始業式 バンバンの意味
その日、一樹くんは朝から怒っていました。机をバンバンたたき、隣にいたなおちゃんをたたき、新しく今年担任になった私以外の二人の先生(クラスの担任は三人で、私だけがクラスを持ち上がりました)をたたき、大きな声でずうっとコマーシャルを言い続けながら怒っていました。
「何をそんなに怒ってるの」と私が尋ねると、一樹くんは「怒ってなぁーい」と言いながら、やっぱり机をバンバンたたいて怒っています。
同じクラスのなおちゃんに対して、一樹くんは痛いほどたたいたりすることはけっしてありません。バシッじゃなく、軽くペンとたたいています。
でも「あーぁ、たたいてる。なおちゃん痛そう」と私が言うと、一樹くんは、「たたいてなぁい」と言って、なおちゃんの腕をなでなでしながら、またペンとたたいているのです(どうしてなのか、一樹くんは私のことはたたきません。私に対して気持ちを出せないのかと気にしたこともありましたが、そういう理由でもないようなのです。代わりに、私の頭のにおいをかぎます)。
一樹くんはいったいどうして始まりの日から怒っているのでしょうか。それはたぶん、こんな理由ではないかなあと思います。
三月の終業式が終わって四月に学校に来たら、自分の教室であるはずの教室に新しい一年生が入り、(一樹くんの許しも得ず、何の相談もなく)違うゲタ箱、違う教室を「一樹くんのよ」と言い渡されたこと、そしてやっぱり何の相談もなく、昨年の担任のうち二人は違う学校へ行ってしまい、かわりに新しい先生二人が担任になっていること、これはたいへんなことじゃないかと思うのです。一樹くんじゃなくても怒らずにいられるでしょうか。そして一樹くんは怒っています。
でも一樹くんがいろんなところをバンバンしているのを見ていると、これは怒ってバンバンしているのか、それとも怒りを抑えようとして、バンバンしているのかわからなくなることがあります。
これまで一年間、一樹くんといて、それはどうやら後のほうではないかと思えてきました。
私たちもよく、腹がたったり悔しくてたまらなかったり、不安になると机をバンとたたいたり、「くそ!」「ばかやろう」なんて言って、言った後、少し気持ちが落ちついているのに気がつくことがあります。人間には自分の気持ちを自分の力でたてなおそうとする素晴らしい力があるのかもしれません。
一樹くんは、「なんでこの教室なの?」とか、「どうして前と変えたの?」とは言わないし、やさしいから「怒ってなぁい」と言うけれど、本当は学校に来るまでの自分の思いや自分の予定と違っていた状況をいったいどうやって受け入れたらよいのだろうと、どんなに不安になっていたことでしょうか。
そして、なんとか落ちつこうと、なんとか不安を打ち消そうと机をバンバンたたき、友だちや新しい先生をたたき、私の髪のにおいをかいでいたのだと思います。
そうやって、一樹くんは落ちつきを取り戻していきました。
今日はそれに加えて、全校生徒の前で在校生の挨拶がありました。それだって今日になってから私の「一樹くんお願いね」の一言ですることになり、勝手に(一樹くんにとってみれば)入学式の係の先生が用意した原稿を当日になって渡されたのです。一樹くんはこの時も「言うのやだねえ」と繰り返しつぶやいていました。それは、ちょうど一樹くんが何か不安になった時につぶやくコマーシャルと同じように聞こえるアクセントの口調でした。
「新入生のみなさん、今日はおめでとうございます。これからぼくたちといっしょにたのしく勉強しましょう」という在校生の挨拶はとても上手にできました。これも一樹くんのバンバンのおかげかもしれません。
この日は、バンバンやコマーシャルは一樹くんが自分で心を落ちつけるための”力”なんだと一層強く感じた一日でした。

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