分けられる悲しみ
「大ちゃんは自分の障害をどんなふうにとられているのですか?」「大ちゃんは他の人と自分が違うということを感じていますか?」そんな質問をいただくことがあります。わたしはそのたびに「100人いれば100人みんなそれぞれ違うのだから、誰だって他の人と違うのは当たり前だから・・」「大ちゃんは確かに計算がにがてだったり、お話しあうのが苦手だったりするけれど、得意なこともたくさんあるから・・・」というふうに答えてきたけれど、質問された方が求めておられる答えと、私が答えたものとがすれ違っているということを本当は私自身が一番感じていたかもしれません。
昔一緒に勉強をした卒業生(今、私のとても大切な友達ですが)の友ちゃんは、授業中や、そのほかの時にしょっちゅう「自分の障害」についてや、「障害者の自立」「障害者の生き方」などの話をしてくれました。私にとって、それらの時間は今思うととてもとても大切な時間だったと思います。
友ちゃんは車椅子に乗っていました、食事やトイレなど、ほとんどのことは介護人さんや、おうちの方や、私たちの手によってされていました。友ちゃんはいつも「その自分の障害」に真っ正面から向き合って生きていた気がします。
友ちゃんの口からしょっちゅう「私ら障害者」という言葉が出ました。その日もそうでした。その日友ちゃんはとても怒って学校に来ました。「私ら障害者のこと、どんなふうに思てるんやろう。ゴミかじゃまものとしか思ってないんやわ。手術しろって言うんや。それが私らの幸せのためやなんて言うんや。じょうだんじゃないわ。私ら障害者は他の人なら普通に考える、結婚というものをしないもんと決めてかかっとるんやわ。子供なんて生むはずがないと思ってる。男の人とつきあうことだって、恋をすることだってないに違いないと思ってるんや」話をしているうちに友ちゃんの目からがたくさんの涙が流れてきました。手術とは子宮を取ってしまう手術のことです。「私が『手術はせん』と言ったら、なんて言うたと思う?『毎月気持ち悪い思いせんでもいいし、あんたが楽やろう?それに第一そのたびに手当してもらうのだって、申し訳ないと思わんのかいね。手術せんなんてこと、あんたのわがままやと思わんのか。あんたのために言うとるがや』ってそんなこと言うんや。何言うとるんや。私だって女や。結婚の夢もある。母親になる夢もある。他の人が普通に考えることを私ら障害者は望んで生きていくことすら許されんってそういうんか」友ちゃんに手術を勧めた人がどなたなのかということを私は聞くことができなかったし、友ちゃんもその時、話しませんでした。お家の方のお気持ちか施設の方のお気持ちかそれはわからなかったけれど、友ちゃんはきっと誰の気持ちというよりも、社会が障害を持った方をどんなふうにとらえているかということについての憤りをそのとき私にぶつけてくれていたのだと思います。
友ちゃんは卒業の後しばらくして施設を出ました。そして今とても幸せな結婚をして、子供さんは小学生になりました。友ちゃん似のとてもやさしくてかわいい女の子です。私はもしあのとき、友ちゃんが手術を承諾していたら、このかわいい女の子はここにいなかったし、今の友ちゃんの生活はなかったのだと思うととても恐くなります。障害を持った方をただ社会の重荷のように考える間違った見方がおそらくはしょっちゅう人の人生を変えてしまっているのだと思います。
大ちゃんは友ちゃんのようには私に「障害について」「障害者について」お話してくれたことはありません。どんなふうに大ちゃんが考えているかということもわかりません。
でも時々、大ちゃんが「社会から分けられる悲しみ」を感じているのじゃないかと思うことがあります。
大ちゃんと一緒に勉強していたころのことです。次の週に外へみんなで出かけることになっていたので、たくさんの人で出かけるのだから、あらかじめ予約の電話をかけておこうと思って、レストランへ電話したのです。電話に出られた方はとても丁寧なお話の仕方で「大変申し訳ないのですが、養護学校のお客さまはおことわりしているのです。他のお客様のご迷惑になりますので」と言われました。私はそのときとても悲しかったです。私たちはとてもゆっくり時間がかかってしまうこともあるし、時にはうれしくて大声を出してしまうこともあるかもしれないし、お皿をひっくりかえしてしまうこともあるかもしれません。でもそうやって、街へ出ていくことで私たちはルールを知ることができるし、町の人も私たちもお互いがわかりあえるのにって思うのです。
その電話の後大ちゃんとの授業がありました。私は悲しい気持ちを大ちゃんに知られたくなくて深呼吸して、にっこり笑顔をつくって教室へ入っていったのに、大ちゃんは私の顔をじっと見て、こう言いました。

おこることはいっぱいある
悲しいことはいっぱいあります
きれいな雪がたくさんふって
いっぱいをみえなくしてくれたら いいな

私はとてもびっくりしました。社会から分けられる苦しみを感じていた私を大ちゃんは何も言わなくてもわかったのでしょうか。そして大ちゃん自身もひょっとしたら同じ分けられる悲しみを感じたのかもしれないと思って、また涙が出そうになりました。

大ちゃんはこんなふうに直接、「障害」について話すことはないけれど、心の中に分けられる痛みを持っているのじゃないかと思います。そしてだからこそこんなに誰に対してもやさしいのだと思います。

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