中学生のときの大ちゃん
大ちゃんは素敵な詩や絵でいつも気持ちを表現してくれます。そのことでたくさんのことを教えてくれました。大ちゃんは今高校三年生、出会って6年の月日が流れました。
中学部のときの大ちゃんのことを書いてみました。

中学生時代の詩

大ちゃんが中学生になりました。小学校の6年生のときに、大阪の養護学校から転校してきていらい、一年近くたっていたけれど、大ちゃんとは、学部が違っていたこともあって、ほとんど話をしたことがありませんでした。なぜか時折、じっと見つめてくれているように感じられることがあって、私の方から「大ちゃん?」と声をかけても大ちゃんはそばからすっといなくなってしまうばかりだったのです。
4月になって、毎日大ちゃんと一緒にいられるようになったのに、私はとても不安な気持ちでいました。そばにいても、お互い少しもわかりあえていないということがそんな気持ちにさせたのだと思います。
大ちゃんはいつも廊下のすみっこを壁や窓の方を見ながら歩いていました。なにか口の中で ぶつぶつつぶやいていたけれど、誰かが大ちゃんに近づくとぶつぶつ言うのをやめてしまって、大ちゃんのつぶやきはわからないままでした。
私が何かを尋ねてると、大ちゃんは一所懸命答えようとしてくれるのですが、その答えは、私の質問とはいつもつじつまのあわないものでした。「今日は何曜日?」と尋ねると「俺、カレーライスくったわ」と答える大ちゃんに、(大ちゃんにとってむつかしすぎる質問だったのかしら)と私こそ、そのとき何もわかっていなかったのでした。
大ちゃんはいつも原稿用紙になにやらたくさんの字を書いていました。それはそれはすごい勢いで、毎日何十枚もの原稿用紙に字を書いていました。けれど、その字はきっと誰かに読んでもらおうと思ってはいなかったのだと思うのですが、何が書かれているのかは 読みとることができませんでした。私たちは、原稿用紙に向かうことがどんなに大ちゃんにとって大切なことかということを思わず、「執筆活動」と呼んであまり重要には考えてはいませんでした。授業が始まってもまだ書いていると「大ちゃん、まだ書いているの?執筆活動は休み時間だけにしようね」と言ったり、休み時間でもお天気がいい日だと「大ちゃん、書いてばかりいないで、外で遊ぼうよ」と無理やり外へさそったこともありました。もしかしたら大ちゃんが傷ついていたかもしれないのに、おとうさんや、おかあさんと「この原稿用紙が意味があるものだったらすごいのだけどね・・」といっしょに笑っていたこともあったように思います。
それから大ちゃんと私は目があうことがありませんでした。なんとか大ちゃんに私の顔を見てもらいたくて、大ちゃんの顔を両手ではさんで、「こっちむいて」と無理に私の顔をみてもらおうとしたこともありました。大ちゃんはやさしいので、なんとかこっちをむこうとしてくれるのですが、黒目がすーーっと横の方へ動いてしまうのです。ずっとあとで「本当になかよくならんと目なんてあわせられん」という詩を大ちゃんは作っているけれど、私はあのとき、まだ仲良くなってもいないのに、無理に目をあわせてもらおうと
していたのだなあと思うのです。
学校の勉強でも、私は大ちゃんに自分の思いばかり押しつけていました。なんとか読める字を書いて欲しいと思って、一年生くらいの子供さんが使う、大きなますで、十字に点線が入ったノートに何度も「あいうえおの練習をしてきてね」と宿題を出しました。何度書いても大ちゃんの字はそのときは変わりませんでした。それから本を読みとることも大ちゃんにはむつかしいのかなって勝手に思って、国語で使う本もできるだけやさしい本にしようと、一年生の本を使いました。大ちゃんはそんな私に文句ひとつ言わないでつきあってくれていました。今考えると、大ちゃんにたいして、なんて申し訳のないことばかりしてきたのだろうと思います。
毎日、いっしょにいるうちに私たちはとても仲良くなってきました。大ちゃんはいつも私のそばにいてくれるようになりました。目が合わなかったことがうそのように、大ちゃんはいつも私を見ていてくれるようになりました。お互いが大好きで、お互いがとても必要な存在になってきていたと思います。一緒に楽しいおしゃべりをするようにもなってきていました。それでも私は大ちゃんの気持ちをほとんど何も知ってはいなかったのだと思うのです。
一年以上たったころ、大ちゃんはファミコンすごく上手だから、もしかしたらワープロも好きかもしれないなあと思って、ワープロを教室へ持って行きました。ワープロを見たとたん大ちゃんは駆けるように机のところへ寄ってきて「俺、これ好きやわ」って言いました。びっくりしたことに、大ちゃんはワープとの使い方を1時間で覚えてしましました。漢字の変換だけでなく、拡大なども思いのままでした。
