なおちゃんのお風呂日記
「画用紙はーー」なおちゃんが毎日のように絵日記を書いてきてくれます。なおちゃんが何か書きたいから宿題を出してと言ってくれて始まった絵日記ですが、宿題といってもいつも忘れないのはなおちゃんで、わたしはいつも画用紙を用意するのを忘れてしまって、「画用紙はーー」と教えてもらえるまで毎日気がつかず「ごめんごめん」と言ってばかりの毎日です。
このあいだのなおちゃんの絵日記はとても大変な内容でした。
「学園でおふろで 体とあたまをあらい終わったら おふろのなかにはいろうとおもったらおふろの中に入ろうとおもったら すべっておぼれました。
かんごふさんとOTの実習生の岩村さんに たすけてくれました。
ぼくは息ぐるしかったです。
ぼくはせなかに ぶつけてけがをせなかにけがをつきました。
とってもびっくりしました。
朝、にこにこしながら、いつものように「日記かいてきたあーー」と渡してくれて、わたしもいつものように「わあい、ありがとう」って自然に受け取った日記だったのに、中を読んでびっくりしました。でも、今朝目の前のなおちゃんを見て、もうなおちゃんが大丈夫だったとわかっているので、それほど恐くなくて、なおちゃんもわたしも「本当に大変だったねえ」と笑っていたのです。けれど、「ね、背中見て」となおちゃんに言われて、はじめてシャツをめくってみてぞっとしました。
背中の傷は腰のあたりから首の近くまで30センチくらいの幅でずっと続いていて、ところどころが深い傷になっていました。見たとたんもうへなへなとたおれそうになってしまってやっとのことで「痛ーーい!!」と言う私になおちゃんはおかしくてたまらない(きっと大冒険だったから)というように笑っていました。日記にも淡々と「息苦しかったです」「とてもびっくりしました」と書いてあったので、なおちゃんはそんなに大事件だと思っていないのかなあと思っていたのです。次のお風呂の日の日記を見て、そうじゃなかったのだなあとわかりました。日記には「今日はおふろでおぼれませんでした」と書いてあったのです。なおちゃんのおぼれたときの恐怖感がしみじみ感じられて、ぞっとしました。2度目のおふろも、またおぼれるのじゃないかと思ってどんなにこわごわと入ったのだろうと思いました。
なおちゃんの顔をみながら、卒業して、施設から出てひとりで生活をしているおさむくんの話を思い出しました。
おさむくんは施設を出るときに「僕は自由のために旅立ちます」という手紙をくれました。施設を出ることがすなわち両親に迷惑をかけるということにならないようにしたいんだとおさむくんは強く願っていました。「それでなくても施設を出ることで大変な心配をかけることになるんだからね」
おさむくんは両手に麻痺があるものの、両足を使ってほとんどの日常的なことをひとりでしていたし、街へ出かけるということもとても積極的だったので、周りの人もおさむくんの一人暮らしに対してはそれほどの心配はしていなかったのだと思います。そのおさむくんが、ひさしぶりに学校へ来たときに話してくれたのがお風呂のことでした。
「この間俺、死にかけた。コンサートへ行こうと思って、その前にお風呂にはいろうと思って、頼んであったボランテイアさんがくる前にお風呂へ入ったんだよね。それでそのときおぼれかけたんや。腰湯っていうんかな。座って越しあたりのお湯の量で入ってたんやけど、立とうとしてつるりと滑って、体全部がお湯に使ってしまったんや。
何でもないときにはお尻とさ、足を使って簡単に立てるんやけど、そのときはあわててたし、体が横になると、俺、手が使えないからね、水が重くて起きあがれないんやよね。
お湯もたくさん飲んで、ああ死ぬんだなあって明日の新聞の記事まで頭に浮かんだよ。それがさ、俺はまだ生きていていいということなんだなあと思うんだけど、偶然にもそのときにボランテイアの人がだいぶ早めに来てくれたんだ。誰もいないしおかしいと思って、なにげなくお風呂をのぞいたんだって。命拾いしたよ。あれ以来、お風呂は使ってないの。シャワーだけ」「だって、もう寒いよ」「もう恐くてだめだよ」
そんな話をしていたのでした。お風呂が危険だから一人暮らしができないというのじゃなくて、どうしたらいいのっておさむくんに聞いたら、おふろばかりじゃなくて、お年寄りでも、僕たちでも、すぐにどこかに連絡の取れる装置が石川県にも普及してほしいというくらいかな。それだったら、もし死にかけても、ひょっとしたら助かるかもしれないし・・・」
それはそうかもしれないと思ったけど、もしかしたら助かるかもしれないというのはずいぶん恐いお話だなあと思いました。でも恐いといって一人暮らしの自由を失いたくないというおさむくんの気持ちも痛いほどわかったのでした。

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