろう
空のように美しく
鳥たちのように自由で
木々のようにしなやかな
蝶となっていった

 さなぎが4匹のうち2匹がかえった、と山もっちゃんからファックスが届いた。
さなぎは蝶になる前に、その中がどろどろになるって言っていた。なにかそのことには意味があるような気がした。
そうしてできた詩が最後のさなぎの詩だ。変容するというのは不思議な気がする。
人が変容するというのは、自らが変わろうとして変われるものじゃないと思う。
ましてや人に言われて変わるものでもない。
それでも人が変容するというのは、その内部にも宇宙があるということだと思っている。

都田萬作さんへのお手紙


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