最初に大ちゃんが入力した言葉はクラスメートの泰範(やすのり)くんの名前でした。「やすのり」と入力して変換しても泰範の文字は現れませんでした。大ちゃんはどうするかなあと見ていたら、「お家安泰」と入力して、「お家」を消し、「模範」と入力して「模」の字を消したのです。大ちゃんは「お家安泰」や「模範」がどんな漢字を使っているのか、そしておそらくはその意味も知っていたんだとそのときに気がついてすごく驚いてショックを受けました。私は一年生の教科書を1年間ずっと使ってきたのに、大ちゃんは文句ひとつ言わずにつきあってくれていたのです。本当はもっとたくさんのことを知りたかったのに違いないのに、いったい私がしてきたことは何だったのでしょうか。ただただ大ちゃんに申し訳ない気持ちがいっぱいでした。でもそれだけではありませんでした。大ちゃんはすぐにすごいスピードで打てるようになりました。そして打ち出されてきた文章は大ちゃんの気持ちがたくさんあふれたものでした。ワープロは活字なので私たちにも読むことができたのです。
「すごいね、すごいね」と言う私たちに大ちゃんもとてもうれしそうでした。そしてそのとき、大ちゃんは文字は人に気持ちを伝えられるのだと初めて知ったのだと思います。そのとたん、あんなに練習しても書けなかった「読める字」を大ちゃんは書くようになりました。本当に必要にならないと人は体の中に入れることができないものなのですね。それなのに、私はただ読める字をかけるようになってほしいという自分の思いばかりを押しつけてきたのでした。
ある日のことでした。私は友達が病気で元気がなくて、私もその友達になんにもできなくて少し元気がなかったのだと思います。「山もっちゃん、どうした?」と大ちゃんが私に聞きました。ちょうどそのころから大ちゃんは私のことを「山元先生」ではなくて、「山もっちゃん」と呼んでくれるようになっていたのです。きっと本当の仲間だとかんじてくれたのだと思います。私が「友達が病気で元気がないの」と答えると、大ちゃんは、「さびしいときは心のかぜです」と言いました。あんまりそのことばが素敵だったので、その言葉を近くにあった紙に書き留めました。そのあと、だいちゃんは「せきしてはなかんでやさしくしてねていたら 一日でなおる」と言いました。そのことばも書き留めている私を見て、大ちゃんが「俺も書くわ」と言いました。
大ちゃんが書いてくれた字をコピー機で縮小してはがきにしました。それを友達に送ると、友達はとても喜んでくれて本当に元気になったのです。
「大ちゃんすごいね、大ちゃんのはがきは、読む人を元気にするね」と言う私に、「元気になってよかった」と大ちゃんは言いました。私は友達が元気なってよかったとそのときに大ちゃんは言ってくれたのだと思ったけれど、あとで、私が元気になってよかったと大ちゃんは言ってくれたのじゃないだろうかと気がつきました。
「はがきをつくるとうれしいか?」と大ちゃんがやさしく聞いてくれました。「うれしい」と答えると、「山もっちゃんがうれしいなら、僕はもっともっとはがきを作るわ」と大ちゃんが言うのです。それが大ちゃんが詩をつくった最初です。
私は大ちゃんが「山元先生」と呼んでいたときには詩はつくれず、「山もっちゃん」と呼んでくれるようになってから詩ができるようになったことに大きな意味があるのではないかと思っています。人は怖かったり、させられていると感じたときは気持ちの表現はできないのではないかと思ったのです。平等で、お互いが好きな関係になってこそ、気持ちを表現できるのだなとわかったのです。
それから大ちゃんは「はがきをつくろう」と言って、たくさんの素敵な詩や絵をたくさん書いてくれるようになりました。大ちゃんはすごく難しい漢字をたくさん知っていて、読むことができるのに、やさしい漢字でも書くのは苦手です。それだからか、それとも最初に詩をつくった手順のとおりにしたいのか、今でも大ちゃんの言葉を一度私が紙に書いて、それから大ちゃんがそれを自分の字で書くという方法で詩を作っています。漢字かカタカナかひらかなにするのかを選ぶのも、どこで改行するのかを選ぶのもみんな大ちゃんですが、今でもひとりでは詩をつくりません。そのことも大ちゃんには大きな意味のあることだということがずっとあとで、わかってくるのでした。

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